中国では、まだ馬も立派な運搬係として活躍している。
昭和20年代には、日本でも活躍していた馬も今では
競走馬以外にはその姿がみられなくなってしまった。
じぃじが利尻島に渡ったのが昭和25年だったろうか。
まだまだ、馬が巾を利かせ、人間も、荷物も馬に頼っていた。
そんな時代だった。
バス・タクシー・馬車が一緒に写っている。
中国は、こんな街でもある。
昭和20年代には、日本でも活躍していた馬も今では
競走馬以外にはその姿がみられなくなってしまった。
じぃじが利尻島に渡ったのが昭和25年だったろうか。
まだまだ、馬が巾を利かせ、人間も、荷物も馬に頼っていた。
そんな時代だった。
バス・タクシー・馬車が一緒に写っている。
中国は、こんな街でもある。
映画のワンシーンみたいですね。
サラブレッドですか?この馬をサラブレッドと
いったら、健良さんが見ていたら、サラブレッドは
こんな馬でないと、クレームがつくでしょうね。
でも、輪の飾り物も、叔父さんの迷彩服もしゃれているかもしれませんね。
馬も人間も、働いて、はたらかなければ食えないのが、現代中国の農民の姿ですね。
でも、日本もかつてはこうだったんですね。
映画のワンシーンを見る思いとは、すばらしい表現ですね。
じぃじも、昔はよく馬車の後ろに乗せてもらったものです。
南方と、ここ東北地方では確かに違いますね。
南方では牛や水牛。
東北では驢馬や馬ですものね。
確かに、馬も人も疲れていますね。
近代経済・生活に於いても運ぶと言うことは重要なことです。今液晶テレビの製造現場では畳2枚の大きさで超薄いガラス板をどうして運ぶかが大きな課題になっています。空気をノズルから噴射し浮かせて運ぶことも考えいるようです。
万里の長城を造るときも運ぶ手段はキット問題になったと思います。
田舎で採れたものを都会に運ぶ。
大昔から、どうしたら、大量に運べるか、それらを
考え、舟が出来、車が出来、飛行機が出来たことでしょう。
牛や馬で運ぶのが手っ取り早かったのでしょう。
中国も高速道路が整備され、輸送手段がすこぶる早くなってきたのも事実です。
日本だってかつてはそうだったんだよ。
そのうちに、むしろなどで作った、馬糞ウケをつけるようになってね。
でも、じぃじに言わせると、日本でも犬の散歩で
ちゃんと、ハサムモノと袋を持って歩いているのに
拾わない不届き者を目撃しているよ。
じぃじはそのほうが、汚いと思うよ。
春先には「馬糞風」とも、言ったもんだよ。