戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

“げげげの女房”を毎日見ている。

2010-06-10 17:46:17 | Weblog
 毎朝必ず “げげげの女房”を見ている。朝は5時には起きるがいろんな仕事が山積で少しの休みも無い。先ず最初に血圧を測る。おきて直ぐが良いというのでうっかり忘れて30分も1時間も経ってから計る時もあるが、必ず計る。それから台所の仕事、外の仕事と続く。今は草むしりやお花、野菜類の水遣り、ゴミの整理と続いて食事にあり付くのは8時頃、“げげげの女房”が始まるか始まる寸前だ。横目に見ながら仏様にお線香やお茶をあげ、自分の番になる。朝は殆ど摂らなかったが、血糖値の関係で朝はきちんと摂るべきだと知り、そのようにしている。朝ドラはあまり見ない方だったが、“げげげの女房”は私の育った頃より何年か後だけれど、貧乏世帯をやりくりしている姿は自分の戦後の苦しい時代を彷彿とさせてくれ、とても懐かしい。2歳上の姉も必ず見ていると聞いた。質屋にも私は母と一緒に行った事がある。そんな思いをした事のある人にとって、戦後は今や懐かしく思い出すだけとなった。あの頃、姉や私は子供だったけれど、両親の苦労が偲ばれる。そして又、子供達もその思いを分かち、共に苦労した時代であった。これを見て今の子供達はどう感じるのか知りたいと思った。今日のブログは画面を殆ど見ずにキーボードだけを見て打った。目がやられては敵わないので、最も眼の疲れない方法を取った。これなら毎日ブログを載せられるかな?