本日も雨。
昨晩はかなり強く降りました。
2日続けての雨なので、洗濯物が乾かない。
一つだけ良いことは、花粉症がやや軽めなことくらいです。
それでもまだ、時折死にそうになる鼻詰まりと
眼が痒くてたまりません。
さて。
21日(日)は私たちが結婚してから40年の記念日でした。
40年・・・
信じられませんね。
見合い結婚です。
当時の私は、就職先がどうしても肌に合わず
毎日、通勤時は腹痛に襲われ、各駅で降りてはトイレに駆け込む日々でした。
そして週末は発熱することも多かった。
なので、辞めることばかり考えていました。
大学を卒業しながら、生きていくこととか生活していくこととか
そんな基本的なことを全く考えることがありませんでした。
ダメな若者でしたね。
家を楽しいとは思っていませんでしたが
さりとて、親から離れて自活する勇気もありませんでした。
どうしたら、円満に家から離れ、仕事から逃げ出せるか
それだけを考えていました。
やはり、結婚、が一番周囲と摩擦が少なそうだと思い
結婚しかない、と思っていた頃に現れたのが夫でした。
やはり結婚は、タイミングだと思います。
結婚して来た所が、今住んでいる街です。
夫は東京育ちなのですが、
就職した会社で配属された所がここだったのです。
親も友達も遠くなり、本当に二人だけの生活から始まりました。
誰も頼る人がおらず、
今のようにネットがある生活でもなく
想像もしたことがない田舎生活で、多々驚くことはありました。
夜田んぼで鳴くカエルの声に驚いたり
虫がいたり。
言葉の違いにも驚きましたし、デパートが一個しかないことも衝撃でした。
まるで共産圏に来たようだ、と感じていました。
何処かにでかけても、小さな街だと常に誰かに見られている。
それにも驚きました。
遠距離見合いだったので、会ったのは10回程度だったと思います。
そんな人と二人、生活を築いてきたのですから
不思議と言えば不思議なことです。
お互いに、生活して初めて知ることも多く
相手の言動に驚くこともお互いに多かったと思います。
喧嘩もしました。
ただ、駆け込む所もない、簡単に愚痴を言える人もいない
(当時の電話代は高かったのです)
介入する人がいなかったことは、良かったと思います。
なんとか二人で折り合いながら、生活をしてきました。
夫はとても忙しかったです。
ワンオペ育児でした。
毎日、時計が翌日になってからの帰宅でした。
土日も出勤。
当時はこれが当たり前と思っていましたが
無理にでも育児には参加させるべきだったと、今は思います。
私は、子育てが苦手なのに、一人で背負いすぎた。
もっと頼れば良かったと思うし
完璧を目指すことが間違いでした。
いつも丸投げされていると被害者意識があったし
それを完璧に出来ない自分への苛立ちもありました。
もっと余裕を持てばよかったと反省しています。
そういう意味では、親が近くに居る人、現実的に手を借りることができる人がいる人、
がとても羨ましかったです。
一度、小学校の担任から
頑張り過ぎですよ、と言われたことがあります。
女性で、子供を親に預けて、自分はフルタイムで教師を続けている人でした。
そんな背景がある人から、何も言われたくない。
今思えば、それはよいアドバイスだったのですが
私は大きく反発したのを覚えています。
シンプルに羨ましかっただけなのに。
途中で、仕事を始めました。
新卒の会社では、辞めることばかり考え、体も不調だったのですが
この会社では、とても楽しく働かせていただきました。
仕事内容も好きでしたし
なによりも、大切な友人もここでできました。
社会の常識を教えていただいたのも、この会社での仕事からでした。
ある意味、大人の私を作ってくれたと言えます。
振り返ると、やはり40年は長いですね。
私は実家での生活が好きではなかったので
多少不自由でも、二人きりで新しく生活を作っていって
正解でした。
大変だったけれど、今の私の方が好きだから。
夫はどう思っているかわかりませんけれどww
たぶん、もっと大人しいと思っていたら
余りに我儘で驚いたのでは・・・
ただ、二人とも、真面目で根気強いから40年も続いたのでしょうね。
マメでもなく、オシャレでもない夫は
果たして40年経ったことに気が付いているのやらどうやら。
言葉もありませんので
わかりません。
私も特別、40年経ったねとも言っていませんし。
気がつく人なら、記念日は覚えているのでしょうが
そんなことに期待することは、とっくの昔に諦めました。
推し活をしたり、自分の好きに素直に行動する私を
放っておいてくれるだけで良しと思っていますから。
昨晩はかなり強く降りました。
2日続けての雨なので、洗濯物が乾かない。
一つだけ良いことは、花粉症がやや軽めなことくらいです。
それでもまだ、時折死にそうになる鼻詰まりと
眼が痒くてたまりません。
さて。
21日(日)は私たちが結婚してから40年の記念日でした。
40年・・・
信じられませんね。
見合い結婚です。
当時の私は、就職先がどうしても肌に合わず
毎日、通勤時は腹痛に襲われ、各駅で降りてはトイレに駆け込む日々でした。
そして週末は発熱することも多かった。
なので、辞めることばかり考えていました。
大学を卒業しながら、生きていくこととか生活していくこととか
そんな基本的なことを全く考えることがありませんでした。
ダメな若者でしたね。
家を楽しいとは思っていませんでしたが
さりとて、親から離れて自活する勇気もありませんでした。
どうしたら、円満に家から離れ、仕事から逃げ出せるか
それだけを考えていました。
やはり、結婚、が一番周囲と摩擦が少なそうだと思い
結婚しかない、と思っていた頃に現れたのが夫でした。
やはり結婚は、タイミングだと思います。
結婚して来た所が、今住んでいる街です。
夫は東京育ちなのですが、
就職した会社で配属された所がここだったのです。
親も友達も遠くなり、本当に二人だけの生活から始まりました。
誰も頼る人がおらず、
今のようにネットがある生活でもなく
想像もしたことがない田舎生活で、多々驚くことはありました。
夜田んぼで鳴くカエルの声に驚いたり
虫がいたり。
言葉の違いにも驚きましたし、デパートが一個しかないことも衝撃でした。
まるで共産圏に来たようだ、と感じていました。
何処かにでかけても、小さな街だと常に誰かに見られている。
それにも驚きました。
遠距離見合いだったので、会ったのは10回程度だったと思います。
そんな人と二人、生活を築いてきたのですから
不思議と言えば不思議なことです。
お互いに、生活して初めて知ることも多く
相手の言動に驚くこともお互いに多かったと思います。
喧嘩もしました。
ただ、駆け込む所もない、簡単に愚痴を言える人もいない
(当時の電話代は高かったのです)
介入する人がいなかったことは、良かったと思います。
なんとか二人で折り合いながら、生活をしてきました。
夫はとても忙しかったです。
ワンオペ育児でした。
毎日、時計が翌日になってからの帰宅でした。
土日も出勤。
当時はこれが当たり前と思っていましたが
無理にでも育児には参加させるべきだったと、今は思います。
私は、子育てが苦手なのに、一人で背負いすぎた。
もっと頼れば良かったと思うし
完璧を目指すことが間違いでした。
いつも丸投げされていると被害者意識があったし
それを完璧に出来ない自分への苛立ちもありました。
もっと余裕を持てばよかったと反省しています。
そういう意味では、親が近くに居る人、現実的に手を借りることができる人がいる人、
がとても羨ましかったです。
一度、小学校の担任から
頑張り過ぎですよ、と言われたことがあります。
女性で、子供を親に預けて、自分はフルタイムで教師を続けている人でした。
そんな背景がある人から、何も言われたくない。
今思えば、それはよいアドバイスだったのですが
私は大きく反発したのを覚えています。
シンプルに羨ましかっただけなのに。
途中で、仕事を始めました。
新卒の会社では、辞めることばかり考え、体も不調だったのですが
この会社では、とても楽しく働かせていただきました。
仕事内容も好きでしたし
なによりも、大切な友人もここでできました。
社会の常識を教えていただいたのも、この会社での仕事からでした。
ある意味、大人の私を作ってくれたと言えます。
振り返ると、やはり40年は長いですね。
私は実家での生活が好きではなかったので
多少不自由でも、二人きりで新しく生活を作っていって
正解でした。
大変だったけれど、今の私の方が好きだから。
夫はどう思っているかわかりませんけれどww
たぶん、もっと大人しいと思っていたら
余りに我儘で驚いたのでは・・・
ただ、二人とも、真面目で根気強いから40年も続いたのでしょうね。
マメでもなく、オシャレでもない夫は
果たして40年経ったことに気が付いているのやらどうやら。
言葉もありませんので
わかりません。
私も特別、40年経ったねとも言っていませんし。
気がつく人なら、記念日は覚えているのでしょうが
そんなことに期待することは、とっくの昔に諦めました。
推し活をしたり、自分の好きに素直に行動する私を
放っておいてくれるだけで良しと思っていますから。
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