殺すなかれ。
盗むなかれ。
怠るなかれ。
インカの法3章である。漢の法3章と異なるのは、「怠るなかれ」漢は「侵すなかれ」である。
インカに文字と貨幣なしに数千キロ版図の帝国を建設したが、日本の歴史にあえて類例を求めれば、「大化の改新」前の石部、渡部、岡部、織部、服部さんの部民制時代に当たるか?
相互ボランティア制なので怠ける人が居ると社会が機能しない、大化の改新前にはその嘆きがしばしば語られている。ちなみにインカ人はいまでも働き者である。
◇妹、家内と1995年10月4日からインカ、ペルーの「はるかなるアンデスへの旅」9日間、29万8千円。
4日、成田からロサンゼルス乗換えペルー首都リマ
5日、プレインカ時代のパチャカマ古代遺跡、黄金博物館観光後、砂漠のオアシス街イカ泊
6日、ナスカの巨大地上絵をセスナ遊覧観光、「気球の方がよい」と言ったが「絵を損傷のおそれ」とありと不許可。リマ泊、夕和食。
7日、インカ帝国の古都クスコへ空路、昼食後に太陽の神殿、サクサイワマン城砦跡、タンボマチャイ沐浴場あとなど観光、クスコ泊。
8日、アマゾン河上流のウルバンバ河まで高原列車で行き、天空都市マチュピチュ遺跡へ、20世紀に白人に発見されたときにもインカ人は居住していたが、フジモリ以前は軍のヘリ基地だった。夕食ハフォルクローレ音楽付きディナー。
9日、チチカカ湖畔の街プーノへ空路、着陸時の「落着」で荷物や酸素マスクが落下、飛行機にも損傷の可能性あり。午後にチチカカ湖上のウロス島観光。夕食は湖魚料理。
10日、荒涼とした岡に立つシルスタニ遺跡を観光し、バスでフリアカへ向かい、空路リマ。古代アンデスの「縄文」土器、織物などの天野博物館観光、夕食はシーフードのさよならパーティー。深夜空路ロスへ。
11日ロスで乗り継ぎ、日付け変更線を越えて
12日午後、成田着。