黒部信一のブログ

病気の話、ワクチンの話、病気の予防の話など。ワクチンに批判的な立場です。現代医療にも批判的で、他の医師と違った見解です。

戦争と奴隷制のサピエンス史

2022-10-25 11:39:09 | 戦争と奴隷制

             戦争と奴隷制のサピエンス史

 「戦争と奴隷制のサピエンス史」三宅芳夫論文を読んで、感想と抜粋。

 戦争と奴隷制のサピエンス史を読んで

 これは雑誌世界の2022年10月号に載った「戦争と奴隷制のサピエンス史」を読んで、抜粋と感想である。ぜひ原文を読んで欲しい。

 私は、文明の歴史に興味を持ってきたが、ギリシャ時代以降しか知らなかったが、その頃には既に戦争も奴隷制もあった。民主主義も奴隷制の上に成り立っていた。だから、民主主義は、支配層による政治を正当化するための方便ではないかと考えている。特に現代では、代議制民主主義は、統治層である資本家たちのための手段でしかない。当面それに代わる手段は、直接民主制つまり一人一人の意思を反映させる住民投票しかないだろう。

 それと同時に旧社会主義が市民の意思を反映しなくなり崩壊したが、その結末は悲惨なものであったことである。まだ旧社会主義の方が生活はましだったのである。それで「21世紀の資本」を書いたピケティは、「来たれ、新たな社会主義」と2020年になって社会主義に転換した。斎藤幸平はその前から「脱成長のコミュニズム」を提唱している。私はマルクス主義を捨てず、旧ソ連の社会主義は間違っていると批判してきたが、崩壊してからの貧困層や高齢者たちの悲惨さは目に余るものである。それは毛沢東主義を捨てた中国も同じであった。

 それをこの論文で確認できた。現代世界の戦争は、中東やアフリカだけでなく、チトーの死後のユーゴスラビアから始まり、旧社会主義国全体へ広がった。現在のウクライナ戦争もその一部である。そしてその国が奴隷の供給源になったのである。香港の貧民窟は中国に併合されてなくなったが、社会主義をやめた中国は、膨大な貧民層である農民工を生み出した。それがコロナウイルスの流行の温床になった。そしてイタリアなどへの債務奴隷労働者や性奴隷を生んでいる。旧ソ連邦諸国も、モルドバをはじめウクライナ、ルーマニア、ロシア、アルバニアなどが性的人身取引つまり性奴隷の供給源である。それを教えてくれたのが、この論文であった。その行先は、西欧諸国や東南アジアの性市場である。

 奴隷制が資本主義ではなくならないようだ。日本でも奨学金という名の高利貸しが若者たちを債務奴隷にしている。銀行の利息がないのに、どうして奨学金に利息が付き、強制返還をさせられるのか。アジアからの研修生名目の労働者も債務奴隷である。それが出入国管理に現れている。

 ☆コロナウイルスが、第一に教えてくれたのは、貧困と格差社会の世界的な広がりであり、それがコロナの温床となった。そして次に教えてくれたことは、アメリカと西欧も貧困層をかかえる格差社会であり、貧困層がコロナの被害を受けたのである。西欧社会は、福祉社会を新自由主義の名で崩され、コロナの被害にあった。北欧と東アジアはまだ新自由主義がそれほどでなかったので、初期のコロナの被害が少なかったが、日本は経済の低迷と円安でこれから被害が目に見えてくるであろう。

 

 抜き書きと()内はコメント。

〇戦争は「建前」としては、国連憲章や国際法からすれば、違法なものであった。

  (だから戦争、内戦などはすべて犯罪であり、正しい戦争などはない。ロシアもウクライナもそれを支援して兵器を供給しているNATO諸国もアメリカも犯罪国である)

〇奴隷制はどうか。

肯定するものはいないが、現実には、状況は全く逆だ。

 数百万人の性奴隷が世界に存在する。それが冷戦終結後は、ウクライナ、モルドヴァ、ルーマニア、アルバニアなどから。多くは北米、西欧へ輸送された。

 また、タイ、フィリピン、ネパール、インドなど南アジア、東南アジアにおける人身売買による性奴隷制の拡大も留まるところを知らない。

 タイを中心とした東南アジアの性奴隷ビジネスは「中心地域」(または「北」)の「ペドフィリア=小児性愛者」の男たちに「性の楽園」を提供している。

〇債務奴隷は数千万人規模に上がる。

 BRICSと呼ばれるインド、ブラジル、南アフリカでも債務奴隷は深刻な問題だ。

 日本のいわゆる「技能実習生」問題も、グローバルな文脈では人身売買による債務奴隷問題と位置付けられる。(パスポートを取り上げることを犯罪とすべきである。人権侵害であるから。)                                   

◎現在、地球生態系との関係で「人新世」という概念が提唱され、人類史規模の社会システム転換の必要性が認知されつつある。もちろん、この意味での「大転換」が必要なことには疑う余地はない。 (確かに、地球生態系は企業つまり資本家階級によって破壊されてきた。)

 我々は、来るべき人類史的スケールの「パラダイム・チェンジ」において、地球生態系との関係を革命的に変革するとともに、戦争と奴隷制という「呪縛」からも解放されなければならない。

〇さかのぼれば、すべての古代の文明には戦争も奴隷制があった。

 もっとも好戦的であり、奴隷労働を社会の根幹に据えていたのは、古典古代のギリシャ・ヘレニズム・ローマ文明であった。アテネの奴隷は。全人口の30%を占めていたとすいていされた。中華文明も、全人口の中に占める奴隷の割合が顕著に低いとみられるが、戦争と奴隷が条件で成立していた。(日本はどうだったのか。研究者の登場を待ちたい。)

〇戦争の定義に「組織化された暴力の行使」があるとすれば、現在のアフリカのブッシュマンやアマゾンのピダハンは、暴力行為を忌避し、強制力もほぼ存在しない平等な社会においては、戦争はほぼ不可能になる。

 しかし、他のすべての先住民族たちには、戦争は存在した。北米の先住民も戦争を繰り返し、奴隷も所有していた。

 北西アメリカの先住民社会には、貴族、平民、奴隷という身分も存在した。

 アフリカの部族社会でも戦争と奴隷は存在した。

〇16-18世紀の大西洋奴隷貿易に際して、奴隷商人たちに奴隷を提供したのは、ベニン王国をはじめとするアフリカ部族国家であった。

 現在は観察されていないが、ブッシュマンやアイヌは、昔は戦争をしていたし、アイヌには「ウタレ」という奴隷も存在していた。

 多くの狩猟採集民は、戦争をしていたが、少なくともアフリカのピグミー諸族、ハツァ、ブッシュマン、北極圏のエスキモーたちは、1960年代には、戦争と奴隷制を放棄していた。

 このことは、少なくとも人類は状況と選択によっては、戦争と奴隷制という「呪い」から解放されうる、ということを意味している。

 しかし、近代世界システムからはいずれにせよ、次の、あるいは「他の」社会システムへと移行する、「させる」ことは避けられない。

〇スピノザは徹底した平等に基づいた民主制を構想し、構成員は「自然権」と「抵抗権」を保持するとした。

 スピノザの平等主義と民主制の思想を継承した「急進啓蒙」は、奴隷制の即時廃止、戦争の廃絶、民主制か否か、寛容の適用の範囲、経済的自由主義の是非、そして格差の是正など、はすべて穏健啓蒙と対立した。

 1793年フランスは、全フランス領の奴隷制を廃止した。それでハイチが、1801年黒人立憲共和国が誕生した。(その為に、莫大な債務をフランスの奴隷所有者から背負わされた。払い終わったのはつい最近のはず。それで政情は安定していない。)

〇この動きに不安を感じた穏健啓蒙は、保守主義を生んだ。

 この穏健啓蒙と急進啓蒙の対立は、19世紀には自由主義・保守主義と民主主義・社会主義の対立へと再編されていく。

 近代世界システムを主導したのは当然のことながら、統治階級の思想である自由主義・保守主義であった。この人たちは人種主義の信者であった。(日本の明治時代の統治者たちも同じで、植民地主義者であり、人種主義者である。)

 世界の主な運河も、大陸横断鉄道も、すべて奴隷労働で作られた。

〇自由とは何か。自由の概念は、アナーキズムの概念と資本主義やリベラリズムの概念とでは異なる。

 個人間の平等がなければ、自由はない。支配や強制があれば、自由ではない。

 (日本の政治は、どうか。)

〇戦争の主体は国家である。国家の暴力は戦争であり、国家以外の暴力はテロとされる。

 資本主義での利潤の最大化は、奴隷制であり、特に性奴隷制は純利益率約70%である。

〇戦争と奴隷制の克服のためには、近代社会システムから新しい社会システムへの移行は避けられない。

 従って、来るべき「カタストロフ」を回避するには、資本蓄積最大化の公理を廃棄し、組織的に独占された暴力を最小化するシステム、、これこそがわれわれ人類に残された最後の希望である。

 (人身取引の実態は、「性的人身取引」明石書店、に書かれています)。