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信州白馬村、小谷村旅行(その二 青鬼集落)

2010-08-07 20:23:36 | 旅行記

2日目は千国街道「塩の道」をすこし歩いて今回の旅の楽しみにしていた日本の棚田百選認定、伝統的建造物保存地区に指定されている白馬村の山村「青鬼集落(あおにしゅうらく)へ行きました。Imgp7510_2

昔から塩は貴重な生活必需品です。塩を運ぶ道「塩の道」は生活の道、文化の道でもあり日本各地の塩の産地と消費地を結ぶ交通路として重要な役割を持っていました。信州松本藩の塩の主要な移入ルートのひとつは、太平洋側の三河湾沿岸から三州街道経由、駿河湾沿岸から富士川舟運や甲州街道経由、尾張名古屋方面から中山道コースから来る「南塩」。もうひとつは、日本海側の糸魚川近郷、能登さらに瀬戸内海沿岸の塩が糸魚川から上がって来る「北塩」です。この北塩を運ぶ千国街道(糸魚川街道、大町街道)は代々大町の人々は「塩の道」と呼び鳴らして来ました。特に街道筋は石仏も多く、昔の面影を色濃く残しています。春と秋には小谷村で塩の道ウォークのイベントが開催されています。

栂池高原駅からバスで岩岳スキー場前で降りてImgp7484 Imgp7498 Imgp7486 Photo 千国街道をしばらく周りの景色を見ながら歩くと「観音原石仏群」の案内板がありました。横道を入ると杉木立に囲まれた方形の広い芝生を囲んでたくさんの石仏があります。西国三十三番、坂東三十三番、秩父三十四番を合わせた百体(百番観音)完全に揃い、八十七体に及ぶ石仏と馬頭観音を含めると合計百八十七体の石仏です。Imgp7488 Imgp7493 Imgp7487 馬頭観音は 当時多くの旅人が険しく辛い行路の安全を祈ったのでしょう。他に人影もなく蝉の声しか聞こえません。椅子に座っていると石仏から受ける和やか表情とともに景観からちょっと異次元の世界にいるような特異な雰囲気を感じます。

さらに下ると国道148号線に出ます。角のコンビニ(セブンイレブン)で買い物ついでに青鬼集落までの道と所要時間を尋ねるととてもこの暑さの中では歩いては行けないことが分かりました。ここからタクシーを利用することにしました。曲がりくねった山道を登ること約10分で集落入口の駐車スペースに到着。急な山道を歩かなくて良かった! 熱中症になったかもしれません? 帰りの信濃森上駅までで往復のタクシー料金は3500円でした。

Img_0002 Imgp7502 Imgp7505 Imgp7508 Imgp7519_2 Imgp7515 汗をふきふき歩いていると昭和の初期まで米搗きに使ったガッタリを復元したものがありました。ガッタリも棚田の水も江戸時代に造られた農業用水路が今も使われています。

小高い所にある江戸時代の神殿が残る青鬼神社を横目で見ながら登って行くと石垣で形成された約200枚の棚田が広がります。Img_0004 Img_0011 Img_0012 奥まで登って振り帰ると集落の屋根越しに(願わくば萱葺を覆っているトタン覆いがなくなるともっとすばらしい町並みになると思います)北アルプス白馬三山の雄大な景観が望めます。秋と冬はもっと素晴らしいと思います。棚田の石垣の上の石仏とちょうちょうが舞う花です。Imgp7535Imgp7528  「この先 熊に注意」の看板を見て立ち止り。しばし木陰で水分補給とコンビニで買ったパンで昼食休憩。棚田を眺めながら無為な時間を過ごします。炎天下で農作業する人がいます。除草をした草を燃やしていました。ちょうど2匹のちょうちょうが戯れていたのが眼にとまり慌ててコンパクトデジカメのシャッターを押しましたがブレてしまいました。見ようによってはその場のリアルな感じがしないでもありません。Imgp7543 Imgp7544 Imgp7545 Imgp7546 白馬紫米という古代米の一種が青鬼地区で栽培されるようになりお米はもちろんおかきや大福に加工しておみやげ物として白馬駅で販売されています。集落内に直売所のような建物がありましたが閉まっていました。路線バスも自販機もない集落です。Imgp7540 Imgp7504 日本の山村の原風景がきちんと残っています。生活が息づいています。 季節を変えて再訪したい所です。車で来る見学者の駐車や写真撮影でトラブルがあったと帰りのタクシーの運転手から聞きました。信濃森上駅で45分のホームでの待ち時間。吹き抜ける涼しい風に吹かれて白馬駅行きを待ちます。次回は白馬村の大出の吊り橋で有名な大出地区と湯治の宿小谷村温泉山田館です.。木造の当時の建物が国の重要文化財です(すべての写真はクリックすると拡大します)