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宇宙飛行士&阿波踊り、陽明学、王道、能茶、旅行、歩き登山

宇宙弾道飛行申込み、時に自家用飛行機で北海道、時にマニラ、空港巡り。自宅からスポーツクラブ&陽明学、温泉宿、歩き山登り

7-26米英華三国ポツダム宣言文は

2013年07月15日 | 陽明学
昭和20年7月26日のポツダム宣言文はトルーマン一人が署名、蒋は名も無く官名のみ、チャーチルもトルーマンの代筆。

吾ら合衆国大統領、中華民国政府主席、グレートブリテン国総理大臣は数億の国民を代表して協議の上日本国に対し今次の戦争を集結するの機会を与うることに意見一致せり
一 合衆国、英帝国及び中華民国の巨大なる陸、海、空軍は四方より自国の陸軍及び空軍による数倍の増強を受け日本国に対し最後的打撃を加うるの態勢を整えたり右軍事力は日本国が抵抗を終止するに至るまで同国に対し戦争を遂行するの一切の連合国の決意により支持せられ且つ鼓舞せられ居るものなり
二 決起せる世界の自由なる人民の力に対するドイツ国の無益且つ無意義なる抵抗、、、

四 無分別なる打算により日本帝国を滅亡の淵陥れたる我儘なる軍国主義的助言者により日本国が引き続き統御せらるべきか又は理性の経路を日本国履むべきかを日本国が決定すべき時期は到来せり

五 吾らの条件は次の如し
吾らは遅延を認むるを得ず
六 吾らは無責任なる軍国主義が世界より駆逐せらるるに至るまでは平和、安全及び正義の新秩序生じ得ざることを主張するものなるを以て日本国民を欺瞞し之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたるものの権力及び勢力は永久に除去せられざるべからず
七 右の如き新秩序が建設せられ且つ日本国の戦争遂行能力が破砕せられたることの確証あるに至るまでは連合国の指定すべき日本国内の諸地点は吾らの指示する基本的目的達成を確保するため占領せらるべし
八 「カイロ」宣言の条項は履行せらるべく又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びに吾らの決定する諸小島に局限せらるべし
九 日本国軍隊は完全に武装を解除せられたる後各自の家庭に復帰し平和的且つ生産的の生活を営むの機会を得しめらるべし
十 吾らは日本人を民族として奴隷化せんとし又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ざるも吾らの俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰加えらるべし日本国政府は日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障碍を除去すべし言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立せらるべし
十一 日本国はその経済を支持し且つ公正なる実物賠償の取立てを可能ならしむるが如き産業を維持することを許るべし但し日本国をして戦争のため再軍備を為すことを得しむるが如き産業はこの限りに在らず右目的のため原料の入手(その支配とは之を区別す)を許さるべし日本国は将来世界貿易関係への参加を許さるべし
十二 前記諸目的が達成せられ且つ日本国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有し且つ責任ある政府が樹立せらるるにおいては連合国の占領軍は直ちに日本国より撤収せらるべし
十三 吾らは日本国政府が直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し且つ行動における同政府の誠意につき適当且つ充分なる保障を提供せんことを同政府に対し要求す右以外の日本国の選択は迅速且つ完全なる壊滅あるのみとす 



日中「記者交換」古井、田川の秘密協定

2013年06月21日 | 陽明学

昭和45年10月5日、帝国ホテル・桐の間で新聞協会各社の編集局長と岡崎嘉平太、古井喜実、田川誠一会談「43年に覚書貿易を結ぶのにこれまでの政治三原則、政経不可分、そのほかの条件が守られるべき原則として提案され、同意した、この際今後は、記者交換も中国政治三原則を守ることを原則に北京特派員の派遣は古井、田川があっせんする。

三原則とは日中に存在する障害は米帝国主義と日本当局が推し進めている中国敵視政策よってもたらされたものであると中国側は指摘した。
日本側は中国の立場に強い理解を示し、今後もこのような障害を排除し、関係正常化を促進するため更に努力を払うことを表明した。
中国側は中日関係における政治三原則(敵視政策をとめる、2つの中国陰謀に加わらない、正常化を妨害しない)と政経不可分の原則を堅持することを重ねて強調した。

古川元朝日新聞記者らの日中記者交換協定によって日本の新聞は、台湾取材の放棄、台湾加盟の国際機関からの脱退、中共から「中国」への呼称変更などを強制された。抵触した記者は国外追放、私も毎日新聞在職時の台湾旅行は禁止されていた。

日本新聞協会新聞各社とも、この秘密協定を否定しながら、北京特派員が追放され、昭和46年、朝日新聞の秋岡一人になった時点で、広岡社長は「特派員が記事をかかなくても事実の確認者として記者をおくべきだ」と。

この協定が言論弾圧となって記者に襲い掛かった、43年6月、日経北京支局が家宅捜索され、鮫島特派員は逮捕され一年半、抑留された。新華社は「鮫島記者は特派員の身分を利用し、長期にわたってスパイ活動を行い、中国の政治、軍事、経済格部門の情報を大量に盗み、日米反動派に提供した」と報じた。

この時、日経新聞、新聞協会、さらに外交当局も一切の抗議をしていないだけでなく帰国した後の鮫島記者も、この事件について発言はないが、フランススワールは「中国の『軍国主義復活』に対する日本非難はかつてのソ連のドイツ非難と同一であるが、ドイツは自由社会の原則を維持した、日本の新聞は、、、」は。


陽明学六話◇致良知と致知格物 ◇殷きょ=安陽飛行学校

2013年06月09日 | 陽明学
陽明学6話◇致良知と致知格物

致知格物のごときはわが心の良知を事々物々に致すなり。
致知は実事上にあってこれを格す。

格物は大学の実に手を下すのところにして徹頭徹尾、始学より聖人にいたるまでただこの工夫のみ。

格とは正すなり。その不正を正して以て正に帰するなり。
事々物々その理をうるは格物なり。

善をなし悪を去るはこれ格物。
時にしたがい、事上について、その良知を致せばすなわちこれ格物なり。

戒慎恐懼はこれ良知を致すのくふうなり。事物きたれば、ただわが心の良知を尽くして以てこれに応ず。
(伝習録より抜粋)

親民、明明徳、至善を『大学』の三綱領。
平天下ーー治国ーー斉家ーー修身ーー正心ーー誠意ーー致知ーー格物を八条目というが、この要を誠意『誠』におき、具体的には事物を正格にすることとした。

宋代の朱子が四書五経の学問の基礎とした致知について、陽明は人間が生まれつき持っている良知を実現、実行することで、師から教えられたり、経書を読んで身につける知識とは次元の異なるものである。

陽明の学問の基礎になった心即理と同じく致良知も寧王の反乱という非常事態に対処するなかで生まれたものである。

◇安陽飛行学校
◇平成11(1999)年6月20日から河南省安陽(殷の遺跡を楽しみにしていたが、行って見ると麦畑、埋め戻した、と)の
飛行学校で後期訓練と卒業試験。
北京から安陽まで列車10時間。


陽明学五話◇学は天理を存して人欲を去る ◇相撲、競馬のナーダム祭モンゴル

2013年04月30日 | 陽明学

学はこれ人欲を去って天理を存するを学ぶ。
学は理をきわむるに至っていたる。
学はすべからく己にかえるべし。もしいたずらに人をせむれば、ただ人の不是を見て、自己の非を見ず。

学は(己に)反求を貴ぶ。知解の入るべきに非ざるなり。
学の始めはもとよりすでに即ちこれ行なり。学をなすの大病は名を好むにあり。

学は必ず外求に資るというは、己の性を以て外にありとなすなり。学問思弁行はみな学をなすゆえんにして未だ学んで行わざる者あらざるなり。学者須らくまず礼楽の本原上より功を用うべし。
学者の聖人を学ぶはこれ人欲を去って、天理を存するにすぎざるのみ。

陽明四十代、明の正徳8、9年ごろ牧馬を管理する任にあり、山林牧野を遊行して、同行した門人の疑問に答えたり、時には数百人が車座になって舞い歌うこともあったという。

このころ人欲を去って天理を存する工夫を説く。心即理から天理へ絶対性の強調。天の字は人の頭の上であるが、モンゴル語テングリの空にいる絶対なる天になった。八百万神の日本人になじみにくいのか、理解されない思想の一つ。

例外的人物が西郷隆盛と夏目漱石か。

◇平成4(1992)年7月10日午後1時、名古屋空港発でチンギスハンのまつり・ナーダムの旅八日間
   北京空港(強制的)経由で19時頃ウランバートル着、迎賓館泊。
11日、ウランバートル市内観光後、ナーダム祭り(草原直線20、40キロ競馬、弓、相撲)

12日、午前中はナーダム祭り、寺院参拝。午後は南ゴビ砂漠へ、モンゴル天幕ゲル泊。
13日、砂丘へバス旅、大鷲のすむ氷河渓谷「鷲の口」観光、恐竜博物館。

14日、首都へ戻る飛行機は自由席、貨物室満杯で2機目待ち。
   バスに乗り換えブルド=カラコルム(2代目オゴタイの居住地)、ブルド・ナーダム主宰、羊を15分でさばき血も溢さず。
15日、エンデンズー寺院参拝、草原のゲル民家を訪問してアイラグ馬乳酒を飲む。

16日、バスで帰京、モンゴル歴史博物館(玄関前にノモンハンのレリーフ)
  迎賓館で夕食は芸人招いてさよならパーティー。
17日、モンゴル航空名古屋へ直行。
 リステルの長治観光に手配を依頼し34万円。

◇チャイナ内モンゴルへの旅も計画したが出発直前に中止命令、現在も少数民族地域旅行不可。 

◇5/19麻布十番温泉三金6会


明治34(1901)年の「20世紀」未来予測

2013年02月05日 | 陽明学
明治34年1月2,3日の郵便報知は「20世紀の予言」で、19世紀の世界の進歩は驚くべきもの、かたちに表れたものでは「蒸気じだい」「電気時代」といわれ、無形の動きでは、人造時代、婦人時代で、さらに物質的進歩は速度をましていくだろう。

無線電信電話は世界で自由に対話できるだろう。遠距離の写真もカラー電送、テレビで見られる、またてれび電話も発明される。電気利用で人声が十里届くようになる。

19世紀には少なくとも80日間かかった世界一周が7日もあれば充分だろう。またするようになるだろう。鉄道の高速化で東京ーー神戸間が2時間半になる。市街は自動車で、鉄道は地下か、空中に。

薪炭、石炭から、エネルギーは電気になる。ツェッペリン飛行船は空中軍艦、空中に砲台を作り出す。

冷暖房機会が発明され、寒暖を調節し、蛍や蚊もいなくなる。電気によって野菜を生長させ、空豆が樽大になったり、色を変えることも可能になる。

地震の揺れは避けられないが、道路家屋の建設、工事技術の進歩によって被害は免れるようになる。

医学は薬を使わなくなり、電機治療になる。外科中心になり局部手術で痛くない。身長は伸び6尺以上になる。


名古屋名物鰻料理「ひつまぶし」鰻の美味しい食べ方

2013年01月25日 | 陽明学
平成25年1月24日昼過ぎ、名鉄デパート9階のまるや本店で名古屋名物・うなぎ料理「ひつまぶし」を30分待ちで食べる。

その「のり袋」にひつまぶしの美味しい召し上がり方が書いてあった。

器に入ったまま、しゃもじで4-5回かきまぜます。 1膳目はそのまま、茶碗によそってお召し上がりください。

2膳目はのりなど、お好みの薬味をそえてお召し上がりください。

3膳目はお好みの薬味を添えて、お茶漬け用のだしを多めにかけて、どうぞお召し上がりください。

ここは鰻を1センチほどに輪切りにしているが、

熱田神宮鳥居付近で食べた時は角切りでかき混ぜやすかった記憶がある。

たれのベースは「たまり醤油」。


口之島、中之島、諏訪瀬島、悪石島、平島、小宝島、宝島の吐葛喇列島、十島村に明日葉を

2013年01月20日 | 陽明学

自家用機で吐喝らトカラ列島の口之島、海岸温泉がいい中之島、諏訪瀬島、悪石島、平島、小宝島、宝島を飛んだときの印象は「凄い島だ」。平地が無い、海岸は絶壁が多い。小さい島で山は1000メートル級である。これは船でいかねば、、、と行きました。

鹿児島から、この列島の村有船「十島」で向かいましたが、波浪のため着岸できたのはトカラ馬といい温泉のある中之島と美味しい魚の食べられる悪石島の2島のみ。5島は今度は海から眺めて帰ってきました。奇岩の小宝島では数メートルのツリサゲで弁当を受け取り昼食。

諏訪瀬島には場外だが、飛行場があるのは視認していたので、事前許可を取って、飛行機で出かけた、700メートル滑走路に着陸しました。立派なモンです、以前飛行機から視認していた元のホテルは腐食で崩壊したとか。調布は800ですが、以前使用の阿見飛行場は600メートル、大利根も。

どれほど利用者は、の質問に「2年間に2機」。九州のパイロット仲間に利用を勧めたら、「場外で面倒だし、700メートルでは、着陸が怖い」アクロバットする人にして、である。余談ながら九州は大分以外は小型機にも自由に使用許可、特に熊本空港が態度良好。

80人島1人の公務員氏は、公用車で観光案内もしてくれました。しんせつでしたよ。1813年の噴火では島民全滅でした。現在の島民はある時期のヒッピーが、集団移住とか、未確認。農業の無く殆ど野菜も買い食い。伊豆諸島の摘んで食べるだけの明日葉植栽を勧めるのだが乗ってくる人なし。


山崎延吉、昭和7年から「朝鮮半島十年の思い出」

2013年01月19日 | 陽明学

昭和7年、宇垣朝鮮総督に懇望されて、嘱託となり、農村振興事業計画に参加した。指導目標は精神的には勤労愛好、自主自立、感謝報恩を掲げ、物質的には、食糧充実、現金充当、負債根絶を掲げた。

当時の半島は長い悪政故に勤労精神を喪失していた。身で働く者をと決め、努力を要する仕事を賎業とし、労働を極度に卑しむ風潮が徹底していた。これが亡国の根源である。自ら働かないのだから、冨者縁者に寄食するもの多く、中には寄食者の多いのを誇る者あるも、食いつぶされる悲劇に終わる。

春窮7窮に親類に頼んで食わせないと欲張り、情け知らずとわめき回るので食わせると共倒れになる。この幣を除く為に自主自立を掲げたのである。恩に浴しても有り難いと思わず、恩恵を強要する寂寞の感に堪えなかったので感謝報恩の観念を喚起することとした。

春窮7窮、春窮とは春先に食量つき、冬の麦尽きて7月に食うもの無き農民を言う。農民で現金を全く持たない、見た事もないものも多かった。全てを貰うか借りて生活、世界一の高金利。「現金充当」に面食らう人も。農村振興はここから始まる。戸々の経済を立て、負債を根絶することに5年指導計画の最重点。

文字を知るべき夜学の勃興、婦人の農事労働、養鶏など出荷共同施設の発展、昭和15年の稲熱病の減収にも耐え得て、春窮は起きなかった。また自発的に動き出し、、行政の農村振興事業が終了したことは慶賀に絶えない。山崎延吉の昭和17年11月号「農民魂」より転載。

朝鮮半島に道路、橋、鉄道、ダム、発電所、工場を日本人が作った話は散見するが、農村振興事業に取り組んだ話は珍しい、珍しいだけでなく、当事者の山崎延吉は、私卒業の安城農林高校の初代校長であっただけでなく、愛知県の農業指導者であった。農村婦人の財布としての養鶏を勧め、農業共同組合を進めた人で、朝鮮総督が目をつけたのもここだったのでしょう。