1997年の3月末、 小学校を卒業した12歳の長男はシドニーへ留学するため日本を経ちました。
彼のシドニーでの留学期間は、UTS(シドニー工科大学)を卒業するまで11年に及びました。
かれこれ25年前の話です。
ホームシック2
涙の電話
私たちと離れてく暮らすようになってから、
息子は私たちの体の事を異様に心配するようになった。
離れて暮らす事で、常に自分の家族の安否が気になりだしたようだ。
人間の「死」の観念についても、あれこれ考えていたようだ。
これはまずいと思った。
彼は、私たちが無理をしないようにと、当時私たち家族に約束の10ヶ条を作った。
第三条は「働きすぎないこと」だった。
いつも自分本位だった日本での彼とは明らか変わった。
わたしは、彼が送ってくるファックスの内容を
あまのじゃくでなかなか本音をみせない、彼の本当の気持ちが、文字の行間にあるのではと、
何度も何度も読みなおした。
この頃の長男は電話口でよく泣いた。
わたしも慰めながらいっしょに泣いた。
夜寝床に入ると、今ごろあの子は、泣ききながら眠りに就いているのだろうか、そう考えると、途端にたまらなくなり、布団を被って泣いた。
わたしが泣いている声に気がつくと夫はよく、
「あいつは大丈夫や、いつまでも泣くな」といって慰めてくれたが、
慰められると、余計に悲しくなったものだ。
泣いても悲しくても、また朝がくる。
がんばれ、長男!
ママは、いつもお前のことを思ってる。
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