ちゃこ花房~本日も波瀾万丈~

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長男の留学(19)

2023年02月26日 | 留学
1997年の3月末、 小学校を卒業した12歳の長男はシドニーへ留学するため日本を経ちました。
彼のシドニーでの留学期間は、UTS(シドニー工科大学)を卒業するまで11年に及びました。
かれこれ25年前の話です。



1997年春、12歳でシドニーに留学した長男、
ホームシックにもかかったが10ヶ月の英語学校を無事卒業し、タウンホール駅の真上にある
st andrews cathedral schoolの受験に合格したのは1997年13歳の時です。
中学校、高校とここで6年間通いました。
6年間、日本人は長男1人。良く頑張ったと誉めてやりたい。
長男の留学の話は4年後17歳の時に飛びます。

~当時の日記から抜粋~

◆2001/12/21(金)◆
今年の五月から、ずっと闘病中だったオットの母が他界しました。
享年79歳。
義母の人生は波乱万丈の人生でした。
10人の子どもに30人の孫、という子宝に恵まれ、
ゴッドマザーとして君臨してきた母ですが、
この子どもの数の多さが、多くのトラブルの種のもとでもありました。
葬儀が終わってやれやれですが、本当の苦悩はこれからです。
なぜなら、一族をまとめていた、繋ぎのような母の存在が居なくなったから。
母の葬儀は、母とのお別れの日と、兄弟の分裂の始まりの日でもあるのです。
 
葬儀の翌日、昨日は亡き父の法事でした。
家に戻ってきたのは深夜1時前
目の回るような忙しさの
1日でした。


◆2001/12/25(火)◆  
本日の夜のフライトで長男が帰国してきます。
夏に会って以来、実に5ヶ月ぶりの再会です。
長男がシドニーから帰国したところですが、
英語の通訳など、オットの会社の仕事を手伝いをさせられていることに
大いに不満を感じている長男です。
長男は、はっきりと自分の意見を主張しだし
オットのものの考え方に反発してきました
といっても、オットに面と向かって逆らえないのでその矛先は、全部私です。
長男に限らず
息子3人が、逆らえない父親に対する不満を私にぶつけてきます。
オットの気持もわかる私は、その板ばさみで
ひーひー悲鳴をあげている状態です。
12歳からシドニーに留学して、5年目にしてやっと向こうの生活をエンジョイできるまでになった長男ですが、
オットは、あれこれとビジネスにおいて長男に教えていこうと思っているのでしょうか?
17歳の青春真っ只中の息子に、いろんな仕事を次から次にさせているのです。
親に利用されている、と憤慨する長男。
何とか、息子に自分の仕事を継がせたいと考えているのか?オット。
会社の跡目問題においては
縁故がらみの会社故、これからもっと難しい問題が出てくるのですが
長男は、夫の思惑を察知して、抵抗してきているのでしょう。
自分には、会社を継ぐという選択しかないのか?と早くに留学させられたのは、それが目的なのか?と
少なくとも、
私は、息子に会社を継がせるために、シドニーへ留学をさせたのではありません。
会社を継ぐ、継がない、の選択は息子に託したいのです。
縁故の会社故、これからの問題は継ぐ人がいない、ではなくて、
継がせたい人間が多いがゆえの問題です。(兄弟が自分の息子に継がせたい)
会社を存続させたければ、できる人間に(仕事のできる有能な人材)に会社を託せばいいのです。
縁故の会社では特に、この世襲が難しい問題。
17歳の息子には、
会社を背負って立つなんてことまだ考えられないのです。
当たり前です。
学生生活をエンジョイさせて、社会でもっと学ぶことをさせるべきだと考えている私は、子どもとオットの間に入って、踏ん張るしかないのです。
あああああああ
こんなことで、今から頭悩ましてどうする、って感じですが、
口を開けば、こんなことで言い合いしているわたしと長男

◆2001/12/28(金)◆
昔やっていた忠臣蔵のビデオを見る。
長男も絶賛。
ビデオテープをシドニーへ持って帰り、
昔の言葉使いとかを研究するそうな。
で、それをいつ、どこで使うんでしょうか?
過去日記を読み返しながら
当時の事に想いを馳せる私です。
夏休み、冬休みと、休暇の長いシドニーの学校です。
長男は年に2回のこの休みを心待ちにしていました。
関空へ主人が迎えに行き、奈良の自宅に夕方頃着く便で帰国することが多く、家の近所に差し掛かる風景を車の中から見ていた長男、
この風景がとにかく最高に好きで脳裏に焼き付いてるのだと、後から長男から聞きました。
シドニーへ戻るときの、家族との別れは、長男を始め、それはそれは家族みんな辛かった事も良く覚えている私たちですが、
その辛さは年々薄らいで行き、「じゃあ、またな」と笑顔で帰って行った長男が頼もしかった。

一度長男を見送った後、関空でワンワン泣く私を、「ナガオの見送りには、お前を二度と連れて行かない❗」と主人に言われたのは今では懐かしい思いです。
その通り、私はそれから見送りをしませんでした。












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