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元号が国民生活を象徴する時代の終わり/天皇は三代の継投策へ

2019年04月01日 | 平和・人権
新元号発表が近づくにつれ興味が失われつつありますが、発表前夜に、あえてブログに記録しておきます。

★ 新元号への期待が薄れ、この機会に元号をなるべく日常生活や仕事から排除していこうと考える理由。

1)不便を通り越して障壁になっている(説明省略)

2)選択に恣意的な要素が入る可能性(不明)

3)昭和と平成の時代は確かにこれまでの前半生・後半生だったと言えるが(1989年は公私共に大きな区切りの年だった)、新たな元号と残りの人生を結びつける必然性は薄そう

4)新天皇は前二代の天皇(祖父世代と父世代)と違い同世代なので、敬意よりも親近感の方が大きく、その時代の元号に象徴性を感じることは少ないだろうと思われる(…良い意味での新たな天皇像を期待したい)

5)一番大きいのは、皇位継承者が「弟→甥」という順に移るので、おそらく次の元号は20年程度、秋篠宮天皇は10年程度の短期継投策が予想される。更にその次の悠仁天皇の元号(昭和から数えると5つ目)まで見届けられるかどうかわからないが、その時代には元号は象徴的な意味すら持たなくなっているだろう。
(官公庁や学校、それに連なる仕事をしている方などは否応無く新元号への移行と使用を余儀なくされるとは思いますが、現実生活ではそういった方でも同様のはず)

※この皇位継承については、現時点では表立って議論はされていないが、かなりセンシティブな問題になることが予想される。
「叔父→甥」という形も想定されるが、明治以降「父→長男」の継承が続いてきたことを考えると、健康状態などを考慮して上記のような三代の早期継承が次善の策だろうと思われる。
30年後に悠仁天皇は40代なので、平成の30年を超える在位となる可能性が高い。(が、それは30年後の次の30年というお話)

更にその次の時代については、「今の時代」の国民や政治家が「丁か半か」の博打に賭けることを決めてしまったので(…もう議論のタイムリミットは過ぎた)、どうなるかは全くわからないし、心配する気も失せた。

(どうなっても今の政治家は生きてないから責任は取りません。この時代の「解決不能問題」の一つ。無論、本質的な議論を掘り下げれば解決不能ではないはずなのですが)

次の元号が何になるかなどということに熱狂するほど象徴天皇制を維持したいのであれば、1億人のプレッシャーをものともせず悠仁親王に嫁入りする女性が現れて、いとも簡単に男子を出生するというシナリオについて少しでも疑問を感じた方が良いのではないだろうか。

悠仁親王および未来のプリンセスに対して、皇室の維持(=「国体の護持」)と個人の人権や幸せという観点で議論すべきではないのか。

ということは、30年後であっても望めないだろうと思う。(そもそもそれは議論しても始まらない問題なのだから)

結論)新たな元号は何に決まろうが、喜んだり悲しんだり憤ったりするのは無意味。ただ傍観するのみ。(再度記載しますが、新天皇には期待しつつ見守りたい)

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