黒部信一のブログ

病気の話、ワクチンの話、病気の予防の話など。ワクチンに批判的な立場です。現代医療にも批判的で、他の医師と違った見解です。

資本主義と危機

2022-02-06 16:59:22 | 人新世
                    資本主義と危機を読んで

   <資本主義と危機 を読んで/span>

 これを読んで、斉藤幸平の解説の通り、私と同じようにマルクス主義を思考の原点、資本論を物の考え方の教科書と考えていた人たちが経済哲学思考の面で残っていたことに悦びを感じました。特にフォスターは医学の面で、私の敬愛していたフィルヒョウを評価してくれました。結局、私はヒポクラテスから、フィルヒョウの時代を経て、ルネ・デュボス、心療内科、精神神経免疫学へと発展した流れの中にいたのです。
 この本の中で、歴史の流れの順に取り上げられ、最後に出たフォスターの文が最も良いと思います。世界の全体を知りたければ全部読んで、どんな考えがあるかを知ることですが、結論だけでよい人は、これで十分です。
 以下は私の主観で作った抄録と感想です。


 自然の回帰は何をもたらすか 
                              ジョン・ベラミー・フォスター

 ☆ 物質代謝の亀裂
マルクス派のエコロジーとは
マルクスの物質代謝の亀裂論の概念が基礎である
第一段階エコ社会主義としては、古典的マルクス主義はその力点が「プロメテウス主義」にあり、それゆえに反環境的であると論じた。この点では、緑の理論をマルクス理論に移植することによって発展しなければならないとされた。
第二段階的エコ社会主義とは、バーケットとフォスターが取り入れたアプローチで、古典的な史的唯物論それ自体の基礎に立ち返ることです。
 それは物質代謝の亀裂理論です。つまりいかに、資本蓄積の過程が人間と自然の社会的物質代謝に亀裂をもたらしたかというマルクスの理論です。それはマルクスの時代には、土壌と養分サイクルの攪乱に明確に表れていたという。
 マルクスによる「自然の普遍的物質代謝」、「社会的物質代謝」、「社会的物質代謝の相互依存的な過程に生じる修復不可能な亀裂」を結び付ける考え方です。このことが、商品生産内部における使用価値(自然的形態)と交換価値(価値形態)の区別を含むマルクスの価値理論に密接に関連づけられています。
 さらに言えば、資本主義にあるさまざまな物質的矛盾は、(資本の)蓄積と階級(分裂)のシステムに起源をもつ生態学的なものであるのです。
 過去20年の間にマルクス派のエコロジーは発展してきた。マルクスのエコロジー的な批判を足がかりにしてさまざまな環境問題にある具体的な側面のほぼすべての理解ができるのです。その根本には、資本主義には自然の「疎外された媒介」があるという前提に基づいているのです。
 「疎外された労働」と並び「物質代謝の亀裂」が重要です。
 クラーク、ホールマンとフォスターが収奪という概念を説明してきたのです。
 つまり、マルクスの収奪という概念は、土地に対する収奪だけでなく、様々な形で現れる人間の肉体的存在にたいしての収奪があり、それが物質代謝の亀裂と、奴隷制、植民地主義、女性の抑圧の連関をつなげています。
 これが「自然の掠奪」です。

☆ エコ社会主義とグローバルな危機
資本主義がグリーンになるということは何にも根拠がありません。
 資本の論理に反対することによってのみ持続可能な人類の発展にたどり着くことができると言えます。その理由は、資本主義は資本の蓄積システムの略称であり、蓄積という指標しかないからです。そのシステムから見れば、世界全体の気候を破壊することやエコシステムを破壊することはほんの一つの外部の出来事でしかないのです。
 私たちは、資本主義による地球の創造的な破壊全体の結果である惑星の生物地球化学的な循環に生じた亀裂について話をしていて、規模についてではありません。
 日本のマルクス主義経済学者都留重人、あらゆる側面において持続不可能なシステムが原因となって生じたさまざまな惑星的プロセスの崩壊であると論じている。
 資本主義には価格しかなく、科学が残りの化石燃料はすべて地中に埋まっているべきであると言っても何もできないのです。何をしてくれるのですか。
 資本主義は構造的危機に陥っています。
 要するに、私的利益と制度化された個人の私欲に基づいて、収益性に通じる道として階級の分裂や環境破壊をあおりながら、抑圧的な国家に施行され、そして帝国的な戦略を取り入れている無計画なシステムがあるのです。それはローカルでもひどく、グローバルには破滅的です。
 エコ社会主義は自由と持続可能性への道であるだけでなく、人類の生存にとって欠かせない道です。
 (自然科学の発展を持ち出す人がいるが、それは私に言わせれば、単に技術的な点に過ぎず、思想的には何ら進歩していないのです。それは人文社会科学と自然科学の分断で生じたことでもあります。)
 マルクスは、終着点ではなく、出発点なのです。進化論が進化し続けているように、マルクス理論も進化しています。マルクスによる批判の力は、唯物論的かつ弁証法的であること、そして批判の伝統に根ざしていることです。
 必要なのは、自然・社会科学を包括していく統一された弁証法的分析です。自然科学者たちは、人文社会科学から切り離されたために、その論理を失っています。
 それで私的唯物論の伝統が重要なのです。
 
 廉価な自然
 資本主義は常に廉価な自然に基づいて来ています。マルクスは、当時に廉価な食料について言及しています。価格が高騰すれば資本主義が立ちいかなるという人は、短絡的であり、物事を覆い隠しています。
 資本主義は原価が高騰しても崩壊しはせず、環境を収奪する手を緩めることもありません。
 それは労働の収奪に基づいており、労働の搾取を続けることができる限り、資本主義は続きます。
 資本主義が現在抱えている経済的な矛盾とは、過剰蓄積なのです。原料を持ちすぎていることです。今日ある主な制約は、資源を過剰搾取した結果として経済が生み出した廃棄物を吸収するということで、シンク・エンド(廃棄物の投棄可能量の限界)なのです。危機は今存在しているのです。
 マルクスの言う「疎外された媒介」とは、労働の疎外であり、自然/エコロジーの疎外すなわち物質代謝の亀裂なのです。
 弁証法は、媒介、内在的(そして外在的)な諸関係、総体性、転化そして超克に関係しています。それは変化していくものそして流動的なものとして万物をとらえます。

 そしてジジェク批判(ムーアとラトゥールへの批判派省略)
 ジシェクはさまざまな科学の内部における唯物論的弁証法が、とりわけ社会主義者たちが、どのようにこの概念をはぐくんできたかについて知らず、そして進化論の発展と生態学の形成にとってどれだけこの概念が大切であったのかを分かっていないようです。また集合体理論がマルクス派の弁証法にとっては不可欠な概念となった「創発」を分析することにつながっているのです。この「創発」という概念は、ジョゼフ・ニーダムによって最先端科学へと組み込まれました。これらはすべて創発主義的でエコロジー的なマルクス主義の伝統の中に深く組み込まれています。ジジェクはすべての物を「同一の次元」に置くことで様々な相互作用を見落とし、弁証法を平坦なものにしてしまったのです。

☆ パンデミックから見えた危機の本質
 物質代謝の亀裂理論から見れば、マルクスが「周期的感染流行」を、資本主義的商品生産が著しい影響を及ぼした人間の自然との物質代謝のなかで発生した亀裂としていたのです。
 エンゲルスが示した「イギリスにおける労働者階級の状態」の疫学的分析です。(私のいつも読み返す原点です)
 マルクスの友人で、ダーウィンの弟子の進化論生物学者レイ・ランケスターは、生態学的分析の進歩に加えて、あらゆる疾病がもつそのさまざまな原因の社会的役割と、とりわけそこにある資本主義との関係を説明する立場をとったのです。レイ・ランケスターの父は水によるコレラの出所を突き止め、細菌論の発展に寄与した一人です。
 マルクス主義の伝統から生まれた社会的疫学には歴史があり、ルドルフ・フィルヒョウの著作もエンゲルスの影響を受けています。エンゲルスは、資本主義によってもたらされた疫学的問題を「社会的殺人」の一形態だとみなしました。
 ノーマン・ベチューンはそれを「第二の病」と呼びました。アメリカで天然痘と闘ったフローレンス・ケリーもそうです。リチャード・レビンスは『資本主義は病か』という論文を出しています。

 構造的ワンヘルスが疫学内部で興隆しています。ロブ・ウォレスがその中心で、分野横断的で、疾病病因論でさまざまな科学を結び付け、動物疾患の原因を資本の循環とアグリビジネスが持つ役割までたどって明らかにするという点で独特であり、レビンスやレウォンティンたちの弁証法的生物学にある概念を使っています。物質の亀裂という概念も参照しています。
 これが新型コロナを含めた疾病が発生する構造について、現時点では、最も発展した分析です。
 人新世は、私たちが生きるために依存している惑星の生化学的な循環に生じた人類の亀裂の拡大と、それが人類の存在にとって脅威であることを示しています。科学的な見れば、人新世が意味するのは、社会にある力の一つとしての自然の回帰です。
 社会は自然から独立しておらず、自然を征服するという啓蒙主義的な考えに対し批判が必要だという認識です。この唯物論的視座こそがエコロジーを生み出したのです。

 新型コロナのパンデミックが教えるものとは
 直面している惑星の危機のうち、気候変動はその一部にすぎないこと、パンデミックの根源は資本主義経済のさまざまな活動であるということです。
 その解決方法は、「本質的な平等とエコロジー的な持続可能性のある社会、つまり社会主義を創り出していくことです。
 さまざまなエコロジー的限界が、少なくとも先進国経済にたいしては、定常経済が必要です。定常経済は純資本形成のない社会であり、GDPで定義されるような「成長」のない経済です。定常経済は、大部分の人々の生活における改善、技術的進歩、文化的発展とエコロジー的状態と両立可能です。
独占資本主義的経済は、浪費によって成長し、浪費が経済を支配します。
マーケティング活動は、人々に本当に必要ではないもの、本当に欲しいものではないものを買わせる目的でされています。
莫大な軍事費、マイノリティーへの抑圧費が費やされ、助成金が化石燃料企業に与えられています。
私たちに必要なのは、「人々が必要とするものに向かう社会経済を創りだすことです。量的な拡大ではなく、質的な発展です。人間が生存していくには、今日の方向性の多くを反転させる必要があります。

マルクスはより豊かな社会を待望していました。彼はプロメテウス主義と呼ばれるもの、つまり自己目的的な生産の際限なき成長に反対していたのです。彼は、社会主義の物質的基準として、自然と社会の物質代謝に配慮し、準拠した生産者たちの手によって、エネルギーを保存し、これから必要とするものを提供していく合理的な規則を生み出しました。
その目標は持続可能な人類の発展だったのです。