失敗した!!!テレビを見ながら高血圧の薬を飲んでいた時、その薬の入っている硬いアルミの包装まで飲んでしまった。毎朝1錠ずつ飲むので14個位繋がっているのを1錠ずつに切り離してあった。急いで洗面台に行き、喉の奥に指をつっ込んで何とか吐き出そうとしたが・・・駄目だった。飲んでいないのでは?と思いなおしもう1度座っていた所を隈なく探したが無い。もう食道を通過しているのだろうか、何となく胸の辺りがチクンとする感じ。1ヶ所だけ痛い。どうしようと思っても後の祭り。一応会社に行ったが今日は日曜日。いつもの病院は休み。仕方が無いので月曜日に行く事にした。1日中そこがチクンとしていたが、食べ物を入れると一緒に押し出されると思い、ひとくちに多く入れて食べた。死ぬ事も無かろうと思いベッドに入った。朝まで何とも無かった。そして本日午後、そのお薬を処方して下さったクリニックに行き、おなかのレントゲン撮影。何処にもその影は無かった。そしてお叱りを受けた。「もう、出てしまっていますよ。でも、ばらばらにしてはいけません。10何錠と繋がったままひとつだけ飲んでください。その錠剤は切られたその時から飲み込まれる運命にあったんですよ」との事だった。そうかなあ???でも良かったね。
昭和48年12月20日だから何年が過ぎたのか数えなければ分らない。悲しみもいつか薄らぎ自分もお仲間入りするようになった。その頃幼かった子供、3歳と5歳の男児は33歳で黄泉の国に旅立ったその父親の年齢を超えている。最近はその2人の甥が私の弟の子だとは思えなくなっている。あの時の弟は33歳、いつも私には33歳の姿で現れる。その若い弟の幼い男児がこのようにでっかく、父親よりひと回りも上になっている。弟が33歳を超えた時、兄が「やっとおやじの年を越えられたな」と云ったという事を聞いて、やはりこの兄弟の胸にはいつも父親の影が去来しているのだと思い悲しくもあり、嬉しくもあった。33歳の若い弟よりひと回り大きくあの時の彼らよりもっと大きい子らを抱えている甥達に、何時までも子供達と共に在れ、と祈るばかりである。