先生とは、幕末に日本にやって来たシーボルトのこと。これは、長崎の出島に作られたシーボルトの薬草園の管理を託された園丁、熊吉の物語である。6年間の在任中のシーボルトといえば、元遊女のお滝を妻に迎え、一女をもうけた。鳴滝塾を開いて全国の志ある若者を集め西洋医学の普及にも努めたし、江戸参府の折には幕府要人との交流もあった。西洋にない日本の自然を愛し、植物の採集に励み、日本を西洋に紹介することを望んだ。薬 . . . 本文を読む
園子という女は、随分と勝手な女だと思った。愛を感じないとか、愛情とセックスは別物だとか、まあ素直と言えば聞こえがいいが、何様だよ!という印象。越智が園子に「きみという女は、からだじゅうのフォックが外れている感じだ。」と言うが、僕には「だらしがない女だ」としか聞こえてこなかった。作者瀬戸内寂聴には、よく似た『夏の終り』という小説もある。ここに出てくる知子の場合は、自分で仕事を持ち自立した女性であった . . . 本文を読む
この作家の小説は、非常に哲学的だ。と言っても、けして読むのが難しいわけではない。それは品のある文章のせいもあるかもしれない。緻密なプロットで組み立てられた医療サスペンスでありながら、フランスという国に対する造詣が深いと思わせる文章で書くことのできる作家はそうはいまい。東大の仏文科を出ていながら、九州大の医学部も卒業している経歴が、この小説を書くにあたっていかんなく発揮されている。ピレネー山脈を抱い . . . 本文を読む
9月のはじめ、呉に行くことになった。いつものJ君たちと大和ミュージアムを見に行こうと決まったのだ。それにあわせ、戦時下の呉が舞台の漫画『この世界の片隅に』を読んだのだが、これが悲しく切ない物語でたちまち、漫画家こうの史代のファンになった。続いて、続編ともいえる作風の『夕凪の街 桜の国』も読んだ。こちらは広島が舞台だった。戦後数年経った広島で、口にせずとも原爆の後遺症に悩み苦しむ市井の人々が、痛々し . . . 本文を読む
大宰府での道真は、どのような日々を送っていたのであろうか?物語は、タイトルから受けるようなコミカルなストーリーではなく、若干のユーモアはありつつも、痛快、悲哀を織り交ぜ、独自の解釈も盛り込んで、読後感さわやかな道真物語となっていた。都での失意と怨嗟を引きずりながら大宰府に赴任してきた道真に接する、たちの心配りが実にいい。かつて権勢を誇った雲上人に対して媚びすぎるわけでもなく、一人の目上の人間に対す . . . 本文を読む
たった七日間しかなかった、昭和64年。そのたった七日の間に起きた少女誘拐事件、通称「64(ロクヨン)」。それから十数年。「64」の犯人は捕まらず、時効まであと1年。迷宮入りとなっていた。刑事として、その事件の最前線に立っていた三上は、今は警務部所属の広報官。「刑事」こそ誇るべき警察の仕事で、広報など「上に飼われた犬」「ゲス奉公」だと自虐の日々だ。たしかに、三上には家出した娘がいまだ行方不明のままで . . . 本文を読む
作家谷崎潤一郎も、そうとうファンキーなゲスだった。妻の妹と恋をしたり、その妻を友人の佐藤春夫に譲ったり(細君譲渡事件)、何度も再婚を繰り返すし、自分の立場(芸術的雰囲気を守りたい、と言った)のために中絶を強いたり。そのいろいろな行動を知れば、変質者的思考を感じることが多く、文豪、大谷崎の評価に相当するイメージが僕にはない。ただ、彼の場合、生きた時代が幸いした。今だったら、間違いなくその偏執的な性癖 . . . 本文を読む
カンナシリーズ第3作。『カンナ 飛鳥の降臨』からはじまり、全9冊でひとつのストーリーが完結するスジらしい。今回、主人公・鴨志田甲斐は、貴湖、竜之介と三人で、失踪した早乙女諒司の行方を追って吉野にやってきた。甲斐は、伊賀にある出賀茂神社(実在しません)の跡取り。はるか血縁をさかのぼれば、賀茂氏である役行者に行きつくということで、遠いご先祖様の謂れの勉強もかねてやってきたというわけだ。そこ . . . 本文を読む
「QED」シリーズにならぶ、「カンナ」シリーズものの第一作。伊賀にある、出賀茂神社の跡取りとして生まれた鴨志田甲斐。この家は、役行者から綿々と続く忍の一族である。で、題材は面白い。この神社、「蘇我大臣馬子傳暦」という社伝があるらしい。これがいわば歴史に闇の部分に関わりがあるのだろうという憶測を持たせ、先の展開に期待が膨らむ。この「蘇我大臣馬子傳暦」というものは、おそらく、平安時代に作られた『聖徳太 . . . 本文を読む
『そこに山がるから』そう言ったのは、イギリスの登山家、ジョージ・マロリーだ。彼は、1924年、その時まだ誰も成しえていなかったエベレスト登頂に挑戦の途中、行方不明となり帰らぬ人となった。エベレスト挑戦の歴史は、イギリス軍が遠征隊を編成した1921年にはじまり、マロリーが遭難した第3次を経て、ようやく1953年、エドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイのチームによって初登頂成功をみる。それ . . . 本文を読む
仏法の徒、沙門空海の、入唐してから長安の都でのきらびやかな活躍と、その長安を去るまでの物語。相棒、橘逸勢は、作者夢枕獏の代表作「陰陽師」の安倍清明にとっての、源博雅のような存在だ。だいたい、空海自身が人間ができすぎていて、多少のことでは物怖じもせず、感情の起伏が少なすぎる。だからと言って、あまりに軽い言動では、空海ではなくなってしまう。そこで、次から次へと襲い掛かる試練がいかに難問であ . . . 本文を読む
先日、不倫していた女性の旦那に、おちんちんをちょん切られた弁護士がいた。格闘家であったその旦那にノックアウトにされ、のびている間に切られて、そのおちんちんをトイレに流されてしまった。警察は血眼になって探していたが、おそらく見つかったところで原型をとどめておらず、縫合することも不可能だったろう。しかし、医者の解説によれば、おちんちんがなくても生きていくことは問題がないという。切られたところで、太い血 . . . 本文を読む
チョーサクこと推理小説家の長山と、亜里沙、塔馬、刑事のタコこと山影...。『南朝迷路』の次シリーズ的なこの話。映画のロケ現場から、100年以上も前のものと思われる即身仏が見つかることからストーリーが展開していき、何人かが殺され、チョーサクたちが事件の絡み合った糸をほぐして解決していく。まあ、簡単に言えばそうなるのだけど、次々に起こる事件と、堂々巡りの推理に、毎度毎度この作家の話には振り回されて飽き . . . 本文を読む
作家・森敦は、まさに放浪の人生だった。長崎に生まれ、朝鮮で育ち、東京で職を得、奈良東大寺で伴侶を見つけ、庄内を流転し、尾鷲、弥彦に住まいを持ち、最後は東京へ行き着き、世を去った。その森が、62歳という高齢で芥川賞を受賞したのが、この『月山』だった。森は39歳の時、この『月山』の舞台となる注連寺に夏の終わりから翌年の初夏まで滞在している。これはその滞在記かと思いきや、そうではなかった。晩秋から春まで . . . 本文を読む
往復書簡のみで構成されたこの物語。そのふたり、かつて夫婦だった勝沼亜紀と有馬靖明が、偶然再会した紅葉の蔵王。タイトルの錦繍(きんしゅう)とは、その紅葉のこと。錦を纏った、という形容詞にお似合いの美しい金色の景色が、最後までずっと脳裏に付きまとっていた。しかし、言葉の意味はそれだけではないようで、たとえば、デジタル大辞泉によると、 きん‐しゅう〔‐シウ〕【錦×繍/錦×綉】 1 . . . 本文を読む