栗太郎のブログ

一人気ままな見聞記と、
手づくりのクラフト&スイーツ、
読書をしたら思いのままに感想文。

「東大寺大仏 天平の至宝」展 @東京国立博物館平成館

2010-11-17 20:59:44 | 見聞記 関東編

久々の東博に行ってきた。「東大寺大仏 天平の至宝」展


今回の音声ガイドのナレーションは俳優の国村隼。
NHKのドラマ「大仏開眼」で、聖武天皇を演じたその人である。
僕としては、カモカのおっちゃんのほうがしっくりくる役者さんではあるけれど。


チラシにあるように、目玉は八角燈籠のようだ。僕とっては3月以来の再会である。
いつもは、大仏殿の足元を照らすかのような位置にいる。
源平合戦の平重衡、戦国期の松永久秀、二度の兵火の災難により大仏殿が焼け落ちても、この燈籠は残った。
とはいえ、きらびやかに表面を覆っていた金は焼き剥がれ、よくみると、そのときの損傷かと思わせるキズ跡もやたらにある。
轟々と燃えさかる大仏殿の逆光を背に受けながら、黒いシルエットが揺らめいていた光景が浮かんでくるようだ。
過去を振り返ること20年ほど前、我が母校の小学校が火災に遭い、全焼したことがある。
あのときの、玄関前で炎を背負う二宮金次郎の姿を思い出してしまった。
業火に身を委ねるかのような、悲しげな姿であった。
八角燈籠もまた、そうであったのだろう。


今回の展覧会では、重源上人に会いたかった。
このお方、平重衡の兵火によって大仏殿もろとも焼け落ちて、おいたわしく変わり果てた大仏様を再興した功労者。
僕は重源上人坐像の目の前に立ち止まり、じっくりと観察する。
像の大きさ、色合い、法衣の折れ目、ノミのあと、横顔、背中の丸み、盆の窪、、、。
やはり写真からでは感じ取れない味わいがあるものだ。
まるで即身仏のような干からびたお姿というか、たったいま火事場から這い出てきたかのような表情というか、
とにかく苦労苦労で生きぬいたその人生を体現している。
でもこういう人は、苦労を功徳と感謝しながら生きていたんじゃなかろうか。
できることなら、その背中を擦ってあげたくなってくる。


ほかにはこの時期限定で、正倉院の宝物がいくつか展示されていた。
その中でまず目を見張ったのが、天平宝物筆と天平宝物墨。
これは、大仏開眼の際、インド僧・菩提僊那がその目に墨を入れた筆とその墨の実物なのだ。
おまけに、平安末期文治元年(1185)の開眼の時も、この筆と墨を使ったという。
筆にはそのことを示す「文治元年八月廿八日 開眼法要法皇用之 天平筆」と書かれている。
開眼法皇とは、後白河法皇のことだろうか。
長さ65.2mmもある筆の先には、墨の染み跡が残っている。
ただの竹筒と言ってしまえばそれまでだけど、光明皇后にとってはやはり大事な記念の一品であった。
なんだか僕も、机の片隅のどこかにしまってある、好きな子に貰った15cmのモノサシを探してみたくなってきた。


そして、縹縷(はなだのる)。
毛糸を纏めたような束になって、もっさりと置いてある。
この紐は開眼のそのとき、筆に結わいつけた。
全長200mもあるという紐の先は、参列した聖武天皇や光明皇后などが手にしたという。
その名、ハナダのル。つまり、青色(縹)の細い糸(縷)。
縹色(はなだいろ)とは、明度が高い薄青色のことという。
原料を露草に由来し、「花の色は移ろいやすい」と言われるように、その色は褪せ易かったようだ。
でも目の前にある縹縷は、その儚さを気持ちよく裏切るかのような鮮やかな色彩である。
筆といい、墨といい、紐(縷)といい、1250年以上もの時間を経て、その光沢を失わずに現代にあるという事実に、しばし見惚れた。
正倉院関係者の努力により、おそらくこの先の1000年もまた、おなじ色彩を失わないでいてくれるだろう。


みつめながらふと思う。・・・青、青、青。胸に引っかかった「青」の文字。
そうそう、青衣の女人!
たしか、過去帳読み上げの時にあらわれた青衣の女人の逸話は、鎌倉時代のこと。
もしかしたら、天平はもちろん、文治の開眼でも使われたこの縹縷の精魂が、
「二度も大役を果たしたのに、わらわの名を呼ばぬとは何事ぞ」、と出て来たのが真相だったりして!?

・・・んなことは、ないよなぁ。


午後5時。
いつものように、閉館時間まで館内に居座った僕は、館内放送に追い立てられるように外に出た。
ふり返って見上げた空は、まるで縹縷のような深い青。
この季節の夕闇はとてもキレイな色をしている。この空の色も、永遠であってくれたらいいなあ。





 帰宅後、スケッチ。



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (luna)
2010-11-23 01:25:21
天平の至宝展(東博)、観てきたのですね!うらやましいです。
私は行けそうもありませんが、栗太郎さんのブログで楽しませてもらいました。
重源上人の像は私も写真でしか見たことはないのですが、歩んできた人生や背負ってきた人生そのものが表現されていて、思わず手を合わせたくなりますね。以前に観た鑑真和上像でもそうでした…。
ホームページも見てみたら、「はなだのる」は当時の色味が鮮やかに残っていて驚きました。本当に1250年も前のもの?というほど発色も美しくて…。他にも快慶作の仏像や釈迦誕生仏なども観てみたいなぁ。ご報告ありがとうございました。
返信する
>lunaさん (栗太郎)
2011-01-30 16:59:12
コメントに気付くのが随分と遅れてしまい、大変失礼いたしました。

すばらしかった、件の展覧会。
気持ちのいい想いで観れました。やはり仏像は直接お会いして、その存在感を感じるのが一番よいですね。
だからいずれは僕も鑑真和上にお会いしてみたいと思ってます。
一番の発見はやはり、はなだのる。青の発色のよさは特出ものですよ。
ついつい長居してしまうほどです。
まるで、その歴史さえも色褪せないということが伝わってくるようでした。
で、そうなると僕の放浪癖がうずくのです。
もし機会があれば、また一人で奈良の旅に出たいと思う今日この頃です。
返信する

コメントを投稿