先日、不倫していた女性の旦那に、おちんちんをちょん切られた弁護士がいた。
格闘家であったその旦那にノックアウトにされ、のびている間に切られて、そのおちんちんをトイレに流されてしまった。
警察は血眼になって探していたが、おそらく見つかったところで原型をとどめておらず、縫合することも不可能だったろう。
しかし、医者の解説によれば、おちんちんがなくても生きていくことは問題がないという。
切られたところで、太い血管があるわけでもないので、止血さえできれば命に別状がないのだとか。
だけどあの弁護士は、一生、おちんちんをちょん切られた弁護士として生きていかねばらなず、社会的には抹殺されたようなものだ。
江戸時代。
今の山形の庄内地方で、川人足、つまり河川工事のドカタの下っ端で働いていた鉄という荒くれ者がいた。
その砂田の鉄は、鬼鉄とも恐れられるほどの乱暴者で、村八分にされてるわ、無銭飲食は日常だわ、賭場を荒らすわ、とんだろくでなしだった。
そんな鉄が、茶店で働く志乃に恋をする。
生い立ちも似てて、ちょっと気の強い志乃も、鉄に惹かれ、夫婦のちぎりを交わす。
そんな二人の仲を、志野に横恋慕した役人が邪魔をし、行きがかり上、役人をあやめてしまった鉄は追われ、追捕の侍の命までも何人も奪い、いよいよ、
身を匿ってもらうために注連寺に逃げ込んだ。
そして、鉄に殺されてしまった武士側でも、その体面を保つべく仇討の旅に出る者もいた。
僧侶として一生を生き抜く覚悟をした鉄は、鉄門海と名を改め精進の日々を過ごすのだが、そこに、鉄の居場所を探しあてた志乃が訪れる。
俗世を捨てた鉄門海は、志乃に会うことをせず、すぐさま行脚の旅に出ていくのだ。
ここから先がまあ、心揺さぶられる場面がいくつもやってくる。
疱瘡にかかった百姓一家のかわり、不眠不休で稲刈りをし、人の助けになることの喜びを知った鉄門海。
けして見返りを求めるでもないのその姿には、かつての乱暴者の鉄の面影さえない。
鉄を探し求めて旅を続けていた志乃と偶然巡り合った鉄門海は、狂おしいほど志乃を想う気持ちを押し殺し、不抱の修験者となった我が身を伝える。
おそらくそれだけでは諦めてくれいとわかってる鉄門海は、座をはずし、自分のおちんちんをちょん切って、布に包んだおちんちんをそっと志乃に手渡して、
ふらふらになりながら志乃から去っていく。
とまあ、ここでおちんちんに話になるのだが、修験者だからと用無しだという意味か、これを形見にでもとでも言いたげに自分のものをちょん切る決意とは、生半可なものではない。
他人に身を任せるのだって怖いのに、自分で切るのだ。自分で。
志乃も、その決意の強さを察し、悲しみ、怒り、泣きもだえる。
ショックで身体を壊した志乃を、宿の主人は「万人への愛を選んだのだ」と慰めるが、
「何が万人への愛ですか!女は好きな人なら凡人でも馬鹿でもいい!自分ひとりだけ愛されたいのよぉ!」と泣き叫ぶ志乃。
ちなみにこの男くさい劇画の作風で描かれた漫画は、不似合いにも週刊女性に連載されていた。
女性向け雑誌でありながら、時代劇漫画を掲載した発案にも驚くが、この場面など、まちがいなく女性読者の心を打ったはずで、連載は間違いではなかったと思う。
このあと自暴自棄になった志乃は、やくざ者に手篭めにされるわ、借金の形に客を取らされるわ、しまいに女郎に落ちる。
そこまでならよくある転落人生なのだが、運よく鉄門海に助けてもらった志乃は、そこから人の助けになる道を見つけ、文字を覚え、寺子屋の助手として自立していくのだ。
一方、江戸にたどり着いた鉄門海は、伝染病の眼病に苦しむ民衆を助けようと奮闘する。
当時、治癒できる薬などなく、病魔に苦しむ人は日ごと増えるばかり。
なにか手立てがないものか思い悩む鉄門海、まずは、町のいたるところに積まれたゴミを集めて燃やし、生活環境を清潔にしようと試みる。
その行動は、それまで加持祈祷くらいしか手だけを持たなかった坊主どもや、胡散臭い薬を売る輩に比べれば、きわめて現実的なものだった。
広い広い江戸の町を、地味にゴミ集めを続ける鉄門海に人々は次第に尊敬のまなざしを向けだす。
そんな矢先のこと、幼子を抱えた夫人が激痛に苦しむ姿を目の当たりにした鉄門海は、短刀で自分の左目を刳り抜き、鮮血を吹き出しながら、
「湯殿山大権現に御願い奉るーッ!!我がこの一眼にかえて江戸諸人の眼、何卒平癒候えーッ!!」と叫ぶ。
その作画から、鉄門海のとてつもない意志がわいてくるようだった。僕はおもわず、涙がこぼれだした。
その場にいた仇討の追っ手も、その崇高な行為を目の当たりにして手出しなどできるものではなく、のちに仇討を諦め潔く浪人に身をやつしてしまう。
そののち、険しい難所がゆえに、年に数人の犠牲者を出すという加茂坂を通りがかった鉄門海は、たったひとりで頑強な岩に穴を穿ち始める。
二町もの長さのトンネルを掘ろうと何年も作業を続けるその強靭な意志に心打たれ、次第に理解者も現れてくる。
そこに、かつて父を殺された座波新太郎がやってきて、仇の鉄門海を討とうとするのだが、貫徹まで待つ約束をさせられてその時を待ちながら、
傍で鉄門海の姿を見ているうちに、仇討の決意も揺らいでいく。
ここで『恩讐の彼方に』であれば、その作事を手伝いながら、変わり果てた鉄門海の人柄に触れ、ようやく向こうへ通り抜けた時に射してきた一条の光を受けながら、
手を取り合って涙する場面、となる。
だがこの漫画はそうしない。結局その先も仇を討つ意志を捨ることはない。しかし、作仏の興味心も芽生えた新太郎の心情も変化していく。
また、加茂坂で奮闘する鉄門海を知った志乃も、安住の生活を離れ、一心に岩を砕き続ける鉄門海の助けになろうと、彼の世話を献身的に尽くす。
もうこのとき、二人には愛欲の情は消えていて、お互いがお互いを、信頼し尊敬できる唯一無二の人間として、大切でかけがえのない存在に浄化されているようだった。
貫徹の悲願成就を成し遂げながらも鉄門海は、村人の前から姿を消し、各地でまたいくつもの事業を成し遂げ、最後に注連寺へと戻った。
新太郎もまた仇を討つこともなく、かといって鉄門海に帰依するでもなく、いつまでも横柄でぞんざいな態度でいながらも、鉄門海の傍らに居続ける。
養子を迎え家業も軌道に乗った志乃もまた、そんな鉄門海の居る山深い注連寺へ年に一度訪れることを楽しみにする後生を送っていた。
幾く年も歳月がながれ、あるとき、注連寺を辞した志乃がその帰路に行き倒れとなる。
その志乃の亡骸を抱え、言葉なく泣きつくす鉄門海の立ち姿は、この漫画一番の場面。ここでまた僕の頬を涙が伝う。
そして、鉄門海は即身仏になるべく、五穀断ち十穀の木食行に入った。鉄門海のほかの行者とちがうととこは、土中入定ではないことだ。
本堂にて結跏趺坐し、断食をし、衆前にて入定した。ときに、文政12年(1829)12月8日。弘法大師のその時と同じ日であった。
当然ながら、志乃をはじめ新太郎や追手の酒井藩士は架空の人物だし、この漫画のプロト版では名前も違う。
もちろん、フィクションで彩られた物語であることは承知である。
しかしながら、「愛朽つるとも」とタイトルにありながらも、この愛はけしてけして朽ちることはありえないだろうと信じられる確かな筆力がある漫画だった。
漫画家とみ新蔵、このとき若干20代なかば。その力量に感服。満足度8★★★★★★★★
鉄門海上人伝―愛朽つるとも (上巻) (レジェンドコミックシリーズ―とみ新蔵作品 (10)) | |
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鉄門海上人伝―愛朽つるとも (下巻) (レジェンドコミックシリーズ―とみ新蔵作品 (10)) | |
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