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宇宙航空物語84◇X Prize Cupツアー ◇静岡6/4開港◇FUEL DUMP

2007年07月30日 | 宇宙船
甲村のX Prize Cupツアー申込み受付け通知
お世話になります。有人ロケット研究会の広崎朋史と申します。
X Prize Cupツアーの申込を受け付けましたので、ご報告します。
10/26から6日間ツアーの詳細等は追ってご連絡差し上げます。10名以上で265000円

ツアー参加者は現在までのところ9名となっております。

有人ロケット研究会(Manned Rocket Project) 広崎 朋史(Tomofumi Hirosaki)
E-mail:hirosaki.tomofumi@space-sd.co.jp
URL:http://www.space-sd.co.jp/manned_rocket/

★このほど米スペースシップ2製造工場で爆発事故が目撃されたが、被害の詳細は不明だが社員3人死亡。雁行生産中のロケット宇宙船は全て破壊された。

◇静岡空港 
98年に着工し1900億円かけて建設した静岡空港に、全日空が新千歳、那覇便 開港時から就航方針:静岡(CHUNICHI Web)
全日本空輸(ANA、本社東京)は、2009年3月開港予定の静岡空港(島田市、牧之原市)と、新千歳(札幌)、那覇を結ぶ国内線を開港時に開設する方針を固めた。

 使用する航空機や詳細なダイヤは未定で、予想される利用状況や、羽田空港の第4 滑走路を建設する再拡張事業(2010年10月完成予定)との兼ね合いを見ながら慎重に詰める。

 昨年8月に石川嘉延静岡県知事がANA本社に山元峯生社長を訪問して就航を要請したことを受け、実務者レベルで採算性などを検討していた。
 静岡空港をめぐっては、日本航空(JAL)が国内線の就航方針を2005年に表明しているほか、国際線では大韓航空、アシアナ航空の韓国2社が意欲を示している。

 また、香港ドラゴン航空とエバー航空(台湾)が、チャーター便の運航を検討している。静岡県は国内線就航先として、国内は新千歳、福岡、鹿児島、那覇の4地点を主に想定。国際線はソウル、上海、北京、バンコクなどアジア地域を中心とし、各航空会社へ働き掛けを続けている。

開港直前になって滑走路前方に森林が未買収で残っていることが国交省調査で判明し、平成21年3月開港は4か月延期して6月4日オープン。立ち木の伐採と引き換えに知事辞職を求めた大井寿生さんは5月ヒノキ54本を伐採し、知事は辞任する。

静岡県の行政監査は空港現地事務所が立ち木を知りながら8ヶ月間も報告せず、県は知った後も公表も対策もとらずに国交省検査を迎えた。静岡空港の需要予測は着工時の年間178万人から107万人に修正されているが、、、

◇与圧の問題でしょうか? 36,000ftから降下したJAL事例が重大インシデント報告にあります。
http://220.110.130.106/araic/aircraft/download/pdf/AI07%2D1%2D2%2D%82i%82%60%82W%82O%82V%82Q.pdf
JA8919は載っていませんでした。
油圧が原因だとかなりの重大問題ですね。
◇ FUEL DUMP
先日、7/9にNRTからCHIに所用で参りましたが、その時の搭乗機が油圧システム故障でNRTに引き返すという事がありました。その時の模様をレポート致します。
JL010/09JUL NRTORD JA8919 B44 は定刻12:00をかなり遅れて13:12頃、NRT R/W16Rをほぼ満席で離陸、数分後に高度10,000fに達したが、何故か10,000fでレベルオフしたまま上昇しないので、ATC指示により上昇できないのかと思っていた。
しかし、機内サービスも始まらず、20分、30分経ってもそのままなので、これは何かトラブル発生かと、ふと座席から左後方の左主翼を見ると、燃料が激しい勢いで投棄(DUMP)されていた。
これでNRTへ引き返すのだと観念した。
その直後に機長から、”与圧系統の一部に故障があり、これからのシカゴまでの長旅を考えると念のため、NRTに引き返す事を決断した。”(FUEL DUMPの言及は無し)との事だった。
間違っているかもしれないが、私の記憶では、B44の油圧システムは4系統あるので、残り3系統でそのままシカゴまで行ってもらいたかったのだが、機長の安全上の判断とあれば仕方がない。
当初、銚子沖の太平洋上を東北東のコースをとっていたが、南に変針して20分位飛行しその後北西にコースをとって(高度は13,000fに上昇していた)、銚子VORにダイレクト後、R/W16Rにようやく着陸。離陸してから1時間半が経過していた。FUEL DUMPは40分位続いていたようだ。
最初の機長のPAの時もそうだったが、乗客は皆冷静で大声を出したり、乗務員に文句を言う人は皆無だった。また、NRT着陸時の拍手もなし。
ゲート#61に到着後、修理して再出発するか、シップチェンジするか決まっていなかったので、しばらく機内にいたが、結局シップチェンジして(JA8922 B44)約5時間遅れで出発。



アムール川とシベリア鉄道

2007年07月29日 | 歩き旅行
青天に日傘が誘う河水浴
鉄橋は戦場と聞くクルーズかな
シベリアの夏の森行く夜汽車かな

24日 アムール川クルーズ(ハバロフスク鉄橋まで。この前の鉄橋は第2次大戦時、日本軍の砲撃で破壊)とハバロフスク展望台、アムール川が思ったほど大きくないのは分流しているためらしい。
コムソモール(共産党少年団、その前はカール・マルクス通り、その東の通り名はレーニン。極東ロシアで共産党支配は続く)広場、市場など観光3時間。
ペリメニ水餃子昼食、夕食は魚料理
18:88シベリア鉄道でウラジオストクへ、車中泊

25日着 朝食後8:00レストラン経営者家庭訪問昼食、夕食ビーストロガノフ。ヒュンダイホテル泊

★トイレの鍵が盗られている。

26日 14:50空路2時間(時差-2時間)14:20 新潟空港着




カムチャッカとシベリアバイカル湖 

2007年07月26日 | 歩き旅行
7/18花と雪山のカムチャッカとバイカル湖 遥かなるシベリア・ミステリーツアー9日間

18日(10時、成田1南Kカウンター18~20) 午後12:00ウラジオストク航空XF8812チャーターのツポレフ機3時間半(時差+4時間)でペテロパブロフスク(ゴルバチョフ時代人口30万が19万人)12:35ペテロパブロフスクホテルまで約50キロバスで1時間

19日9:00 6輪駆動車に乗ってワイルド・ドライブを楽しみながら?
アバチャ山麓(途中で自由市場)へ。フラワーハイキング。
ベースキャンプ(山小屋)昼食
15:00バラツンカ(水着着用)温泉
19:00民族(シベリア・シャーマン)舞踊を見ながらシチュー夕食

20日 8:00蚊がワンサカのバチカセツ高原ピクニック
11:00イテルメン民族博物館

21日 9:50空路ウラジオストクへ11:00。昼食後中央広場、C56潜水艦博物館、与謝野晶子歌碑、要塞博物館、本願寺跡など観光3時間、ビーフ夕食

22:00空路イルクーツク0:15着サンホテル泊
22日 11:00バイカル生態学博物館、シャーマンの岩、ニコリスカヤ教会、バイカル湖遊覧など3時間、オームリ魚料理
14:00シベリアの古都イルクーツク2時間観光、ツボ焼き夕食

23日 10:55空路ハバロフスク(時差+2時間)へ15:55着サリャンカスープ夕食、ホテル・パルス ビジネスセンター泊

24日 アムール川展望台、コムソモール広場、市場など観光2時間ペリメニ水餃子昼食、夕食は魚料理
18:88シベリア鉄道でウラジオストクへ車中泊
25日着 朝食後8:00家庭訪問昼食、夕食ビーストロガノフ。ヒュンダイホテル泊

26日 14:50空路2時間(時差-1時間)14:20 新潟空港着




宇宙航空物語83◇横田基地フライトクラブ訪問 ◇飛行機の窓から吸い出されかけた話

2007年07月07日 | 宇宙船

7月7日、横田基地のフライトクラブ訪問
門前に午前8時集合、通門9時20分、工事関係者などで混雑。

十年前はうらぶれていいて、返還の可能性を感じたものが、増強され、整備がすすんでいる。最近、滑走路うち直し、管制塔も新築中。クラブで正午からバーベキュー。

◇双発ターボプロップのパイパーの窓が割れて半身吸いだされた話です。
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http://www.king5.com/topstories/stories/NW_070207WAB_flight_sucked_out_LJ.365cf73c.html
シアトル行きの飛行機からほとんど吸われる人
2007年7月2日月曜日の午後3時40分のPDT
AP通信
ビデオ
クリスフォッグと切られていないインタビューを見てください
人は、ちょうど切り傷と打ち傷BOISE(アイダホ)で生き残ります - 彼の頭と右腕を20,000フィートで空の救急車の壊れたウインドウで吸ってもらった飛行看護婦は、彼のヘッドセットフレームの堅いシェルが彼の人生を救うかもしれなかったと言いました。
クリスフォッグ(41)は、13の中心部分を必要とした彼の頭の上で、裂傷を負いました。肉の厚切りは、彼の腕からも引ったくられました。
しかし、エイダ-Boi Critical Care(彼の家族によって所有されるビジネス)のための看護婦は、ウインドウが爆発したとき、彼がたぶん患者の輸送の間、パイロットと話すために使うヘッドセットが彼が最初の影響からノックアウトされないようにしたと言いました。1秒、彼は患者とパイロットと(言われるフォッグ)話していました彼が外に出していた次、飛行機の尾の方へ過去に見えて、ウインドウ。
「それ(ヘッドセット)は、ウインドウを通り抜けている打撃の主要な矢面をしました。私は、それが私を重傷があることから救ったことであると思います。私がノックアウトされたならば、私は私が終わりまで完全に引かれたと思います」と、フォッグが月曜日にAP通信に話しました。「私は、あらゆるごくわずかの私の存在と戦っていました。私の左腕は、私が出かけないようにしていました。私は、壁を占拠していました」
無料提供の写真
クリスフォッグがほとんど飛び出した平面の内部。
飛行機(ボイシ憲章航空会社からパイロットによって飛ばされる双発パイパーターボプロップ)は、この前の水曜日にシアトル病院への2つの1/2時間の夕方フライトに関するツインフォールズからの18分でした。それは、22,000フィートまで上がっていました。ウインドウが吹きやんだとき、フォッグはちょうど今患者とパイロットのために水筒の方に手を伸ばしました;
彼は、彼のシートベルトをまだ留めませんでした。
「私には、尾の、そして、それがまだ接続された(内部の)ので飛行機の胴体をピシャリと打っている私のヘッドセットの鮮明なイメージがあります」と、Meridian(ボイシの郊外)の居住者が言いました。
フォッグは、彼が最終的に彼の体が窓枠に対して作ったシールをこわして、キャビンに彼自身を引くのに苦労すると言いました。その時までに、彼は頭と腕傷から重く出血していました。
パイロットは、ボイシのConyan Aviationから、コメントを求めている電話をすぐに返しませんでした。
フォッグは、パイロットが速く反応すると言いました:飛行機がキャビン圧を失ったとき、彼はそれを10,000フィート(フォッグが生き残るのに十分な酸素を得ることができる高度)への急な急降下に入れました。患者は、酸素をすでに呼吸していました。
「彼ら(パイロット)は、このまさしくものに備えてトレーニングします」と、フォッグが言いました。「彼(パイロット)が損失がキャビン圧であると気がついたとき、彼は通常の処置を行いました」
飛行機は、ボイシの空港で、およそ20分後に、緊急着陸をしました。
異なる飛行機は患者をシアトルへ輸送するのに用いられました。そして、最初の後のおよそ1時間が着陸しました — フォッグが言った — 患者を加えることは十分になっています。
フォッグ(その人は1983年以降飛行看護婦とEMTでした)が事故の後、日を働かせるために帰ったけれども、彼はその後飛行機で行きませんでした。眠ることは、難しくもありました。
「確かに私の人生で最も大きい闘い」と、彼が言いました。「それがそうであったより、それは今日よいです。穴でも、私は行っている私の頭について悪夢を見ました。あなたは、あなたがいつになるかについてわかっています?それは、そういう夢です。」
ウインドウ故障の原因は、すぐにわかっていませんでした。国家輸送安全委員会のように、連邦航空>局は調査しています。
「我々が頻繁に耳にする何かではありません(ウインドウ失敗)」と、レントンで、FAAスポークスマンアレンKenitzerが言いました、ワシントン、「それは、全く珍しいです。」
Man nearly sucked out of Seattle-bound plane
03:40 PM PDT on Monday, July 2, 2007
Associated Press
Video
Watch uncut interview with Chris Fogg
Man survives with just cuts and bruises
BOISE, Idaho - A flight nurse who had his head and right arm sucked
through the broken window of an air ambulance at 20,000 feet said the hard
shell of his headset frame may have saved his life.
Chris Fogg, 41, suffered lacerations on his head that required 13 staples.
A chunk of flesh was also ripped from his arm.
But the nurse for Ada-Boi Critical Care, a business owned by his family,
said the headset he uses to talk to the pilot during patient transports
likely kept him from being knocked out from the original impact when the
window exploded. One second he was chatting with the patient and pilot,
Fogg said, the next he was hanging out the window, looking backward toward
the tail of the plane.
"It (the headset) took the major brunt of the blow going through the
window. I think that's what saved me from having severe injuries. If I had
been knocked out, I think I would have been pulled completely through,"
Fogg told The Associated Press on Monday. "I was struggling with every
ounce of my being. My left arm was keeping me from going out. I was
holding the wall."
Courtesy Photo
Inside of plane where Chris Fogg almost flew out.
The plane, a twin-engine Piper turboprop flown by a pilot from a Boise
charter aviation company, was 18 minutes out of Twin Falls on a 2 1/2-hour
evening flight to a Seattle hospital last Wednesday. It was climbing to
22,000 feet. Fogg had just reached for water bottles for the patient and
the pilot when the window blew out; he hadn't yet fastened his seatbelt.
"I have a vivid image of the tail, and of my headset whacking the fuselage
of the plane, because it was still hooked up (inside)," said the resident
of Meridian, a suburb of Boise.
Fogg said he struggled to finally break the seal his body had formed
against the window frame and pull himself back into the cabin. By then, he was bleeding heavily from the head and arm wounds.
The pilot, from Conyan Aviation in Boise, didn't immediately return phone
calls seeking comment.
Fogg said the pilot reacted quickly: When the plane lost cabin pressure,
he put it into a steep dive to 10,000 feet, an altitude where Fogg would
be able to get enough oxygen to survive. The patient was already breathing
oxygen.
"They (pilots) train for this very thing," Fogg said. "When he (the pilot)
noticed there was a loss in cabin pressure, he went through the normal
procedure."
The plane made an emergency landing about 20 minutes later at the airport
in Boise.
A different plane was used to transport the patient to Seattle, about an
hour after the first landed, Fogg said, adding the patient is doing fine.
Though Fogg, who has been a flight nurse and EMT since 1983, returned to
work the day after the accident, he hasn't flown since. Sleeping has also
been difficult.
"Definitely the biggest struggle of my life," he said. "It's better today
than it has been. I've had nightmares about my head going though the hole.
You know when you fall? It's that kind of dream."
The cause of the window failure was not immediately known. The Federal
Aviation Administration is investigating, as is the National
Transportation Safety Board.
"(Window failures) are not something we hear of very often," said FAA
spokesman Allen Kenitzer, in Renton, Wash. "It is quite rare."



宇宙航空物語82◇米航空身体検査◇モンゴルで熱気球予定は中止

2007年07月02日 | 宇宙船

平成19年、8/4 モンゴル大草原で熱気球三昧8日間キャンプ(ゲル)6泊
ホテル1泊予定は☆参加者少なく中止、35万円

パイロットでなくても参加できます。ちなみに甲村はインストラクターパイロットです。

他日の出発日もありますのでジャパンバルーンサービス
〓042-394-8320
へ問合せ下さい

◇航空身体検査
身体検査証明の期限延長はICAOの勧告なのですが米国では取り入れられ、日本では取り入れられなかったようです。

長期の身体検査証明
(自動翻訳)
第一級健康診断:いいね1年間。
第三級健康診断:いいね5年の間。

話がうますぎるように聞こえます?それは、作品にあります。
AOPAは、年齢40の下でファーストクラスと第三級診断書をパイロットまで広げるというFAA提案を支持しています。しかし、協会は1歩遠くに、行っています。

FAAへの正式なコメントでは、AOPAはさらなる研究におそらく同様に40以上パイロットに、その拡張を与えることを要求しました。「研究は、拡張の年齢が否定的に一般民間航空パイロットの安全装置に衝撃を与えることなく40を越えて増やされることができることを示すかもしれません」と、ロブハックマン(監査機関情勢のAOPA年上の責任者)が言いました。

AOPA Air Safety Foundatioによると!nの事故と事件デー タベース、医学要因は、1.9パーセントの事故だけに貢献します。
EXTENDED-DURATION MEDICAL CERTIFICATES A GOOD MOVE
First class medical: Good for a year. Third class medical: Good for five years. Sound too good to be true? It's in the works. AOPA is supporting an FAA

◇航空機遭難救助信号
国際AOPAeNEWSに依れば、
121.5 MHZの航空機遭難救助信号(ELT)は
2009年1月31日を以って周波数が変更となります。(船舶用は残るか??)

2009年2月1日からは
406MHZのみとなりますので、洋上、山岳地帯、無人地帯などを飛行される方は早急にELTを更新された方が宜しいかと思います。

なを、2008年7月1日以降に耐空検査を受ける飛行機には自動ELTの装着が
義務付けられる事になります。
詳細は下記のサイトを参照して下さい。
http://www.cospas-sarsat.org/DocumentsInformationBulletin/Bul19-Feb07_E_