地図のいろいろ

半世紀も地図作りに携わっていましたので、この辺で振り返って地図を見直してみようかな~・・・。

江戸城御本丸総絵図

2008-03-05 11:44:26 | Weblog
「復元江戸情報地図」の中に、「江戸城御本丸総絵図」があります。
「江戸城御本丸御表御中奥御殿向御櫓御多聞共惣絵図」、「大江戸御本丸大奥向惣絵図」から中川氏が編集した地図です。
たいそう「御」の文字が付いていますが、これを省略すると、「江戸城本丸表中奥向櫓多聞共惣絵図」、「大江戸本丸大奥向惣絵図」となるのか・・・

約1:700の縮尺で、細かく書かれていて、「御表」「御中奥御殿」「大奥」(御殿向、大広敷、長局向)を色分けされています。

この、江戸城本丸御殿は、将軍の住居であり、幕府の政庁でもありました。
表・中奥・大奥に分かれていて、表には、大広間・白書院(将軍の居間・寝室)・黒書院(将軍と親藩大名・譜大名の内輪の対面所)が雁行型に並んでいます。
その中でも大広間は江戸城御殿中最大の建物で、将軍宣下をはじめ、最重要儀式はここで行われたそうです。
表と中奥(奥女中の居間)の間には明確な境界はないのですが、大奥との境は銅製の塀で厳重に区切られていたそうです。
この地図にも赤線で区切られ「銅塀」と書かれています。
多い時には1,000~3,000人もの女性が居たそうですが・・・?



さて、江戸城に天守閣がないのは不思議ですが、明暦3年(1657)の大火で消失し、その後、遂に造営されませんでした。石垣だけが残っています。
その石垣の高さは約11mあり、その上に天守閣がそびえていたそうです。当時としては、日本最大であり、世界的にも大きなものでした。
観光名所としての再建が模索されているようですが・・・

このほかに、二丸・三丸(本丸防衛の城)、西丸(隠居所)、吹上御庭、紅葉山などがあったようです。
紅葉山は、歴代将軍の霊廟が造られていましたが、明治新政府により撤去されたそうです。