2月24日8:00バルパライソ入港。チリは人口1600万人、56度30分のホーン岬から、17度30分のアタカマ塩湖、砂漠の国境まで4300キロ、
◇9:15ーー18:30帰船。
チリのマプーチェ族と地元料理と超安い地元チリワインで儀式センター交流会、日本人38人、芸、日本茶など紹介。
ワインはいくら、と聞くと5リットル以上入っている超大瓶で5ドルというので、場所を聞くとスーパー。
さがしても見つからなくて残念。
マプーチェはいまも歌っていうーー
「十回戦って勝つぞ!」
かつてはアルゼンチンにも居住し、侵攻してきたスペインを撃退したこともあるが、
現在はチリに百万人が生存して、自分たちの文化を守ろうとしている。ほかにアイマラ、ラバヌイ、アタカメーニョ、ケチュア、アラカルーフェ、ヤガン、コージャ。
◇パタゴニアの地名になったパタゴン巨人は前世紀始めに全滅させられた。
そして南米最南端のヤーガン族は2006年現在、78歳の老女一人となっている。
◇出港23:00
2006年2月13日4:20イグアスの滝へ
エアロパルケ空港6:00チャーター機では添乗員役の「ピースボート・ボランテア」がファーストクラス席におさまって、楽しくさわいでいる。杖の老人に介助もなし。
7:45バスでブラジル側へ(年百万人観光客の内、日本一万人)たしかに大瀑布である、観光1時間15分。
アメリカ・ナイアガラのように半分は発電に利用した方がと思うのは貧乏人根性かな?
1時間15分、昼食シェラトンから歩いて2時間のアルゼンチン側瀑布観光、夕食は大きく硬いバッファロー交じりの牛肉で1時間半。
20:20帰船
◇14日0:00ー100メートル幅航路を深さ10メートルに浚渫してあると海図にあるが水深9メートルのトパーズ号船底がしばしば川底をこすっている。
このアルゼンチンは大借金による破産国家で国債なども返さないデフォルト宣言をして以来、国際金融から見放され、銀行、企業も倒産している。、、、これ日本の未来図かな?
◆この国は金は無くなっているが、食い物はある。ウシュアイアの客船埠頭から数分も歩けばウニ、アワビが採る人も無くーー
◇1996年12月7日から、暴風、氷山と鯨ペンギンの南極クルーズ18日間
全日空で11時発ーー9:15ニューヨーク19時アルゼンチン航空発、最初の予定では二月予定であったが、アラタラソーワ号が氷河に座礁したとしてチリがドッグ入り検査を命じたため遅れた。
8日8時、ブェノスアイレス着後に朝食
9日、アルゼンチン・タンゴ、市内観光など
10日、6:15ウシュアイアへ
10:55耐氷客船アラ・タラソワ号南極へ。
11日、船中で南極講座
12日、船長が、鯨発見に懸賞。猛追跡!
13日、5泊6日の南極半島クルーズ
アデリーペンギンの営巣地ポートレット島
足の降ろし場のないほどの髭ペンギンのルッカリーのあるホープベイの岡からの眺め、氷山群よし、四国より大きいのも時に発生するとか、棚氷が大陸から離れて流出、14年でブラジル沖赤道付近に達した由。数千メートルの南極氷がすべて解けると海面が100メートル上昇して世界の大都市は殆ど水没、文明の発展と逆転する。
◆温泉のでるデセプション島のカルデラ湾内で入浴、泳ぎ海水浴した、といっても疑惑の眼で見られるが、温泉の湧き出るところから100メートル先の船まで泳ごうと向かったのだが温泉から離れるごとに温度が下がってくるのが分かったのでこれは持たないと考えUターン。着替えの私をドイツ夫人が珍獣を見る如きに往生。
南シェットランド諸島のチャイナ、アルゼンチン、ロシアの観測基地訪問
巨大な氷河群と岸壁の広がるラメーア海峡を抜けるとピーターマン島周辺をゾージャックボートで観光
18日、ドレーク海峡クルーズ
19日、フェゴ島沖
20日、ウシュアイア着後、氷河フライト
21日、14:45ブエノスアイレス19:15着
22日、12時発、ロサンゼルス21:45
23日、12時発、
24日、成田着、16:30
ついで5科目の学科試験。
1 国際航空民間条約への加入は、アメリカ合衆国に通告することによって行う。
2 国際航空民間条約への加入は、国連本部に通告することによって行う。
3 国際航空民間条約で定義する国際航空業務とは、二つ以上の国の領域上の空間 にわたって行う航行をいう。
4 締結国の領域に入るすべての航空機は、指定した空港に着陸しなければならな い。
5 締結国の相手側が設ける規制に従うこと、免許状の発行を受けたときに無線送 信機を携行することができる。
さらにもう1問。次の事項のうち、運輸大臣の許可を必要とするものはどれか。
1 物件の投下
2 滑空機の曳航
3 編隊飛行
4 落下傘降下
これは自家用操縦士学科試験「航空法」の出題例であるが、
このほかプロペラ、発動機、耐空性などの航空工学。
雲風、天気図、気象通報式などの航空気象。
管制、通信組織などの航空通信。
風力三角形、VOR、飛行計画などの航法。
合わせて5科目を10年8月29日に受験した。
8月にパイロットの学科試験があるので5月までに申請せよと聞いたのがその5月下旬。受験申請用紙1枚が本1冊の値段。受験票が届いたのが8月18日、保険約款より』細字の注意書きなどで試験日や場所が分かった。
航空従事者技能証明パイロット・ライセンスは学科試験に全5科目したのち、操縦実地試験に合格して、証明書がでるらしいのだが、私の周囲にはアメリカ、チャイナ、アフリカなど外国免許の切り替えばかりで、全体でも95%は切り替え組という。
私の実技教官までが「甲村さん、アメリカで取ってきたほうがいいですよ」という。いまだに日本での実態がよく分からない。 国際航空民間条約に基いて、ほぼ共通レベルであり、マークシートだが、その後の処理はアメリカが即時判明、日本は1か月後。平成11年5月17日、総訓練時間50時間ほどでソロフライト。実技試験の見通しを尋ねると、あと150時間は訓練してもらわないと、、、50時間訓練に2年かかっているのにこの3倍訓練では、、、と言うわけで、6月20日からチャイナ行き。 殷史跡の安陽飛行学校(校長は敗戦後の日本軍人に旧日本機で教育を受けた人)、私の野外飛行は新郷市、鄭州(なんと気球でも洛陽から飛んだ)。1週間でライセンス獲得。実技試験申請条件は40時間の教習飛行。そのうち10時間以上の単独飛行、出発地から270キロ以上で中間において2回以上の生地着陸を含む5時間以上の野外飛行、夜間離着陸および航法の実施を含む20時間以上の同乗教育飛行となている。 実技試験の前に試験管がオーラルという口頭での試験。これが6時間にも及び、それから実技試験。合わせて十数時間にも及び、同乗教官が気絶した実例もあるという。 それ以前から気球に乗っていたが、気球初乗りは昭和62(1987)年10月19日、免許取得は平成3(1991)年10月20日だから、4年掛かっていることになる。 ◇おおむかし俊寛が流された薩摩硫黄島へ北九州、神戸、八尾など経由、26日8時から3日間の予定。出発地は茨城の大利根飛行場。硫黄島は火山島で秘湯あり。飛行機観光、宿の上空通過で飛行場へ迎車、そのまま露天風呂温泉へ。
費用は総額20万円の人数割り(宿泊費は別、民宿ガジュマル09913-2-2105予約)。 山口忠彦、田村静江 濱本裕幸、甲村 謙二 ★こんにちは。 ご連絡、回答ありがとうございます。あ~。残念(^^; ・・・そうですか。。。来週中盤からだったのですね。
ゴールデンウィークであれば、近い日程でも大丈夫だったのですが
来週は・・・少し、急すぎました(^^;)
詳細教えて頂いたのに申し訳ありません。
また、次回、お話有りましたら、楽しみにしておりますので、
よろしくお願い致します。(^^¥ Udagawa.
★調布空港ですが、ご承知の通り、平成18年3月31日をもって、管制業務から情報提供業務へ変更となります。
運用方法等を各自、FLT前にご確認していただきますよう宜しくお願いいたします。
対空通信局名称:調布フライト・サービス
周波数130.8MHZ(10W)
詳細他、不明点は、小型航空機安全運航センター 調布事務所にお問い合わせ。
高額の上空通過料と法外な着陸料によって、小型機にとって禁断のロシアに対して、EUが引き下げを求めて圧力を掛け始めた。
ロシアは1904年にEUとの間でWTO世界貿易機関加盟の条件として、この通過料などを13年までに段階的に撤廃するこで合意したがこれまで進展はまったく無かったため。
◇ソニー、羽田の毎日新聞格納庫にあったファルコンを売却。 ◇榎本大輔氏の宇宙旅行、今年9月に決定。
2月8日
8:00ブラジル・リオデジャネイロ2月末がカーニバル、桟敷、練習風景
◇九時、登山電車でコルコバードの丘、シュラスコ牛焼き昼食
◇ロープウエーでボンジアスカール、コバカバーナ海岸
◇観光客が車窓から一見すると港も街も美しく、繁栄しているかのようにみえるが、きらびやかな商店街の背後に道路も水道もないスラムが、その気になれば見ることができる。
◇中南米の特殊現象だと思うが、標高の低い、広い道に面したところが商店か高級邸宅。電気、水道、勿論ガスもない丘、山の手はスラムになっている。
9日
0:00出港ー※船検査ロイズ保険「検査乗船」
2/10船中で陽明学講座
12日ブエノスアイレスの裁判所、コロン劇場、5月広場、プエルト・マデーロ地区など観光。11:15分のフェリーでウルグアイのコロニアへ1時間。
坂道のコロニアを歩き、バスで要塞城門、灯台など観光、昼食。
◇30日24:00出港、砂漠を歩いて遭難寸前の女性も寸前乗船! 2/3陽明学講座◇事上錬磨と知行合一ー
◇調布空港ですが、平成18年3月31日をもって、管制業務から情報提供業務へ変更となります。
運用方法等を各自、FLT前にご確認していただきますよう宜しくお願いいたします。
対空通信局名称:調布フライト・サービス
周波数:130.8MHZ(10W)
詳細他、不明点は、小型航空機安全運航センター調布事務所に問合わせ。
1994年、マンデラ政権が登場し、ムべキ副大統領は与党内に派閥を作るため、賄賂をつかい、役職を与える方法で大統領になった。
新任の黒人役職者には、能力に関係なく前任白人と同額の給料が与えられたが、行政水準は低下し、公共サービスは機能しなくなった。
南アフリカ国民の40パーセント以上が貧困と失業に苦しんでいるのに、黒人富裕層がうまれ、どんな犠牲を払っても私欲に走る社会になった、それをめざして、全アフリカから不法移民が流入。
これらの新富裕層は「自分たちこそアフリカ人である」と主張し、先住民がアフリカ人と称するのも許さない人種差別主義者になっている。
育ての親のムべキ大統領も、講演で、欲深く富を蓄えるエリートを厳しく非難したがーーー
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1月26日朝、南アフリカ・ケープタウン◇テーブルマウンテン(遠望するに煙あり、上陸後の夜は3か所に炎あり、消息客曰く死者一人英人のタバコ投捨てが原因)と。
希望峰、ペンギンコロニーなどの予定は強風、火災のため?入港できずに漂泊して、27日に入港。
9:30からワイナリー昼食などバスツアー、アザラシ島クルーズ40分。
◇車窓から70万人が暮らす世界一のスラム街をみる。住民がここへくる前の家もこんなものだったんだろうが、これだけ集積されるとスゴイ
◇20:00船着ー24:00発は再び給油遅延により28日5:45に変更。
トパーズ号は深夜の給油がお好みなのか、業者が給油を渋るのか、安い油、処理費付き廃油をかき集めているのか?
インド洋モンパサ港(押売り露天商、イスラム多し)
◇7:45集合3時間 ツァボ国立公園で車サファリ、園内ロッジで昼食、テンボ多し。18:30ごろ帰船。
★前回平成8(1996)年9月15日から9日間のケニア旅行はマサイマラで気球サファリ。ほぼ10年前にとった黄熱病予防注射がまだ効いている、ということでパス。
アンボせり、ナクル湖などへも行ったが目的地はマサイマラ。
フラミンゴで知られるナクル湖へ行った。私が行った8年には100万羽、その10年前は400万羽いたフラミンゴが、今は30万羽に減ったという。 サバンナの乾燥化によって水とえさが減ったためらしい。ナクル湖の水量は10年間で半減し、水際が1キロ後退したという。
平成8年10月3日、6時25分から8時3分までケニアのマサイマラ自然公園で気球サファリを堪能。
これが最高(気球に驚いて夜行性の動物まで動きだす)だが、この保護区にはなさそうなのでーー車サファリで我慢。
18:30帰船 ◇19日モンバサ駅まで散歩、新聞5部の露天商あり、各商店はライフルを手にしたガードマン
◇セレンゲッティに行った人曰くタンザニアで牛遊牧のマサイ族を自然保護区から締出し21:00ー
◇20日陽明学十話心即理
24日11時30分からプール屋上デッキにて21日ナイロビで殺されたピースボート水先案内人ピーター・オ ルワ(妻4人の内一人は日本人)の船上追悼式◇ピースボート乗船を理由に定職を解雇された南アの歌手 ◇ピースボート乗船で大手広告代理店から戒告処分されたコピーライターのマエキタミヤコさんの船内講演第一声はピースボートとは何?(私も支払先のグレイス社に問合せた答えは船内企画担当です)?ー26日10:00陽明学講座〓
★ケニアの雰囲気が悪くなった。
アフリカで唯一、内戦未経験国であるがーー
15日7:00 インド洋のセイシェル(人口8万人 )・ポートビクトリアのマヘキーノース着岸、危険度2
誰が言ったか「地球最後の楽園」に、街の中心まで歩き20分、、国産なく、輸入品で物価高、に、その痕跡もなし。
◇8:30グラスボートで白骨珊瑚(旅人曰く、南太平洋のパラオでも同じで高温化が原因)のセントアン海洋公園へ、
レストランのラウンド島上陸、くさいわけではないが馬糞くらげ大繁殖、シュノーケリング(クラゲにさされた人あり)1時間
17:00帰船リミット18:00出港
◇無人島に仏人が航路を開いてより、アフリカ・インド人など移住混在、言語はフランス、スペイン植民地系クレオール語。
◇独立後も軍隊のないこの国は、現大統領のやとった200人の傭兵が2機の航空機で飛来してセーシェル乗っ 取り。
2006年1月2日7:00入港・ダナン
◇(雨)7:45集合50人、チャンパ王国のミーソン遺跡徒歩観光2時間で蟻坂(アリンコ)にバッタリ遇う
◇15:30チャム博物
◇にわとりのチャモはここに由来するもので、名古屋コーチンのコーチンは此所をさしている。
純粋のチャム人は30万人ほどであるが、南ベトナム人はチャムが被征服によってベトナムに同化しまのだろう。
◇交流会で民宿した人下痢、外務省情報ではシクロに乗るな(本船でも強奪にあった人あり)
◇3日8:15集合ホイアン旧日本(NHATBANニャパン)人街、日本橋散歩、フーンフンの家、シルク工場、市場など徒歩2時間半、日本起源のうどん昼食
◇この世界一周船でのダナン寄航の前にサイゴンなどベトナム南部旅行記を「愛知通信」に書いた文の転載。
仲間6人と11月29日から12月4日まで6日間の旅。サイゴンまでの直行便はないのでマレーシアのクアラルンプール経由であるが、南ベトナムの首都サイゴンを占領した北ベトナムはホーチミン大統領のなを都市名としたが、現地の人は政府の役人を含めてサイゴンと呼んでいるので、以下サイゴンとします。
30日の昼ごろ、サイゴンについて、先ずシクロ客用自転車騒ぎになった。
1ドルの約束で乗ったのだが、1人は路地に連れ込まれて10ドルふんだくられ、私はホテルに行けと行っているのに途中で降ろされ10ドル要求するので、ホテルまで歩いて戻る。ハノイから来ているガイドの説明によるとシクロ組合が街頭を支配している。後で何をされるか分からないということでシクロ君と再交渉、3ドル払う。女性ら4人はホテルまででチップあわせて2ドル。最初からべトコン遭遇でした。
12月1日はベトナム戦争中、べトコンの聖域といわれたサイゴン南東クチの地下トンネルが観光地化されており見学、変だ!戦時、我が家にあった防空壕にそっくりだ。その案内文に抗日戦争時に建設された、と?(このトンネルは第2次世界大戦時。
日本に帰って調べるとそっくり理由が分かった。日本の南方総軍が掘削し、武器も隠匿し、ベトミン『大東亜戦争を継承する独立軍と考えた多数の日本兵が参加した』に引き渡した)。ここでは米中の銃を1発1ドルで試射させてくれる。チャイナ製の反動が大きいのは火薬量が多いためという。
2日はメコン河下り、カント州ミト市で蛇酒を40円で買い、夜は蛇酒パーティー。メコンの水量は全日本の水よりも多量という。水のある大平野は穀倉地帯であるが、共産農場では食量不足になったものの、個別請負で収穫の4割を政府米としたら、たちまち米の輸出国になった。江戸時代の4公4民のようだ。
ベトナムの米輸出については、毎日のように値段が上がり消費量が減少していることから、半飢餓輸出であろうが、原油、難民からの送金とともにベトナム経済の支えである。
サイゴンツーリストのガイドの月給3000円、酒タバコの値段は日本に同じ、ハノイに行く飛行機代が月給の8か月分とかで、、、軍隊でサイゴンに来て、除隊して現職についてから1度の帰っていないという。11月末に1円が108ドン、1か月前に行った人から聞くと倍になっているという。物価は毎日上がり、昇給は半年に1回という。
ベトナム人の2割が失業というが都市にかぎればさらに高いだろう。仕事のある人よりも親族に難民仕送りのある人の方が幸せなようである。ガイドの夢は貯金して本田のバイクを買うこと、難民家族はすでに乗り回している。
ベトナムで不思議に思うのは鉄砲玉一つ生産できない世界の最貧国が、どうして100万の大兵力を抱えてラオス、カンボジアで軍事力を行使できるのか?ソ連チャイナから貰った武器に下士官兵は無給、少尉200円、少佐500円、少将の月給1000円、食料は「4公」からのタダなら可能乎!
さらに不思議なのは退役軍人に30坪の土地をくれるというが、ここだけ建築ブームで武士の商法が大繁盛である。ガイドが説明を拒否したので私の推測は退役軍人のもっているラオス、カンボジアに行ける3国パスポートと軍用車を使っての密輸稼ぎだろう。