ちゃこ花房~本日も波瀾万丈~

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【草間彌生】永遠の南瓜展

2019年02月23日 | 美術館




閉館直前の、フォーエバー美術館(祇園京都)で「水玉作品で知られる前衛アーティスト」草間彌生の美術展に行ってきました。
行って良かった、本当に行って良かったと心底思いました。
南瓜の前で、その作品の迫力と色使いの美しさ、編模様の緻密さ細やかさと、可愛い花々、靴、洋服の作品、とにかく圧倒される作品の力強さが凄かった。
同じ日、東京の親友も草間彌生美術展を観に行きました。。(チケットを2枚プレゼント)
彼女も同じ思いだったようです。

黄色い南瓜の1000ピースのパズルを購入しました。
完成したら自分の部屋か、もしくは階段に飾りたい。
楽しみがまた1つ増えました。



違う場所で、同じものを観た2人。
なんか良いよね、「同じ月を見ている」ようで。
おやっさん、こういう「感動」を探して、感性を磨いて豊かな人生にしようね。

魂を揺さぶるような作品に出会いたくて、自分の部屋に飾りたい作品に出会いたくて、
私は美術館巡り続けます。
草間彌生さんの美術展へ行っておいで、と勧めてくれた前田さん、ありがとう。
エッシャー展も凄く印象的で良かった。
また2人でいきましょう!



























草間彌生

* 水玉模様の反復絵画で知られる
* 1960sのニューヨークアートシーンでブレイク
* 美術史的評価はポップ・アートとミニマリズム
* カウンターカルチャー運動ではハプニングで注目を集める
* ジョゼフ・コーネルの死をきっかけに活動停滞
* 再ブレイクのきっかけはアメリカの回顧展










Yayoi
Kusama Official Site


【美術解説】草間彌生「水玉作品で知られる前衛アーティスト」



草間 彌生(くさま やよい、1929年(昭和4年)3月22日 - )は、
日本の芸術家。長野県松本市生まれ

生誕
1929年3月22日(89歳)
長野県松本市

京都市立美術工芸学校卒業
(現・京都市立銅駝美術工芸高等学校)

彫刻家・画家
影響を与えた芸術家:ジョージア・オキーフ

幼い頃から悩まされていた幻覚や幻聴から逃れるために、それらの幻覚・幻聴を絵にし始めた。
1957年(昭和32年)に渡米すると絵画や立体作品の制作だけではなく
ハプニングと称される過激なパフォーマンスを実行し、1960年代には「前衛の女王」の異名をとった。

草間彌生のいくつかの作品は、
水玉模様などの同一のモチーフの反復によって絵画の画面や彫刻の表面を覆うことが特徴の一つである。合わせ鏡を用いて光やオブジェを無限に広がるように見せるインスタレーションや、男根状のオブジェを日用品などに張り付ける立体作品も制作している。カボチャをモチーフにした作品もしばしば見られる。
また、ファッションデザインや小説執筆などの活動も行う。
「シャングリラの華」(霧島アートの森)

来歴:


草間の作品を常設展示しているフォーエバー現代美術館(京都市)

松本駅近くで種苗業を営む裕福な家に生まれ、幼いころから草花やスケッチに親しむ。
その一方、少女時代から統合失調症(医学博士西丸四方が診断)を病み、
繰り返し襲う幻覚や幻聴から逃れるために、それら幻覚や幻聴を描きとめる絵を描き始める。
草間は現在に至るまで水玉(ドット)をモチーフに制作する事が多いが(ドット・ペインティング)、
これは耳なし芳一が幽霊から身を守るために全身を経で埋め尽くした様に、彼女が恐怖する幻覚や幻聴から身を守るために、作品全体を水玉(ドット)で埋め尽くす儀式でもある、とされる。


草間彌生は1929年、長野県の松本の種苗業を営む保守的な家庭に4番目の子として生まれた。
近所には広大な花畑が広がっており、草間はその花畑で幼少期を過ごす。
花畑をスケッチするのが日課となっていた。

やがて草間は視界が水玉や網目に覆われ、
動植物が人間の声で話しかけてくる幻覚や幻聴に襲われるようになる。

幻覚の恐怖から逃れるために、それらのイメージを紙に描きとめるようになり、
その行為が彼女の精神を落ち着かせることになった。

草間は幼少の頃に母親から度々身体的虐待を受けて苦しんだと話している。
父の放蕩のために母はすぐに激し、家の中は不安定で、草間の精神はいつも追い詰められていたという。

小学校卒業後、草間は松本高等女学校に入学する。
ここで草間は美術教諭で日本画家の日比野霞径という良き理解者に出会う。
日比野は草間の絵を認め、絵の指導をしてくれた。
また、草間の両親に草間を絵の道に進めてくれるよう幾度も自宅を訪ね、
草間の芸術人生を後押ししてくれた。

1948年、19歳で京都市立美術工芸学校の最終過程に編入学し、日本画を学ぶ。
しかし、この頃の草間は、日本画における厳しい上下関係から湧き上がってくる内面からのイメージを描きとめることによって恐怖から逃れようとしていた苦しい時期でもあったという。
草間によれば京都の時期は「吐き気をもよおすもの」だという。

京都から松本に戻ると草間は、京都での伝統的な日本画の苦しい経験から反発するように、
技法や素材の壁を越えて、独自の表現方法へと移行していく。

草間が水玉模様を描いている初期作品は1939年に10歳のときに描いたドローイングの無題の着物を着た女性画がある。
おそらく母親を描いたものと思われる。


作品を制作する草間


「シャングリラの華」(霧島アートの森)

* 水玉模様の反復絵画で知られる
* 1960sのニューヨークアートシーンでブレイク
* 美術史的評価はポップ・アートとミニマリズム
* カウンターカルチャー運動ではハプニングで注目を集める
* ジョゼフ・コーネルの死をきっかけに活動停滞
* 再ブレイクのきっかけはアメリカの回顧展

Kusama's Self-Obliteration(Jud Yalkut,1967)

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東京の親友は、この詩の前で落涙しそうになったそうです。
またゆっくり2人でLINEで語ろう。

すみれ強迫


ある日 突然 わたしの声は
すみれの声になっているの
心しずめて 息をつめて
ほんとうなのね みんな
今日に おこったことたちは

テーブル掛けのすみれは抜け出し
這いあがって わたしの体に
一つ一つ へばりついては
バイオレット スミレのハナ
わたしの愛 奪いにやってくる

危険はみちみちてきたでしょうか
立ちすくんでしまう 香りなか
見て 天井や柱までもが

すみれ張りついている
青春はとらえがたく
すみれの花 語りかけないで
すみれ声になった声もどしてよ
大人になりたくないの まだ
たった もう一年だけでいいわ
わたしたちをそっとしておいてね




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コメント (4)
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