1997年の3月末、 小学校を卒業した12歳の長男はシドニーへ留学するため日本を経ちました。
彼のシドニーでの留学期間は、UTS(シドニー工科大学)を卒業するまで11年に及びました。
かれこれ25年前の話です。
◆2003/02/17(火)◆
住いを探せ!
~シドニー一日目(2)~
今のホームスティ先は、ナガオの親友であるニックの父親の家。
ニックの両親は離婚していて、ニックは母親と住み、
ナガオは再婚したニックの父親の家族のもとでホームスティをしていた。
再婚相手の奥さんは医者で、ニックの父親は会社経営者。
ゆえに、お金にはまったく不自由のないリッチな生活をしている。
かたや、ニックのほうは、生活のため働く母親との二人生活だ。
父親の元へはニックも週に1度は遊びにくるというが、母親と離婚して再婚した父親に対して複雑な気持ちでいるし、憎しみもあるのだと言う。
ニックの親権問題でもめにもめた末、将来の生活のことを考え(父親は金持ち)ニックの親権は父親となり、彼は去年の暮れより父親と暮らすことになった。
再婚した父親の元には、再婚相手の子どもも一緒に住んでいて一人は、同じ年の青年だ。
新しい家族は特に激しいいざかいがあるわけではないし、ナガオはニックとも、再婚相手の子どもとも仲良くやっている。
ただ、この複雑な家庭環境や、親友ニックの心の内を思うと、ナガオ自身それが重く負担と感じるようになってしまってきたようだ。
ここにいるのはもう限界だ。
出るべきだ、と。
友達の親元でのホームスティであることから、
私たち親としては安心してナガオを預けていたのだがそういう理由ならば致し方ない。
引越しをすることに決めたのだった。
7年の間に何度引越ししたのだろう。
由美ちゃんに紹介されて最初に入ったホームスティ先はオーストラリアに移住して20年になるエジプト人家族。
家族構成も同じだったし、気のいい夫婦だったが、家賃を払った、払わないの金銭トラブルで2年で出た。
最後の家賃を二重に取られるという痛い目にあったのだが、夫婦は自分たちの非を認め、ナガオの名誉は守られた。
でも、もうこんなところにはいられない。
急遽、シドニーに出てきてホテルに滞在しながら
見つけた先は、奥さんが日本人で、日本人を相手にいくつかの部屋を貸しているところだった。
ここで二年お世話になる。
イギリス人のご主人の作る料理のまずさに閉口しながら、ナガオはここではとても貴重な2年間を過ごしたという。
シェアで部屋を借りていた日本人学生や、ワーキングホリディのお兄さんやお姉さんたちに、まだ幼いナガオはとても大事にしてもらい、かわいがってもらった。
それでも、2年が限界だったようだ。
慣れてきたらきたで、一緒に生活することに苦痛を感じてくるようだった。
ひとつのところに2年、
きっとこれくらいでちょうどいいのだろうと、わたしも考えるようになった。
次の家は、ノースシドニーに住むオーストラリア人夫婦の4人家族の住い。
ご主人は精神科医で奥さんは、ソーシャルワーカーで働く共働きの一家でとても楽しい夫婦だったし、住む場所も部屋も申し分なかったしが、2ヶ月もしないうちに、奥さんの転勤で引越しすることになってしまい、次の住いを探さねばならなくなった。
この家へ引越しするときは、当時六年生だったミツオを学校を休ませて一緒に連れて行った。
彼は、自分の兄がこんな遠くで一人暮らしている様子を目の前に突きつけられ、自分もここで兄と暮らすと言い出した。
帰りの空港では、ミツオが「ナガオが可愛そうだ、僕もいっしょに暮らす」と言ってワーワー泣き出し、わたしも堰を切ったように涙がこぼれ
機内で二人で泣きながら眠ったのを今でもよく覚えているし、この生意気なミツオのやさしい一面を見たつらい帰国だった。
ミツオは、シドニーでナガオと暮らすことを望んだし、ミツオの社交的で明るく人懐っこい性格からして、おおらかなオーストラリアは彼にもってこいだろう、とわたしも真剣に考えたが、
ナガオに負担がかかること、なにより日本で一人となるツギオが猛反対したことでこの話は流れた。
中学校に行きだしたミツオは、それ以来シドニーに行くと言わなくなった。
あの時、ミツオを出していたら?と考えることがある。
いや、もしも?の話はやめよう・・・。
そして落ち着いたのが、ダイアナの家だ。
ここも2年間住んだ。
悪い人ではなかったが、ヒステリックで自分の意見を絶対曲げないダイアナとの生活は、気を使いすぎて精神的に大変だったようだ。
ナガオの骨折で手術をすることとなり、私も3週間ダイアナの家に滞在したとき、そのつらさを味わうことに。
そして、親友ニックの、父親の元に。
これまで住んできた人たちの中に悪い人は誰一人としていない。
むしろ、とて親切で責任感が強く、愛情が深い人たちばかりだった。
金銭トラブルで出る羽目になったが、最初のエジプト人夫婦は、友人の知り合いで、エジプトからオーストラリアに出てきて、言葉の苦労、ホームシックなど同じつらさを経験してきた夫妻は、ナガオを息子のようにかわいがってくれた。
あまりの幼さゆえに、ナガオの扱いにはみな神経を使い、そしてナガオも疲れていく。
留学先を、ケアンズで探していたとき、現地の学校の校長先生に、あまりに年齢が低すぎて精神的フォローができないという理由でケアンズをあきらめた。
12歳で一人で外国に出るということは、受け入れる側にも、相当な覚悟がいるということだ。
ナガオのシャイな性格は誰に似たんだろう。
自分の中のテリトリーに、他人に入り込ませれたくないという、彼の一匹オオカミ的な性格はオットの血か。
離れて暮らしているから余計に家族への愛情が深くなり、他人との距離を置くナガオ。
「自分の身は自分で守れ。」
これはオットの教えだ。
他人と暮らすのは難しい。
でも、この人様と一緒に暮らすという経験は彼にとってはとても貴重な、そして彼自身を成長させたことは間違いない。
他人との生活は、決してつらいことばかりではなく同じくらい、楽しいこともあったのだから。
今晩くらいはゆっくり外で食事でも取りたい。
大好きなステーキや、シーフードなんかいいな。(よだれ)
というわたしの思惑はナガオによってあえなく却下。
「経費節減。今日からキッチンで料理を作ろう」
てお前は、鬼か・・・・・・
作るのはこの私だ。
というわけで、ぼろぼろに疲れた体を引きずるようにして二人で食材の買い物に行き、料理を作ったのだった。
調味料から揃えないと料理できないんだから、
これってもしかして、結構お金かかるよ(涙)
日本と同じような調味料が揃うわけじゃないし。
でも、料理をナガオに覚えてもらわないと。
BSE騒動が気になるけど、こっち牛肉が断然安いんだもん。牛肉メインで行こうね(母は牛肉大好き)
あ、それと片付けはナガオだからね。
片付けったって、食器は食器洗い機がやってくれるんだし。
とにかくくたくただ。疲れた。
もう12時を回ってる。
明日は3つの物件を見て回るんだよ。
寝よう。
ナガオは、
ソファーベッドで
寝てもらう。
私は隣のダブルベッドでご就寝。
母:「ナガオ、ソファーベッドで寝てや」
ナガオ:「ええ==!ママがダブルベッドで寝るんかい!」
母:「当たり前や。どこに、母親をソファーベッドで寝かす息子がおるんや」
ナガオ:「いや、普通子どもをベッドに寝かせて、親が・・」
母:「すぴー。」
ナガオ:「もう寝てるしっ!!!」
アパートメント宿泊費(1週間):700ドル
交通費:39ドル
ランチ代:9ドル
食材・調味料等:77ドル
アパートメントは、シドニーを経つ数日前に日本で
インターネットを使って探して決めた。(20件ほど)
つくづくインターネットで便利だ。
【この日の献立】
朝:機内食のサンドゥウィッチ
昼:フードコートにて
ラザニア、
サラダ、
オレンジジュース
夜:自炊
~今夜のメニュー~
ステーキ
ポテトサラダ(ポテト、トマト、卵、きゅうり、)
野菜入りコンソメスープ(たまねぎ、にんじん、レタス)
パン
牛肉は硬いが味は文句なし。
それにしても、もう米が恋しいなんて。
シドニー二日目へ続く~
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