蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

高齢者の覚悟

2014年03月12日 | 介助ときどき日誌
高齢者を取り巻く環境は厳しい。
著作本の紹介に『ばあちゃん、介護施設を間違えたら もっとボケるで!』

なんと衝撃的な題名だろう。
たしかに以前から介護施設でのトラブルが、社会問題でとしてあがっていた。
最近はなりをひそめていたような気がしていた。

団塊世代の大量高齢化を前に、頭を持ち上げてきた警告書だろうか?

老母をまじかに見ていて、最近この手の話題に目がゆく。

母はおかげさまで恵まれた環境にあるといえます。
忙しそうなスタッフ、入れ替わり立ちかわり顔が変わる新人スタッフ。
もう名前が覚えきらないと嘆く母。

それでも仲間との食事時の会話や、窓から見える雪景色や、窓ガラスを横切る鳥の話を、
時折訪ねる私に聞かせる表情に安心し、スタッフに感謝する。

昨年夏の母。今年の春を予感したような1枚


ここが終の棲みかになるから、みんなと仲良く、限られた空間で自分らしく生きることを、
心がけている様子に感心する。

大阪から安曇野へ転居すると決めた時も、一緒に暮らしたいとは一度も言わない。
60歳から30年間、気ままな一人暮らしを愉しんだ母には、実の娘といえども
気がねな毎日はかなわん!

これが正直な感想だったろうと思う。
60歳で失くした父の遺言が「娘に迷惑をかけるな」だったらしい。
結局、父が遺したわずかな資産をコツコツと蓄財しながら生きてきた。
ホーム入居を期に私が資産管理を預かり、驚いた。
ばあさんがなしてこんなに運用できたのか? 
とは言え世間からみれば大したことないが・・・・我が家レベルの話
昨日訪ねた折「お父さんが亡くなった時、遺産分けしなきゃいけなかったんだねー」

「だって当時余裕があるなんて思ってもみなかったよ~」
「いいじゃん、自分で支払える間はこのホームに居座ってたら。後はなんとかするさ。行きたいところへ行き、食べたいものを食べれば。
東京のお墓にちゃんと送ってあげるから心配しなさんな」

「墓地には無縁仏塔があるから」
父のこどもの頃からお世話になっているお寺さんで、長いおつきあいである。よもや無下にはせんだろうという。

なるほど!
しかしお墓の心配はともかく、老老介護だぞ~。ゆめゆめ100歳への道は・・・・うへ!

歯は自前、心臓と胃腸が丈夫、やや高血圧、耳は難聴だが補聴器で会話は出来る。
2012年7月要介護3から出発し昨年春要介護2へ。この春から要支援2へ飛躍。やるもんだ。

昨年の6月26日は転倒骨折し緊急入院した1周年。私の人生はあの日で終ったんだと嘆いていたっけ。
しかし考え知恵を出し、狭い世界の中でもそれなりに努力しているんだろうね。

無駄を省き、小金を少々貯め、歯磨きを励行し虫歯を作らないようにして胃腸に負担をかけない。
好奇心を失わず、世界を狭めないように努力してなおかつ健康を心がける。
少しずつ勉強させられているが、ふ~歳をとるのもしんどいこっちゃね。
と思いなながら
根性無しは、まあなんとかなるだろう・・・・とあくまで楽天。

そこで、座右の銘とまではいわないがモットーは
女は度胸
旅は愛敬
介護は楽天と行きましょう

余談
若い頃といっても50代前後の一人旅のモットーは
用意は周到
女は度胸
旅は愛敬

精神構造が進歩してない
コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« おお寒! | トップ | 自立支援 »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
うらやましい (路進)
2014-03-12 22:09:29
この年にして思うのですが、父と息子の関係と母と娘の関係は。。。違いますね。どちらがいいというのではなくて・・・やはり男はかっこつけすぎか、プライドか・母と娘の関係は素直に親子、姉妹、親友のような。男としてはうらやましい。
返信する
若いころは (蔵くら)
2014-03-13 15:17:28
厳しい母でした。その頃はまさかこんな展開になるなど露
ほども思いませんでした。
私には兄弟がなく、夫は早くに父親を亡くしているため、どうもその辺りの思惑は理解しがたいのですが、最近は特に繋がりの深い母娘が多いようですね。。
返信する
手本になるなあ (やまがら)
2014-03-13 16:02:11
私も母が今年は90歳になる。今は弟のところで一緒に暮らしている。支援2ということではあるが一応かろうじて一人で動ける。自炊もしている。しかし逢う度 電話で声を聞く度「また少し老いたな」と思う。
最近は10歩も歩くと痛くて・・・というので温泉治療においでといっても世話かけるからと来たがらない。でも本心は娘と住みたい様子はある。最近は「長く生き過ぎた」とよく言う。「世話かけるから」「長く生き過ぎた」この言葉を聞くのが辛い。去年までは一人であずさで来れたけど 果たして今年は来れるだろうか?八王子から一本で来れるので助かるが。いろいろお話を聞いていると参考になります。
返信する
自身に経験がないから (蔵くら)
2014-03-14 22:06:30
迷ったり困惑したりするんでしょうね。
母も「長く生きすぎた」と言います。しかしここまで生きてきたということは、運もあるでしょうが、丁寧に生きてこられたということでもありますね。

お一人での来信はもう難しいかもしれません。無理は禁物。骨がもろくなってきているので、ちょっとのことで骨折します。お迎えに行って差し上げ、信州を味わい刺激を受け、長生きしてよかったと、お元気になられるかもしれませんよ。
返信する
ありがと (やまがら)
2014-03-14 23:03:22
そうですね 季節が良くなったら迎えに行きましょう。そうします。長く生きたことを後悔だけはして欲しくない。波瀾万丈な人生で 本当に丁寧に立派に生きて来ていますから 世話になりますよって言って欲しいです。
返信する
Unknown (蔵くら)
2014-03-16 16:09:38
やまがらさん、道中お気をつけて!

母は季節がよくなったら「高山へ行こうかな?」と言います。
無理強いは禁物ですが、自身で決めるなら介助しようと思っています。
しかし直前になると、やっぱり部屋に居る・・・ってことも。
返信する

コメントを投稿

介助ときどき日誌」カテゴリの最新記事