私のおじいさん、祖父春治郎の生まれたところは四国、丸亀と聞いている。幼いころから丸亀は私にとって遠い祖国のようなものであった。いつの頃からか遍路をしたい、出来るなら歩いて、と思っていた。仕事を持っている私に時間は無く、身体を悪くして長いこと入院し、退院した弟と母親のふたりを私の代わりのようにして四国88ヶ所の霊場めぐりを頼んだ。2人は飛行機で丸亀に到着するとタクシーが待っていて2人は四国めぐりをした。初期の糖尿を患い、その上腰椎が悪くて入院していた弟と老いた母親には団体でまわる事も、本当に歩いてまわる事も不可能であった。2人共おそらく私より先に逝くに違いない、と思っていた。それが何時であれ、私の中にその思いはいつもついてまわった。だから私はいつも弟と母親をどんなにお金がかかろうとも、いつも一緒に行かせ、誰も味わえないような楽しい旅行にした。末の子であればなお勝る愛、何故か私の胸にはこんな予感があった。「私は暇が無くて行けないから2人で行って下さい」と頼んだ時、既に交通公社にはタクシーでまわるスケジュールが組んであった。相当日数も費用もかかるこの旅行を2人は遠慮したが、いつも無信心で何事、ご先祖様の供養らしい供養をしていなかった私は、その為に、供養だからと説得して行って貰った。帰ってきた2人の顔は歓びの表情だった。明日からの電子書籍、ホームページにはこの時の写真を載せたいと思っている。そしてそれを見ながら私のへんろの予定を立てておきたい。