畑を掘り、木を彫り、石を刻り、の自然人!

退職後、自分に気ままな課題をちょっと与えて遊んでいます。

「円空仏」に最初に光を当てた人

2017-09-20 13:44:55 | 円空



最近になって円空仏ブームとやらで、全国各地で円空仏展が開催され大勢の方が
拝観に訪れています。
老いも若きも食い入るように拝んでいます。

また、その魅力に惹かれて円空仏を制作されている方も増えています。

しかし、その円空仏に最初に光を当てた方とは?

土屋 常義氏
明治30年{1897年)~昭和52年(1977年)
がその人です。

戦前から円空仏の魅力に取りつかれ、研究を始められ各地の円空仏を訪ねておられ
ます。

「円空と共に」円空顕彰会が1978年に土屋氏の追悼の本を発行されています。
掲示しましたのは、その本からです。

氏によれば円空仏の収蔵では最大の荒子観音(天台宗・泰澄大師創建)を訪問した折、
住職は仏像に関心がなく、許しを得てお寺の隅々まで探した、とされています。
ホコリが霜のように白く覆っていたそうです。
探しだした円空仏は1,020体にもなったとあります。

当時は誰も円空仏の興味なく岐阜県文化財保護審議会でも
「円空仏はゲテモノだ」
という程度の評価だったそうです。

その後、哲学者の梅原猛氏は
「円空について最初の研究書といえば、岐阜大学・美術史の教授であった土屋常義氏の
著書「円空の彫刻」(造形社・1960年)であろう」
と紹介されています。

土屋常義氏の熱意が徐々に世間に知れ渡るようになりました。


「円空」土屋 常義

真っ黒な木のかたまりが
お堂の隅に忘れられて
だれも得体がわからなくて
三百年も捨てられていた仏

深山で滝にうたれ
心を洗い窟に住み
血みどろの行(ぎょう)をつんで
諸国を遍歴した円空

弊衣をまとい貧しいを歩き
仏を刻み衆生済度に生き抜いた円空
孤島日本のまん中
岐阜に生れ
苦行して生み出した仏
心の底からほほえんでいる円空仏
天に向かって怒りを吐き出している円空仏


お堂の中で一段と高く手の届かない仏様を拝む、という存在から手に取って拝む円空仏に
親近感を持つのも自然な姿です。

しかし最近では傷や汚れを恐れるのか拝観場所で直接円空仏を手に抱く拝観場所も
めっきり減りました。
円空仏に近づくだけで
「もっと離れて!」
という注意も受けるようになりました。
「ああ・・・円空さんの思いは・・・」

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