戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

22/12/08 のどかな小春日和、でも昭和16年のその日は・・・

2010-12-08 18:33:18 | Weblog
 温度が低いだけで良く晴れた日だが1941年昭和16年12月8日の朝に鳴り響いた軍艦マーチのメロディを忘れる事はない。小学校1年生の私の目にも日本全国民の熱狂する姿に神国日本の勝利が見てとれた。あれから60有余年が過ぎ、可愛かった小学生の私にも人生の末路が見え初めている。産めよ、増やせよと煽り立てられて生まれた子らは戦死者の代わりであった。大方の文化人ですら皆軍国日本の勝利を信じていた。現在の私、いや私のきょうだいたちが存在出来ているのは父親のおかげである。父親が勝利を信じなかったわけではないが、どのような事を云われようと、非国民呼ばわりをされようと敢然として疎開を始め、暗い夜道をリヤカーに幼い子らを乗せて逃げてくれたおかげである。
でも、戦争は時代が古いほど敵味方の人格も高く、時代を経るに従って悪くなっていくような気がしないか?上杉謙信のような敵に塩を贈るほどではないにしても降参した兵をピストルで撃つとか、坂の上の雲で見るような現地人を惨殺したり、私の知る人も中国で日本刀を振り回したと聞いている。その人は自分が斬ったとは云わなかったが、聞いている人の全ては性格からしてその人が中国人を日本刀で斬ったと思わない人はいなかった。人の精神は戦争に因っても落ちる物と知ったが、明治時代、坂の上の雲で見られるように、あの時代のロシアの人も日本人も現代の人間よりは数段上と思った。