踊る小児科医のblog

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LNT仮説の「掛け算禁止」問題 10万人あたり5枚の当たりくじなど存在しない?

2012年03月29日 | 東日本大震災・原発事故
この問題については何度か断片的に書いてきたが、一昨日twitterに続けて書いたものをまとめておきます。全部理解して批判できているとは思いませんが、この「掛け算禁止」が非常に政治的なものであることは言い切れる思います。
(関連entry→「1Gy被曝でがん死リスク42%増」の意味 LNT仮説が「哲学ではなく科学」であることは明白 中川恵一批判

<参考>
もぐさんの「リスク比較における『○○人に一人』は掛けてはならない』という主張
http://togetter.com/li/237937
集団線量の癌死予測への演繹方法について
http://togetter.com/li/238814
低線量被ばくのリスクからがん死の増加人数を計算することについて(原子力安全委員会)
http://www.nsc.go.jp/info/bassi_0908.pdf

<twitterより>

2012年03月28日(水)

LNT(直線しきい値なし)仮説の「掛け算をしてはいけない」問題。例えば0.01%=1万人に1人とは、1人死んで9999人元気ということではなく、元々1万人に100人死んでたのが101人になる。その101人は被曝が原因の1人とその他の原因による100人に分けることはできない。
posted at 00:25:59

LNT仮説:1mSvでは0.005%、10万人に5人。がん死が3万人とすると、3万5人に増える「だけ」であり、この差は他のリスクの中に埋没して検出できないから無視できる。ところが、環境汚染物質の基準は10万人に1人で、アスベストの敷地境界基準では7人を超えると逮捕される。
posted at 00:27:41

予防接種にはメリットとデメリットがあるが、通常目標とされる重大な副反応は百万分の1以下(紛れ込み事故もあるのでゼロにはならない)で、メリットの方が遥かに凌駕することが条件となる。1mSv被曝の0.005%=百万分の50という数字がどれほど大きいかがわかる。当然メリットは全くない。
posted at 00:29:02

話がそれるが、ポリオの生ワクは話が別で、不活化への切換えが遅れたこと(構造的には原発問題と同様に子どもの命ではなく業界保護を優先したこと)と、頻度が従来言われていたよりも高く百万分の1より多いことがわかってきたこと。
posted at 00:29:28

3万5人が亡くなったとして、元々の3万人と被曝による5人という形では分別不能。一人一人の因果関係はわからない。だからと言って増えた5人がいないわけではなく、全員が2万分の1(0.005%)のリスクを背負って全員足してみたら5人多くなっていたというのがこの計算の仕組み。
posted at 00:32:27

この計算は大人が自分自身で罹ったのなら許容できるかもしれない。しかし自分の子どもが大きな病気に罹ったり亡くなったとしたら話は別。100人が101人に増えたとしても、101人のうちの1人ではなく、101人全員の親が「あのとき避難していたら」という自責の念にかられることになる。
posted at 00:37:21

LNT仮説の1mSvで10万分の5という数字はがん死だけで、その他の病気は含まれていない。親が後悔したくないのなら(目には見えなくとも)津波がすぐそこに押し寄せているのだから、まずは安全な高台に逃げて、大丈夫そうならゆっくりと戻れば良い、と書いたのは去年の今ごろ。
posted at 00:38:42

原発事故後1年も経って「まず避難を」と主張する気持ちは失せた。少しでもリスクを減らすためというよりも、親の後悔を減らすために、避難できる方にはして欲しいと思う。0.005%というリスクを喧伝するのは親と子どもの心を不安にさせる不徳の医師のすることだという雰囲気がある。
posted at 10:02:43

掛け算から話がそれた。掛け算をしてはいけないという論理は、3万5人を3万人と被曝による5人に分けられないという当然の事実を、だからその5人は存在しないという詭弁に過ぎない。皆が2万分の1リスクを背負って足してみたら5人多いという計算を「5人が引いた当たりくじなど存在しない」と。
posted at 10:05:58

環境リスク学はなぜ御用学問に成り下がったか 中西準子『環境リスク学』を批判的に読む

2012年03月29日 | 東日本大震災・原発事故
『環境リスク学』中西準子
この本の前半は勉強し自らの認識を確認しながら敬意を持って読み、後半は批判的に自ら考えながら読んだ。特に原発問題などへの著者の態度は、市民のリスク不安や予防原則に対して冷笑的。三つのリスク(科学的リスク<規制リスク<リスク不安)で現実には市民のリスク不安が正しく「専門家」が過小評価し続けたことがこの惨禍の原因となった。原発事故後も事故と健康被害に対して同様の状況が続いている。リスク評価の方法論が正しかったとしても、市民ではなく業界や政府を守るために悪用された。

以下、まとまってませんが『環境リスク学』を読みながらtwitterに書いたものを順に拾っておきます。引用とコメントが入り混じっていてわかりにくい部分があるのでご注意下さい。

2011年12月11日(日)

ある大学の先生が、蒲生さん<産業技術総合研究所・蒲生昌志氏>が描いたグラフを出して講義したら、学生が「ダイオキシンよりタバコのリスクの方が高いんですか」と驚いていたそうです。こんな当たり前のことが知られていないのです。(中西準子『環境リスク学』より)
posted at 00:07:46

公害問題はリスクは高いが影響範囲は小さく局地的。環境問題はリスクは小さく昔のセンスでは安全だが不安が残るというレベル。今は何もないが将来危ないことが起こるのではないかということが関心の中心。リスクは公害より小さいが影響範囲は広い。(中西準子『環境リスク学』より)
posted at 00:41:54

2011年12月13日(火)

疑わしいものがあるとき、「禁止する」「何もしない」という二分法的考え方では、これからの環境問題に対処できない。中間の道とは、リスク評価をし、リスクの大きさとその物質を禁止したときの別のリスクの大きさとを比較しながら対策を立てること。(中西準子『環境リスク学』より)
posted at 11:23:52

中西準子氏のリスク評価の考え方は正しいが、放射能汚染と避難をあてはめた時に、放射能のリスクよりも避難によるストレスの方が大きいという論法を許してしまった。現状では避難により放射能のストレスから解放される方が大きい。避難のストレスは原発事故で生じたものだから二者択一の問題ではない。
posted at 11:26:00

本文中にも「リスク評価に対する批判は、リスク評価そのものを批判しているのではなく政治的なものではないかという疑いが根底にある」と書かれているが、その後の回転扉事故に関する認識は「子どもの手を引くようにするとか」など、事故防止の原則を知らない自己責任論。中西準子『環境リスク学』より
posted at 11:37:09

勉強しつつも批判的に読んでいる。最後の方に「原子力が夢の技術とは思わないが、わが国のエネルギー状況と今の管理技術を考えればもう少し利用されてもいいと思う。残念ながらリスク不安が大きく、原子力発電所の建設が市民に拒否される状況が続いている」との記載あり。中西準子『環境リスク学』より
posted at 15:56:49

そもそもリスク評価以前に、必要性や代替手段について殆ど触れられていない。BSEやインフルエンザなどは仕方ないとしても、原発やタバコ、大型自動回転扉などはリスクばかりで全く必要性がない。タバコは致死率50%でメリットなし。大型自動回転扉は空調のコスト削減だけか。原発はもう議論不要。
posted at 15:58:04

わが国の行政機関は、BSEの場合も、リスクの大きさを説明しないし削減策の中からあるものを選ぶ理由や費用が妥当かの説明が全くない。本当に必要なリスク削減策に資源(資金や人手)を回すことができなくなり、国民の健康や福祉のレベルが下がり国力の低下につながる。中西準子『環境リスク学』より
posted at 16:07:06

放射能汚染の高度な地域や、森林、農地の除染など不可能なことに復興予算を注入すれば、土建屋(原発利権)は特需で儲かるが、作業員や自衛隊員は不要な被曝を強いられ、被災者は移住も出来ず放置され、国は沈んでいく。BSEの時の構図がそのまま当てはまる。中西準子『環境リスク学』より
posted at 16:21:15

2011年12月13日(火)

政府、学者、医師、マスコミが事故直後だけでなく現在までリスク管理、リスクコミュニケーションに徹底的に失敗したため(例:福島のコメ)、国民は「政府の言うことを信じない」のではなく「政府の言うことだから信じない」状態に陥っている。私は3.11以前からそうだったが。
posted at 16:39:57

リスク評価とリスク管理 現状のリスク評価の批判的分析 マサチューセッツ予防原則プロジェクト http://t.co/lfCBrUU9
posted at 17:54:02

健康に関するリスクコミュニケーションの原理と実践の入門書(CDC)農水省訳 http://t.co/J79Quxev
posted at 17:54:22

2011年12月16日(金)

リスク評価の構成と基本を理解することで、リスク評価を批判的に分析し、今日のリスク管理手法の危険性と、それが悪用されている現状について理解することができる。一般にリスク評価は危険な行為を正当化するために用いられている。(マサチューセッツ予防原則プロジェクト)←やっぱりそうか
posted at 11:48:41

ICRPは「微量の放射線による発がんリスクをLNTモデルに基づいて多くの人数に適用し、発がんやがん死亡数等を論じることは妥当ではない」と明記している(酒井一夫・医学のあゆみ)そうだが、そうされると都合が悪いから根拠なくそう主張しているだけなのでは?
posted at 16:41:03

そもそも、見積もったリスクに影響を受ける人数を掛けるのがリスク評価のはず。掛け算をしてはいけない理由はどこにあるのか。結果に幅があるのは元より承知。ICRPのLNT仮説はその中では低い方に入るはず。(ナントカ効果という健康になる仮説もあったが)
posted at 16:41:22

2011年12月17日(土)

【環境リスク学―不安の海の羅針盤/中西 準子】を読んだ本に追加 →http://t.co/WBaqWPPE #bookmeter
posted at 14:27:34

【環境リスク学―不安の海の羅針盤/中西 準子】この本の前半は勉強し自らの認識を確認しながら敬意を持って読み、後半は批判的に自ら考えながら読んだ。特に原発問題などへの著者の態度は、市民のリスク不安や予防... →http://t.co/0i75sWAJ #bookmeter
posted at 14:42:54

2012年02月17日(金) 1 tweets
RT @HayakawaYukio: 「私は、あと1年か2年、暫定規制値でいいと思っていた。」中西準子、2月9日  http://t.co/ynHvyPIh
posted at 15:47:52

2012年03月02日(金)
RT @HayakawaYukio: 著名人を特定しておこう。中西準子さんの2月22日雑感だ。 http://t.co/yZsvwwhW 彼女は立派な業績を持つひとで尊敬してたが、今回の原発事故での発言はまったくいただけない。
posted at 11:02:47

2012年03月29日(木)

福島大学放射線副読本研究会の『放射線と被ばくの問題を考えるための副読本』http://t.co/yjCuG4Za を読み通してみた。必読。中高生にも読んでもらいたい。一部に批判もあるようだが「この副読本も批判的に読んでいただいて結構」と書かれており、改訂を重ねていけば良い。
posted at 15:34:02

『放射線と被ばくの問題を考えるための副読本』http://t.co/yjCuG4Za 1カ所だけ、喫煙を自動車などと同列で「目的をもってそれを行う人にとって何らかの便益を得ることが可能」と書いているのは間違い。喫煙は便益ゼロ致死率50%のニコチン依存症という病気。
posted at 15:34:35

『放射線と被ばくの問題を考えるための副読本』で中西準子『環境リスク学』が大橋弘忠の「専門家になるほど格納容器が壊れるなんて思えない」とならんで「事故前の専門家の発言例」として紹介されている。『環境リスク学』は12月頃に読んで批判的にtweetしたのであとでまとめてみる。
posted at 15:53:14

『放射線と被ばく…副読本』田崎氏の批判 http://t.co/rYS6fbJt 前2段は同意できるし修正が望ましいと思うが「正しい怖がり方」については為にする議論。論理は間違っていないが副読本を読み直してみても問題は感じられない。氏の意図とは違う形で引用されているように思える。
posted at 15:58:07

米国の退役軍人ダイオキシン裁判の和解例を、水俣病被害者に提案して批判された話も、適当ではなかったと自ら認めているが、中西氏のリスク評価が住民・被害者の側に立ったものではなかったという顕著な例。(中西準子『環境リスク学』より)
posted at 17:01:19

リスクの大きさ三種。a)科学的評価リスク。b)社会の意思決定で用いられるリスク。c)国民が抱く不安としてのリスク。a<b<cの差を縮める努力を怠ると無駄が大きくなる。aに近い意思決定のためのリスクの大きさを適切に選ぶことが重要。中西準子『環境リスク学』 ←専門家が正しいという立場
posted at 17:04:28

疑われている物質の危険を回避しようという原則と、禁止した時の逆影響を予防するかという両側の予防原則が必要。しばしば言われる予防原則が本当に水俣病などから学んだのか疑問を抱く。セレン、マンガンを禁止すべきだったのか。『環境リスク学』より←予防原則を国民の命でなく企業を守る方向に逆用
posted at 17:07:20

中西準子氏は一貫して科学が評価したリスクを重視し、国民の不安リスクや予防原則に冷笑的。しかし原発事故では、国民の不安リスクが正しく、専門家のリスク評価が過小評価であったのが現実。中西氏の「もう少し利用されてもいい」という評価は完全に否定された。
posted at 17:07:54