ちゃこ花房~本日も波瀾万丈~

前向きに生きています。
健康で楽しく生活できたらそれが一番
周りの人たちを、元気にできる自分でいたい。

花房家のお盆休み

2024年08月15日 | 生きる
8/9から帰省していた長男家族、次男家族が帰り、入れ替わるように三男家族が帰省。
昨日は朝7時に出かけ、大阪に住む長男家族と大阪の天王寺で合流、
総勢10人で3ヶ所の墓参りに行ってきました。

夜には三男家族も帰り、奈良の家は夫婦2人になりました。

小さかった孫たちは、会うたびに大きくなっていて
次会う時は、私の背丈を抜きそうな孫が2人。

息子たちもそれぞれいい年齢になり(長男は来月40歳を迎える)
主人は来年70歳になります。
私は、後3年で看護師の仕事を辞めるつもりです。


主人の母が亡くなって20年以上になります。
主人の実家に帰るお盆と正月、そして法事は(韓国式)、ひたすらキッチンに立ちおさんどん。

10人兄妹だった主人。
身内は、兄妹夫婦、子ども達だけでも総勢40人

主人の実家は婦人服の会社で、自社の『ブランド』を持ち
義母は『毎日グラフ』の雑誌の表紙を飾ったこともあるほど商売上手だったらしい。

韓国式の法事には、身内以外の従業員、親戚が集まり
大人数の料理をひたすら作る、配膳 片付け。嫁達にとっては修業のようなもので、
そんな中で、延々お酒を飲み、徹夜で花札をする男達と小姑達
お国柄もあったのでしょうが、凄い時代でした。

私はそこで、大勢いる賑やかな中での『孤独』を身に沁みて感じました。
相容れない違和感と、男尊女卑にお国の価値観の違い。
当時若すぎて、モヤモヤの原因を自分の中で消化できず苦しんだ時期でした。

救いは義母が大陸のような大らかな人だったことでしょうか。
私は、太陽のような義母が好きでした。


空海が開創した高野山真言宗総本山の寺院である「金剛峯寺(こんごうぶじ)』の宿坊で宿泊した時の
家族と義母
約30年前の写真。
若いわ〜私も主人も義母も
毛がある主人
大人しそうやわ〜私w しかもかなり細い



あの当時の思い(大勢の中で感じる孤独)を、お嫁ちゃん達には絶対させまい、と思いました。


当時、キッチンに立つことをしなかった男たちですが、
今や主人は積極的にキッチンにに立ち、洗い物、片付けをし、ゴミ出し、そして朝食用のパンも焼く。
同様に共働きの息子達も普通に家事を手伝います。


奈良に帰省すると、地元の友人らとの女子会でお嫁ちゃん達は出かけます。
夫婦だけで出かけることも。
私も出かけます。

ジェットコースターのような人生ですが、悪い人生ではない。

残りの人生は悔いのないよう、
やれること、やりたいこ、楽しめること、楽しいことで埋めていきたいとおもっています。














































コメント
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