東北新幹線もない時代、円空はどのように北海道(蝦夷の地)へ渡ったのでしょうか。
岐阜県美並からどのような道を辿ったのか諸説ありますが長谷川公茂氏によりますと、北陸の港から蝦夷の島を
目指したとされています。
ここではそうした学説に関係なく、エピソード的な円空が乗ったとされる弁財船のおはなしです。
実は「弁財船」(弁才船ともいう)には「北前船」と「菱垣廻船」、「樽廻船」と3種類あり、「北前船」は大阪から
瀬戸内海、日本海を経由して松前に行く買積船ということです。
因みに「菱垣船」は大阪と江戸を結ぶ貨物船。
「樽廻船」は酒樽を乗せる酒荷船。
物資の流通が未発達に起因する生産地(供給地)と消費地(需要地)の価格差を利用して商品を遠隔地に運んで販売し
利潤を得るのが北前船。
しかし交通網の発達で明治30年ごろに北前船は消滅したそうです。
船の大きさは110石から960石程度の積石数で主力は250石程度といわれています。
船の構造は写真に掲載しました。
北陸から乗ったとして蝦夷の地までどのくらい時間が必要だったのでしょうか。