蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

あぶない聴講生

2005年10月07日 | つれづれ思うに
10月4日
「豊科近代美術館」で「片岡鶴太郎展」が10月16日まで開催されている

ずっと以前に観光で来た時、穂高駅隣のギャラリーで数点鑑賞して以来である。
その頃は、よくある有名人か芸能人の絵かと思っていたが、なかなか私好みで
あったのを記憶しています。
今回は桜が主テーマのようだが、私には予想どおり気に入らなかった。
彼の真髄は魚と野菜と果物に尽きる!
ルオーや佐伯祐三の画風に似ているのが好きな理由です。

常設展示のなかで、高田広博厚の彫刻はほとんどの作品がここにあるという。
荻原碌山のように、ここ安曇野にゆかりがある作家ではない。
作家の全体像を提示する目的と作家夫人の好意による賜物だと思うが、
導入時の住民の熱意はどこまでだったのだろうと少し気になった。

同じロダンの影響を受けながら、碌山のゴツゴツとした逞しさと激しさに比べ、
高田博厚の作品群は柔らかく気高さを感じた。
世代の違いや過ごした青春、短く生きた碌山とその3倍近くを生きた高田博厚・・・

2階の企画展へ
「階段は静かに」より嬉しい




美術館は天井が高いから。勿論近くにエレベーターがあります
最近の公共トイレに「綺麗に使ってくれてありがとう」と同じ逆説的手法ですな
美術館さんへ。美術作品は撮影しておりません。ご安心ください

10月6日午前中ときどき
「安曇の歴史」講座を聴講

美術館となりに南安曇教育会館があり、講師は「中島博昭氏」(市民タイムスから)。
つい最近図書館から借りた伝説本の作家の名前だったので、講座の主旨など
理解しないまま参加した
会議室には約30名ほど。講師の「どちらから参加ですか?」の質問に
茨城 埼玉 奈良 四国からも・・・・。ずいぶん遠くから来てるんだなあ、
そういえば部屋の隅にバゲッジがいくつかあったのに、それでもまだ気づかない
いつものアワテモノ。
私に質問がきたら「大阪から8月に穂高へ転宅して来ました」と答えようなどとのんきに考えていた

後でわかったのだが、豊科近代美術館と京都造形芸術大学共催の
通信教育部・スクーリング授業だった。どおりで遠くから・・・・
5年目だそうで勿論、地元や県外の当講座のみ参加もOKです。
今年度は3日間6講座とおして受講料500円 1講座ごとの聴講も可 500円/講座
(講座内容はホームページ参照)

講義内容(抜粋)
安曇は高峻なアルプスから東山へむかってのびる複合扇状地であり、
荒い石や土による地下浸透のため、古来不毛の地であった
 (管理人感想:下って江戸後期、この地の農民たちの汗と努力による
治水事業=拾ケ堰がつくられ、今は安曇野米、豊かな農産物の生産地となっている)
写真:偶然にも美術館からの帰りに撮ったもの(三郷にて)


○古代
漁業・船舶運輸にたけた北九州の安曇氏がはるばるこの地方へやってきて、
干拓事業、国をつくりをし、朝鮮国との交易から先進的文化・芸術の素を持ち込んだ
(管理人感想:ひょっとして「穂高神社」の「御船まつり」はその由来か?)
穂高神社は父・綿津見命と子・穂高見命を祀る
○中世
仁科氏が大町東部に拓いた領主時代に京文化が導入された
 (管理人感想:鉾が7基、各地区を練り歩き八幡神社に集結する隣の池田町
   の祭ー写真下2枚ーが京都の祇園祭の縮小版に見えたのは、あたらずとも遠からずか?)

○近代
臼井吉見の長編小説「安曇野」により安曇野に集う人々の「自前の自由と平和」精神が広く披露された
さらに新宿中村屋の創業者 相馬愛蔵(穂高出身)・黒光の日本初と言われる「中村屋サロン」
「男女平等」「自由と平和」に目覚める芸術家その他の人々が集まり、彼らを援助した
○もっとさらに「きけわだつみのこえ」(特攻隊員の遺書・所感)の上原良司が穂高出身で、残した所感は
「全体主義はいかん」「人間は自由であるべき」だった
「あゝ祖国よ恋人よ」2005.5 信濃毎日新聞社刊で中島博昭氏も執筆参加しておられます。

こうして安曇野には古代から脈々と豪快 自由闊達 自立の精神と反骨精神が培われているようです
ちなみに、東京大空襲を危うく逃れた私が生まれた日から1ヶ月半後に、
上原良司は22歳で日本を憂いながら、沖縄の海に没したことになる
コメント (5)
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