地図のいろいろ

半世紀も地図作りに携わっていましたので、この辺で振り返って地図を見直してみようかな~・・・。

荘園図

2008-03-22 15:33:19 | Weblog
「坂井郡高串村東大寺大修多羅供分田地図」
天平神護2年(766)の荘園図です。
高串荘は東大寺の学問僧の大修多羅衆の費用をまかなうための荘園。
サイズ 56×114cm 紙地図で4枚張り合わせたもの。麻布地図ではありません。
奈良国立博物館蔵

今日、「東大寺開田地図」と総称される8世紀の古代荘園図は20数面現存しているそうですが、そのうちの一枚です。貴重品ですね。

 この荘園図は、北を上にして、郡単位の統一的な条里制を取り入れて作られています。
この地図のグリッド線は、条・里・坪(坊=町)の方格線で、1区画は1町で、約109m四方の面積です。
また「町」は長さの単位でもあり、109mを1町と呼んでいたようです。
そして、6町4方が里で、何条(タテ)何里(ヨコ)の何という名称で記されています。
基本単位である「町」(=坪)を6x6に並べた区画 (つまり6町四方の正方形) は「里」と呼ばれた。

また、「町」の方格線内には、「坪」の番付表示(1~36)と田・畠・野・薮・宅地などの土地利用や面積なども記入されています。
一方、方格線の外側には、山・丘・川・沼の形とその名称や、道・溝・建物および荘園の境界線などが絵画的に描かれています。
荘園の所在地や景観を知るうえで重要な資料です。

奈良時代の、貴族や寺社の人たちは、荘園からの上がりで、豊かに暮らしていたようですが、百姓達は、公民の名の下でいいようにこき使われていたようです。