ウツウツ記

毎日の生活で感じたことを書いています。

LONG LONG AGO

2010-04-12 17:09:49 | 読書
重松清さんの「LONG LONG AGO」を読んだ。
学生時代を振り返る短編を集めた小説だ。
重松さんとは年代も同じなのですんなりと小説の世界に入り込むことができ、
優しい視点も好きだったはず。
なのに最近、彼の小説を読むと何だかうざったい。
(大変失礼・・・すみません・・・)
今回の短編集も、背景とかはすぐに浮かんでくるほど
よく似た経験をしているのに。

何故かな?と考える。
多分。。。
それは昔は懐かしいでしょ?イヤな思い出も時間が経てば思い出になるよね?
という感じに嫌悪感があるのだと思う。
それは、お母さんは優しいでしょ?というのと凄くよく似ている。
そういう人が大部分なんだろうな、と改めて認識させられる。
その方程式にあてはまらない私って変?
と感じるのだろう。
つくづく、人の感じ方って違うのだと思う。

私は母校とか故郷とか、そういう言葉に出会うと困ってしまう。
どこが母校かな、と思う。
どこが故郷なのかな、と考え込む。
小学校は4校通った。
中学は小学校6年で編入した学校と続いていたので
そこに皆と一緒に通ったが
この学校は幼稚園から中学までの一貫教育の学校で
99%が幼稚園からの生徒で占められていた。
そこで中学を過ごしても、私はずっと転校生の立場だった。
高校はその中学の女子が9割進む公立に進んだ。
やっと初めて、皆と同じスタートラインからの出発を経験した。
だから、高校からは母校という感覚も少しはあるけれど
小・中学校はいつもお客さんの感覚なのだ。
日常生活に慣れることはあっても、
愛着はどこか薄い。
当然だと思う。
だから母校という感覚が、正直わからない。
故郷も同じだ。
どこでも住める、多分。
嫌いでも、住める。多分。
でも、愛着は持てない。
寂れる一方の街に残って頑張る、なんていう感覚は全くわからない。
不便で暮らしにくいなら他へ行けばいいのに、
と簡単に思ってしまう。
この風景が懐かしい、という感覚もない。
というか、懐かしい風景なんてない。
自然は綺麗だと思うけれど、多分3日で飽きる。
不便な街は単純に嫌い。
私に心の何処かに、縛られる窮屈さもない代わりに
必ず帰れるという安心感もないのだろうと思う。

皆そんなに、母校も故郷も懐かしいんだろうか。
それとも、懐かしくない私は希薄な時間を過ごした
残念な人生なんだろうか。
当分、重松さんの本は読まないんだろうな。
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