栗太郎のブログ

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「沙門空海 唐の国にて鬼と宴す」全4巻 夢枕獏

2015-10-28 21:42:24 | レヴュー 読書感想文

 仏法の徒、沙門空海の、入唐してから長安の都でのきらびやかな活躍と、その長安を去るまでの物語。
相棒、橘逸勢は、作者夢枕獏の代表作「陰陽師」の安倍清明にとっての、源博雅のような存在だ。
だいたい、空海自身が人間ができすぎていて、多少のことでは物怖じもせず、感情の起伏が少なすぎる。
だからと言って、あまりに軽い言動では、空海ではなくなってしまう。
そこで、次から次へと襲い掛かる試練がいかに難問であるか、その代弁者としての逸勢の存在が生きてくる。
一大事が起ころうとも、空海は平気な面をしているので、そばにいる逸勢が代わりに大騒ぎして、事の重大さを伝えてくれるという寸法だ。

作者は空海の人物を評して、お互いに矛盾する智と野生、上品と下品、聖と俗を内部に同居させているという。
まったくもってその通りだと思う。
同じ遣唐使の使節団で一緒だった最澄とはまるで違う。(ちなみに、この物語のなかで最澄はまるっきり出てこないが)
片方に寄っている(智、上品、聖)最澄では、長安という「現場」での処世術はからっきしダメだったろう。
長安にやってきた空海なんぞ、もうすでに仏法者としての基礎も知識も人格も出来上がっていた。
ただ、遠くインドからやってきた密教(金剛界、胎蔵界の両方とも)を日本に持ち帰ることのみが目的だった。
空海は、持ち帰ったあと、『密をもって、あの国(日本)に呪をかけてみたいのだよ』という。
まさに、教えを広めるというよりは、「呪をかける」という言い表し方が、空海の意図するところによく似合う。
だからこそ、密を求めに来たもう一方の最澄を「商人」と評し、自らを「盗人」と臆面もなくいうのだ。
青臭い青雲の志のかけらのようなものなど持つことのない、リアリストの空海らしい自己評価だ。

その密の教えとは何か、空海が逸勢に対して示す場面がある。
桃の花や小石、はたは毒蛇や犬糞までもを引き合いに出して、『この宇宙に存在するものは、全て、存在として上下の区別はない』『全て正しいと言ってもいい』という。
あるものが正しいとか正しくないとかいうことはなくて、それを言うのは『人の理』なのだという。つまり理性という邪魔者をさすのか。
そして、密の教えとは、この宇宙に存在する全てのものを、丸ごとこの両腕の中に抱え込むということなのだという。
さらに、抱え込んでいる自らもまた、他のものと共にこの宇宙に丸ごと抱え込まれているだともいう。
なるほど、両界曼荼羅の宇宙観はそう解釈すればいいのかと、愁眉が開いた思いだった。
それならば、いままで理解しがたかった曼荼羅の世界がおぼろげながら身近に感じれるような気がしてきた。


さて、満を持してというか、勿体ぶってというか、物語も佳境になってようやく、長安において密教の本山であった青龍寺に乗り込んだ空海。
そんな空海に会うや否や、青龍寺の恵果和尚は、辺境の文化未発達の異国からやってきた、その異国ではまったくの無名の僧に、密教の一斉を授けてしまった。
しかも、その立場は単なる留学僧でしかない相手に、だ。
だがそれは、唐突とか気まぐれとかじゃなく、必然的なものごとの流れであった。
もちろん、青龍寺に籍を置く
数千人もの弟子たちにしてみれば、自分たちを差し置いて密の奥義をかっさらわれていくのだから、心中穏やかであろうはずがない。
しかし恵果にとっては、空海の登場は『光明』であった。恵果は会うなり、『人たらし』たる空海にすっかり惚れ込んでしまった。
作者は恵果を『孤独』であったというが、まさに密の継承を危うんでいた恵果は孤独だっただろう。
孤独な老僧にとっては、目の前に現れた光明なる若き聡明な僧に密教の全てを授けることになんの悔いがあることだろう。
もともとインドからやってきたものなのだ、ここ長安に留めておかねばならぬ理由などない、どこであろうと誰であろうと、
密の教えの純粋なる継承こそが使命なのだ、恵果はそう考えたのだと思う。
とは言うものの、やはり気になるのは
空海が密を日本に持ち帰ったあとの青龍寺である。
まさかすぐあとに衰退して廃寺になったりはしてないだろうと気になったが、調べると、空海のあとにも円仁や円珍が青龍寺で学んでいた。
ただ、のちの対仏弾圧政治や、そのまたのちには長安の都自体が衰退し、寺としての実態は消滅してしまったらしい。
 


と、空海の話ばかり書いてしまったが、この物語はむしろ、悲しく数奇な”楊貴妃伝説の伝奇ミステリー小説”と言ったほうが的を得た話だった。
楊貴妃が玄宗皇帝と共に都を落ちて蜀へと逃亡しようとしていた途中に殺害された史実をもとに、抜群の存在感を発揮する呪術師を登場させて物語を作り上げてある。
いくつもの「謎」が物語の中を交差し、そして「楊貴妃がもしも・・・」のフィクションを絶妙に絡ませてある。
それでいて、白居易の『長恨歌』を物語の核に巧みに据えて、文学的にも上質に仕上げた手法はみごと。
空海の活躍は、まるで40数年前に宮中で活躍した阿倍仲麻呂になぞらえているかのような印象さえあった。
タイトルにあるように、空海が唐の都・長安にて、「鬼と宴」をする場面がクライマックス。
呪で呪われた唐の朝廷が平穏を取り戻し、空海が皇帝にまみえるシーンは、まさに大フィナーレの様相だった。
読み始めたときは、唐に行っている間だけのストーリーで満足できるのか不安だった。
しかし、日本へ旅立つ空海が長安の街を去り、それまでに出会った人々との別れのシーンを読んでしまえば、この物語はここで終焉を収めてこそ、清らかなエンディングなのだと思えた。

あとがきによればこの長編物語、掲載雑誌もいくつかを経て、結末にいたるのに足掛け17年もの歳月がかかったという。
となると、作者夢枕獏は、初めにこの「宴」を構想し、その場面を迎えるまでの17年間を、ずっとずっと温め続けてきたというのか。
その執念たる価値のある物語と仕上がっていた。作者が鼻高々に自賛するのもむべなるかな。
ただ。
唐突に阿弖流為と田村麿との約束を持ち出してきたのには面食らった。
それまで二人の名前どころか、陸奥の話など一つも触れていなかったのだから。(どうやら、他の小説で二人と空海の絡みがあるらしいが)


満足度は7.5★★★★★★★☆

沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ1〉 (徳間文庫)
夢枕 獏
徳間書店

 

沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ2〉 (徳間文庫)
夢枕 獏
徳間書店

 

沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ3〉 (徳間文庫)
夢枕 獏
徳間書店

 

沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ4〉 (徳間文庫)
夢枕 獏
徳間書店




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2 コメント

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映画を観て・・・ (もののはじめのiina)
2018-03-05 09:37:58
いま公開中の「空海」を見て参りました。

夢枕獏は、「神々の山嶺いただき」でもエベレスト初登頂に挑戦の途中に遭難したジョージ・マロリーが頂を踏んだかの謎を扱ってました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/e1158d2ca552c12b66ec397a5ee8334c

こんどは空海が中国留学中に、権力者連続死亡事件の真相を追うミステリーに仕立ててました。
「描こう」としたのは、綴りのよく似た「猫」でした。
夢枕獏は、そんな書き手でしたか・・・。

原作を読んでみたく思いました。図書館に3巻だけあったので拾い読みしたら、この辺りから読んでも面白そうでした。

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>もののはじめのiinaさん (栗太郎)
2018-03-06 01:03:27
コメントありがとうございます。

映画「空海」、自分も今日観てきました。中国タイトルの「妖猫伝」のほうがストーリーにしっくりきます。小説でも、化け猫退治を中心に話は進められていきますので、原作を読んだものとしては違和感はないですね。
ただ、映画としてはスジが荒っぽくて退屈になり、つまらなかった印象でした。

「神々の山巓」はいい本ですね。このブログでも書いてます。マロリーの謎解きを絡めたミステリー仕立てには、とてもドキドキさせられました。ただ、映画はイマイチでしたね。
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