先週の土曜日。「アンコウでも食べに行こうか?」と、カミさんと太郎ちゃんを冬の茨城の海に連れ出した。僕の目的は、アンコウよりも天心にあった。テンシンと読む。あやうくトコロテンとでも読みちがえそうでもある。(正しくは心太であるけれど)岡倉天心。明治初期、西洋化に邁進する日本にあって、日本の伝統美術の保護に奔走した人物である。明治日本の美術史、特に奈良の寺院に残る多くの仏像など、天心なくして語れない。そ . . . 本文を読む
久々の東博に行ってきた。「東大寺大仏 天平の至宝」展今回の音声ガイドのナレーションは俳優の国村隼。NHKのドラマ「大仏開眼」で、聖武天皇を演じたその人である。僕としては、カモカのおっちゃんのほうがしっくりくる役者さんではあるけれど。チラシにあるように、目玉は八角燈籠のようだ。僕とっては3月以来の再会である。いつもは、大仏殿の足元を照らすかのような位置にいる。源平合戦の平重衡、戦国期の松永久秀、二度 . . . 本文を読む
八溝山で散り散りになったザンギリ隊の面々の多くは、追討軍の迫る南方を避け、那須方面や棚倉方面に逃亡した。そしてそのほとんどが捕らえられ、斬首の刑に処せられている。大将の田中愿蔵はといえば、数人で下山しながら最後には一人になり、真名畑村(福島県塙町)というところまで逃れたところで、代官所の役人に捕らえられた。愿蔵は、塙代官所で訊問を受けたあと、久慈川の河原の刑場で斬首となる。現在、国道118号線に隣 . . . 本文を読む
天狗党結党いらい、なにかと評聞の悪かった元凶といえば、田中愿蔵(げんぞう)率いるザンギリ隊。ザンギリ隊は、党の中でも当初より倒幕を唱えていたともいい、けっして反幕ではなかった本隊中枢とははじめから目指すところが違っていたのかも知れない。ザンギリ隊は那珂湊の戦いにおいて、その北方にある助川の陣所を占拠すべく行動するが失敗。その後、本隊に合流せずに単独行動をとることとし、一路、八溝山に向かった。大子の . . . 本文を読む
後日、奥久慈の宿場町、大子に行った。かつて関鉄之助が郡奉行与力をしていた地域であり、那珂湊から退却してきた天狗党が集結した場所でもある。天狗党本隊と離別したザンギリ隊が、八溝山に籠もる際もここを通ったはずである。幕末の水戸藩において、尊攘活動に身を投じたり、物資面でを支えた人材も多い。今でもその風土が残っているのかと期待しつつ、前日には、町のHPをながめてみたのだけど、歴史資料館的な施設もない。観 . . . 本文を読む
水戸を離れ、那珂湊へ向かった。着いた先は、昭和12年(1937)に復元された反射炉跡。海防の必要性を痛切に感じていた斉昭は、海に近いこの地に反射炉を建設した。反射炉は、幕末当時、主に鉄の精錬に使われた。洋式大砲の砲身を鋳造するためである。薩摩藩や肥前鍋島藩など、軍事力強化に力を注いだ藩はこぞって反射炉を導入した。しかし、外敵を駆逐する目的(攘夷)のために造られた大砲も、同じ日本人同士の内戦で活躍し . . . 本文を読む
水戸市内、松本町にある天回神社。「天回」の名の由来は、藤田東湖の著書「天回詩史」より。東湖はその著作を蟄居中に書いた。辞書で引くと『時勢を一変させること、衰えた勢いを盛り返すこと』とある。東湖自身もさることながら、天狗党の面々にとっても、自分たちの力で時勢を変えていこうとする気概にふさわしい名前だと思う。越前敦賀で幕府軍に投降した天狗党の面々823名は、当初、加賀藩の手配で3つの寺に収容され温情を . . . 本文を読む
水戸城をあとにして、かつての江戸街道のほうに向かった。柳堤橋から、水戸城址をふり返る。正面の森がそれ。橋のたもとから先に、備前掘が今に残る。くねくねと曲がった備前掘をたどると、水戸城下から江戸街道の起点となる、銷魂橋にさしかかる。魂消橋とも書かれたりもし、呼び方は「たまげばし」。この橋の手前が水戸の御城下で、先は吉田村となる。江戸時代、高札が立った場所でもあり、今と違って、人の往来が盛んだったこと . . . 本文を読む
オープンセットを出て千波湖をぐるりとまわると、徳川斉昭と慶喜の親子の銅像があった。父斉昭の薫陶を受けている、幼少期七郎麿の姿である。斉昭には、男女合わせて37人もの子がいて、慶喜の他にも男子の半数近くはほぼどこかの殿様におさまっている。嫡子慶篤が水戸藩主、五男が鳥取藩主・池田慶徳、八男が川越藩主・松平直侯、九男が岡山藩主・池田茂政、十男が浜田藩主・松平武聰 、十一男が喜連川藩主・喜連川縄氏、十六男 . . . 本文を読む
10月2日の晴れた日、水戸まで足を運んだ。吉村昭の、「桜田門外の変」「天狗争乱」を読んだあと、その地を訪ねてみたくなったのだ。まずは、もうじき公開の映画のオープンセットへ。景勝地偕楽園のほど近く、千波湖のほとりにそのセットはある。日本最大級のロケセットだそうだ。入場料800円。中に入ると、真っ先に外桜田門のセットがある。 外桜田門のセット ※こちらは現在の桜田門です屋根には、雪を模した白化粧が施さ . . . 本文を読む
先週末のこと。東京日本橋まで行って来ました。向かった先は、三井記念美術館。 この先の左側のビルに行き着くと・・・ やってました、この展覧会。「奈良の古寺と仏像展 -会津八一のうたにのせて-」HPはこちら→http://butsuzo.exhn.jp/index.htmlたしかこれって、新潟の美術館だかで開催予定だったのが、虫だかカビだかの異常発生のおかげで長岡に場所を移してようやく開催に . . . 本文を読む
土曜日。下館の近くに用があったので、久し振りに観音さま巡りをしてきました。行ってきたのは、桜川市にある雨引観音。ここは坂東24番札所。あまびき、あまびき、、、看板を見ながら何度も繰り返して読むのだけど、少しするとまた、あめ・・、あま・・、あれ?、どっちだったっけ?となってしまう。じつは、こういう読み方は苦手なのだ。筑波山の北、雨引山の中腹にこの寺はある。やってきました。本堂と多宝塔です。正面からの . . . 本文を読む
日曜日、千葉の佐倉までひとりで出かけてきました。 行った先は国立歴史民俗博物館、通称・歴博(レキハク)。 http:// www.rek ihaku.a c.jp/in dex.htm l 観てきたのはこれ。 『百鬼夜行の世界-百鬼夜行絵巻の系譜-』 http:// www.rek ihaku.a c.jp/ev ents/p0 90718.h tml 百鬼夜行と書いて、ヒャッキヤギョウと読むらし . . . 本文を読む
去年の1月。
103歳にして亡くなった画家、片岡球子。
それまで、この人のことを全然知らず、新聞にあった平山郁夫画伯の寄稿文を読んで、スゴイ人だったんだと認識した次第。
一緒に載っていた彼女の絵は、大胆な富士山。
構図もキャンパスからはち切れんばかりで、彩色だって生々しい。
躍動感たっぷりの迫力。
こりゃあスゴイわあと感心していた。
その時以来の球子さんの展覧会が、ようやくやってき . . . 本文を読む
今朝、電車の中で司馬遼太郎「街道をゆく・奈良散歩」を読んだ。
もちろん、阿修羅展に行く自分のテンションを盛り上げるためである。
そんなことをしなくとも、昨晩はなかなか寝付けず、じゅうぶん遠足の前日状態ではあったで、必要なかったかとも思う。
でも、そんなことでもしていないと、電車の速度がまどろっこしく感じてしまう自分を抑えきれない。
むしろ、テンションを抑制する効用はあったようだ。
と . . . 本文を読む