『風になった少年』 最終回 ミクシィ「まこりん」さんの日記より
つながる心
七月になりました。
ある夜のこと。夕食を済ました淳平は、そのまま茶の間でゴロンとひっくり返って、うとうと眠ってしまいました。
どのくらいたったころでしょうか。お母さんの声が聞こえてきました。
「かわいそうにねえ。あんないい子が…、こんな病気にかかるなんて…。
哲くんのお母さんの気持ちを思うと…」
お母さんは、声をつまらせて、少し涙ぐんでいるようでした。
「白血病か…。去年まではあんなに元気にしとったのに、今年は、えろう痩せて、どこか具合でも悪いんかと、気にはしとったんやが…」
おじいさんも、どこか悲しそうです。
エッ?! 白血病! うそや! そんなんうそに決まっとる!
淳平は寝たふりをしながら、心の中で叫んでいました。今にも胸がはりさけそうです、
哲が…、白血病やなんて!
でも、もしかしたら…? 淳平はいても立ってもいられなくなりました。
「ああ、よう寝てしもた。今、何時ごろ?」
淳平はわざと寝ぼけたふりをしてききました。
お母さんたちは何事もなかったような顔をしました。
「よう寝とったね。もう、八時やで。宿題したんか? まだやったら、はよしいや」
「うん、今からする」
そう言って、淳平はそそくさと自分の部屋にひきあげました。
部屋のドアを閉めた途端、淳平の目から涙があふれました。ふいてもふいても涙はとまりません。仕方がないので、流れるままにしておきました。
哲…。なんでやねん。なんで病気になんかなったんや。もしかしたら、もう帰ってきいひんのんか?
哲との思い出が、淳平の脳裏をかけめぐりました。
「いやや! そんなん絶対にいやや!」
淳平は手を合わせて祈りました。生まれて初めて、本気で神様にお願いをしました。
「哲が元気になりますように。早く戻ってきますように…」
翌日のことです。
淳平が学校から帰ると、哲が町の病院から戻ってきていました。
家の前でニコニコ笑って、淳平を待っています。
「哲! 帰ってきたんか?! でも、どうしたん?」
淳平は哲の腰かけている車椅子を、しげしげ眺めました。
「まさか!? 歩けんようになったんとちがうやろな」
「その、まさか…になっちゃった」
意外に、明るい表情で哲は答えるのでした。
「………」
淳平はしばらく口がきけませんでした。
「へっちゃらだよ。ホラ! うまいもんだろ?」
小さな子どもがはしゃぐように、哲は車椅子を動かしてみせました。
淳平は涙がこぼれそうになるのをグッと押さえました。
そして、精一杯笑顔をつくって哲を励ましました。
「ほんま、うまいもんや」淳平は哲の後ろにまわって、「ぼくが押してやるわ。
これから、どこ行くんも一緒や」そう言って、ゆっくりと車椅子を押しました。
空には白い雲が気持ち良さそうに流れています。
二人はこの間の探検のことを思い出していました。
「あれは夢やったんかなあ。それにしても、不思議な夢やったなあ」
「いや、夢ではないよ」
哲はニッコリ微笑んでいます。
「エッ?! あれはほんまやったん?」
「ホ・ン・マ」哲は淳平の口調を真似て「ほんまやで、あれは…」と言って、含み笑いをしています。
「淳平が探検に連れていってくれた『お返し』だよ。ふたりだけの秘密だ」
「秘密?!」
「ぼくたちだけの『秘密』。永遠に忘れないよ」
淳平はあの日のことを思い出していました。
小鳥たちの楽しそうな合唱の声。川で魚を獲った手の感触が蘇ります。 哲が疲れたように見えたので、木陰で昼寝もしました。
でも、その先の記憶がどうもあやふやなのです。
気がついたときは、山のふもとで、お父さんやおじいさん、哲のお母さんに囲まれていました。そして、翌日から、哲はまた、町の病院に行ってしまったのです。
「権三じいさんと多恵ばあちゃんを見かけたで」
淳平はおじいさんに、そっと耳打ちしました。
おじいさんは一瞬驚いた様子でした。でも、目じりにしわを寄せて笑っていいました。
「夢でもみたんやろ。あんまり、人にはゆわんほうがええ」
そう言って淳平をたしなめました。
あのとき、気がつく前はぐっすり眠っていたそうだ。哲とは、そのあと話すこともできなかった。ぼくらは長い白昼夢をみたんだ。淳平はそう思うことにしていました。
「ねえ、淳平」
哲は車椅子をクルリと回転させて、淳平と向き合いました。
「これからも悩んだり、迷ったりすることがいっぱいあると思う。くじけそうになったときは、『秘密の探検』を思い出して! きっと勇気が湧いてくるよ」
哲の目は美しく澄んで見えます。青い空が映ってキラキラ輝いていました。
翌朝、二人はいつもより早めに家を出ました。
まさか、哲が登校できるなんて思っていなかったので、淳平は嬉しくてたまりませんでした。
「これからは、毎日ぼくが車椅子を押して通います」
哲のお母さんに、そう約束をして、淳平は意気揚々です。
車があまり通らない農道を、遠回りすることにしました。
ゆっくり道端の景色を楽しみながら。
ふだん何気なく見落としている、小さな名もない花。今朝はとても新鮮に見えます。向こうの山が青々と美しく輝いています。
てっぺんのほうに少し雲がかかっていました。二人が登った山です。
「あれ?」
五十メートル先の木の陰に、勇太らしき人影をみつけました。
やばい! いやなやつに出くわした。
淳平は心の中でそうつぶやきました。
やっぱり勇太です。スタスタとこちらに駆け寄ってきます。
淳平は車椅子のハンドルをしっかり握りなおし、身構えました。
でも、哲は涼しそうな顔をしたまま、平気な様子です。
「おい! 淳平! 車椅子、オレによこせ」
「あ、あかん! ぼくが押すんや」
「そんなことゆわんと、お願いや」
そういうやいなや、勇太は哲の前にひざまづいたのです。
「哲。ごめん! 今までのこと許してや。これから、オレも手伝う。いや、手伝わせてえや」
こんなしおらしい勇太を見るのは初めてでした。
勇太もしばらく学校を休んでいた哲が気になって仕方なかったようです。
「哲が病気やなんて知らんかったから、つい…」
「いいんだよ。勇太くん」哲は勇太を見つめながら、「ぼくだって、かばんを取り返しに、追っかけたり逃げたりして遊びたかったんだけどね」とてれくさそうに笑いました。
「ほんまに、ごめん!」
勇太は素直に謝りました。そして、車椅子を力強く押しました。
教室に入ると、みんながいっせいに哲を取り囲みました。
「哲くん、だいじょうぶ?」
「大変やったなあ」
「困ったことがあったら、何でもゆうて。手伝うから」
「ぼくも」
「わたしも」
ひさしぶりに登校した友だちに、みんなはワイワイ話しかけました。
健と良介が後ろのほうで、もじもじしています。
「こっちに来いや」勇太が二人を哲の前に突き出しました。
「哲くん、ごめんな」
「ごめん…」
二人は恥ずかしそうにうつむいています。
「いいんだよ。ぼくが元気だったら、一緒に走り回って遊べたのにね」
「ぼくも、これから車椅子押したげる」
「ぼくも…」
二人ははにかみながら顔を見合わせました。
哲はニコニコ嬉しそうにしています。
そうです。実際、みんなの助けがなければ、哲は学校に通うこともできません。まず、二階の教室に来るまでには、階段をクリアーしなくてはなりません。
今日は先生と勇太に肩を貸してもらって上りました。
車椅子は淳平と、近くにいた友だちと二人で持って上がりました。
俊一はあることを提案しました。
その日の放課後『緊急クラス会』を開くことになりました。
「哲くんに協力したい人、手を上げてください」
「は~い!」みんないっせいに手をあげました。
先生はそんな様子をニコニコ見守っています。
「それでは、まず、どんなことが手伝えるか、考えてみてください」俊一が音頭をとります。
みんなは哲のほうを振り返りながら、考え込んでいます。
理香がさっそうと手を上げました。
「私はかばんを持ってあげます」
「音楽室に行くとき、一緒に行きます。そうや、トイレに行くときも」他の子が言いました。
「せやけど、階段はどないしよう」前のほうに座っている子が心配そうに言います。
「まかしとき! オレと健が肩車するよ。なあ、健」勇太が言いました。
健は、にっこり笑って頷いています。
「あのう…」淳平が手を上げました。
「みんなであまり構うと、哲くんも落ち着かないと思います。哲くんの意思を尊重して、何を手伝ったらいいか本人に聞いてみたらどうでしょうか」
そう言って、淳平は哲のほうをチラッと見ました。
「哲くんはどう思いますか?」
俊一はなるほどと思ったようです。
「みんな、ありがとう」そう前書きをして哲は話し出しました。
「できるかぎり自分のことは自分でやるつもりです。でも、階段の上り下りを手伝ってもらったり、かばんをもってもらえると、すごく助かります」
「そうねえ」先生がおもむろに、「哲くんがいつでも気軽に声をかけられる雰囲気が、大切なんじゃないかしら」と言いました。
「そうや! 遠慮せずに、いつでもゆうて」
「誰でも近くにいる人に、声かけてくれたらええんや」
「そうや、そうや」
みんな、いっせいに哲のほうを見て言いました。
「ただ…」勇太が淳平のほうを見て合図を送りました。
「オレは体力には自信がある。階段と学校の行き帰りはまかしといて!」
みんなは、勇太を見直していました。こんな優しい面があったんか、と。
相変わらず、勇太や健はやんちゃを繰り返しています。でも、以前のように、誰かをいじめたりするようなことはなくなりました。
他のみんなも、特別何かが変わったということはありません。俊一や理香はクラスのことに熱心だし、おとなしい子はおとなしいなりに自分を表現しています。
でも、何かが違う。それは何でしょうか?
そうです。それは『思いやり』です。思いやりという心の栄養がみんなの心をいきいきさせているのです。
「人に親切にすると何て気持ちがいいのだろう」誰もがそう感じていました。
哲に対する思いやりが、どんどん発展していって、子どもたちはみんな、他の誰に対しても優しくできるようになりました。もちろん、子どもたちの性格は変わりません。ときには激しくぶつかり合うことも…。
でも、最近では、いじめなどもすっかり見当たらなくなってしまいました。
それに、何だかみんなの心が一つにつながったように感じられました。
待ちに待っていた夏休みが来ました。
朝から晩まで、ずっと一緒に哲と遊べる。淳平ははりきっていました。
田んぼの虫を観察しよう。山も途中までは登れるだろう。川遊びはできないけど…。勇太や健も誘って行けば何とかなるかもしれない。
淳平は、次々と夏休みの計画を思い巡らしています。
「いろいろお世話になりました」
哲のお母さんが、淳平ちにやってきて、神妙にあいさつをしています。
隣で哲もていねいに頭を下げました。
「エツ!? どこ行くんや」
「東京に戻るの。大きな病院に入院することにしたの…」
お母さんは、哲の代わりに答えました。とても悲しそうな顔をしています。
「お大事にね…。哲くん、はやく元気になってね」
淳平のお母さんも、つらそうです。
淳平は何も言わずに、哲と見つめ合っていました。
あまり時間がないんだ…。秘密の探検で…哲はたしかにそう言った。それは…?
「淳平、楽しかったよ。ぼくは必ず戻る。これからも、ズーッと一緒だ」
哲は淳平に目で伝えているようでした。体はすっかり痩せこけていますが、とても穏やかな顔をしています。瞳には、青い青い空が反射していました。
収穫の秋がやってきました。
今年も、おじいさんの田んぼの稲は見事に実りました。黄金の稲穂が重そうに風に揺られています。
哲は二度と帰って来ませんでした。
哲の死は、たぶん、淳平の人生における最大の謎になったかもしれません。
残された淳平は、その謎を一生かけて解いていくことでしょう。
でも、すでに淳平は知っていました。目に見えるものだけが本当のものだとは限らないということを。
そして、心の中に哲がいつも一緒にいるということを。
「さとる~! また会おうな~」
淳平は山に向かって叫びました。
「サワサワ、サワサワ…」気持ちの良い風が頬をなでつけていきました。
耳を澄ますと…。たしかに聞こえたのです。
「ジュンペ~! モチロンダヨ~」という哲の声が。
終
つながる心
七月になりました。
ある夜のこと。夕食を済ました淳平は、そのまま茶の間でゴロンとひっくり返って、うとうと眠ってしまいました。
どのくらいたったころでしょうか。お母さんの声が聞こえてきました。
「かわいそうにねえ。あんないい子が…、こんな病気にかかるなんて…。
哲くんのお母さんの気持ちを思うと…」
お母さんは、声をつまらせて、少し涙ぐんでいるようでした。
「白血病か…。去年まではあんなに元気にしとったのに、今年は、えろう痩せて、どこか具合でも悪いんかと、気にはしとったんやが…」
おじいさんも、どこか悲しそうです。
エッ?! 白血病! うそや! そんなんうそに決まっとる!
淳平は寝たふりをしながら、心の中で叫んでいました。今にも胸がはりさけそうです、
哲が…、白血病やなんて!
でも、もしかしたら…? 淳平はいても立ってもいられなくなりました。
「ああ、よう寝てしもた。今、何時ごろ?」
淳平はわざと寝ぼけたふりをしてききました。
お母さんたちは何事もなかったような顔をしました。
「よう寝とったね。もう、八時やで。宿題したんか? まだやったら、はよしいや」
「うん、今からする」
そう言って、淳平はそそくさと自分の部屋にひきあげました。
部屋のドアを閉めた途端、淳平の目から涙があふれました。ふいてもふいても涙はとまりません。仕方がないので、流れるままにしておきました。
哲…。なんでやねん。なんで病気になんかなったんや。もしかしたら、もう帰ってきいひんのんか?
哲との思い出が、淳平の脳裏をかけめぐりました。
「いやや! そんなん絶対にいやや!」
淳平は手を合わせて祈りました。生まれて初めて、本気で神様にお願いをしました。
「哲が元気になりますように。早く戻ってきますように…」
翌日のことです。
淳平が学校から帰ると、哲が町の病院から戻ってきていました。
家の前でニコニコ笑って、淳平を待っています。
「哲! 帰ってきたんか?! でも、どうしたん?」
淳平は哲の腰かけている車椅子を、しげしげ眺めました。
「まさか!? 歩けんようになったんとちがうやろな」
「その、まさか…になっちゃった」
意外に、明るい表情で哲は答えるのでした。
「………」
淳平はしばらく口がきけませんでした。
「へっちゃらだよ。ホラ! うまいもんだろ?」
小さな子どもがはしゃぐように、哲は車椅子を動かしてみせました。
淳平は涙がこぼれそうになるのをグッと押さえました。
そして、精一杯笑顔をつくって哲を励ましました。
「ほんま、うまいもんや」淳平は哲の後ろにまわって、「ぼくが押してやるわ。
これから、どこ行くんも一緒や」そう言って、ゆっくりと車椅子を押しました。
空には白い雲が気持ち良さそうに流れています。
二人はこの間の探検のことを思い出していました。
「あれは夢やったんかなあ。それにしても、不思議な夢やったなあ」
「いや、夢ではないよ」
哲はニッコリ微笑んでいます。
「エッ?! あれはほんまやったん?」
「ホ・ン・マ」哲は淳平の口調を真似て「ほんまやで、あれは…」と言って、含み笑いをしています。
「淳平が探検に連れていってくれた『お返し』だよ。ふたりだけの秘密だ」
「秘密?!」
「ぼくたちだけの『秘密』。永遠に忘れないよ」
淳平はあの日のことを思い出していました。
小鳥たちの楽しそうな合唱の声。川で魚を獲った手の感触が蘇ります。 哲が疲れたように見えたので、木陰で昼寝もしました。
でも、その先の記憶がどうもあやふやなのです。
気がついたときは、山のふもとで、お父さんやおじいさん、哲のお母さんに囲まれていました。そして、翌日から、哲はまた、町の病院に行ってしまったのです。
「権三じいさんと多恵ばあちゃんを見かけたで」
淳平はおじいさんに、そっと耳打ちしました。
おじいさんは一瞬驚いた様子でした。でも、目じりにしわを寄せて笑っていいました。
「夢でもみたんやろ。あんまり、人にはゆわんほうがええ」
そう言って淳平をたしなめました。
あのとき、気がつく前はぐっすり眠っていたそうだ。哲とは、そのあと話すこともできなかった。ぼくらは長い白昼夢をみたんだ。淳平はそう思うことにしていました。
「ねえ、淳平」
哲は車椅子をクルリと回転させて、淳平と向き合いました。
「これからも悩んだり、迷ったりすることがいっぱいあると思う。くじけそうになったときは、『秘密の探検』を思い出して! きっと勇気が湧いてくるよ」
哲の目は美しく澄んで見えます。青い空が映ってキラキラ輝いていました。
翌朝、二人はいつもより早めに家を出ました。
まさか、哲が登校できるなんて思っていなかったので、淳平は嬉しくてたまりませんでした。
「これからは、毎日ぼくが車椅子を押して通います」
哲のお母さんに、そう約束をして、淳平は意気揚々です。
車があまり通らない農道を、遠回りすることにしました。
ゆっくり道端の景色を楽しみながら。
ふだん何気なく見落としている、小さな名もない花。今朝はとても新鮮に見えます。向こうの山が青々と美しく輝いています。
てっぺんのほうに少し雲がかかっていました。二人が登った山です。
「あれ?」
五十メートル先の木の陰に、勇太らしき人影をみつけました。
やばい! いやなやつに出くわした。
淳平は心の中でそうつぶやきました。
やっぱり勇太です。スタスタとこちらに駆け寄ってきます。
淳平は車椅子のハンドルをしっかり握りなおし、身構えました。
でも、哲は涼しそうな顔をしたまま、平気な様子です。
「おい! 淳平! 車椅子、オレによこせ」
「あ、あかん! ぼくが押すんや」
「そんなことゆわんと、お願いや」
そういうやいなや、勇太は哲の前にひざまづいたのです。
「哲。ごめん! 今までのこと許してや。これから、オレも手伝う。いや、手伝わせてえや」
こんなしおらしい勇太を見るのは初めてでした。
勇太もしばらく学校を休んでいた哲が気になって仕方なかったようです。
「哲が病気やなんて知らんかったから、つい…」
「いいんだよ。勇太くん」哲は勇太を見つめながら、「ぼくだって、かばんを取り返しに、追っかけたり逃げたりして遊びたかったんだけどね」とてれくさそうに笑いました。
「ほんまに、ごめん!」
勇太は素直に謝りました。そして、車椅子を力強く押しました。
教室に入ると、みんながいっせいに哲を取り囲みました。
「哲くん、だいじょうぶ?」
「大変やったなあ」
「困ったことがあったら、何でもゆうて。手伝うから」
「ぼくも」
「わたしも」
ひさしぶりに登校した友だちに、みんなはワイワイ話しかけました。
健と良介が後ろのほうで、もじもじしています。
「こっちに来いや」勇太が二人を哲の前に突き出しました。
「哲くん、ごめんな」
「ごめん…」
二人は恥ずかしそうにうつむいています。
「いいんだよ。ぼくが元気だったら、一緒に走り回って遊べたのにね」
「ぼくも、これから車椅子押したげる」
「ぼくも…」
二人ははにかみながら顔を見合わせました。
哲はニコニコ嬉しそうにしています。
そうです。実際、みんなの助けがなければ、哲は学校に通うこともできません。まず、二階の教室に来るまでには、階段をクリアーしなくてはなりません。
今日は先生と勇太に肩を貸してもらって上りました。
車椅子は淳平と、近くにいた友だちと二人で持って上がりました。
俊一はあることを提案しました。
その日の放課後『緊急クラス会』を開くことになりました。
「哲くんに協力したい人、手を上げてください」
「は~い!」みんないっせいに手をあげました。
先生はそんな様子をニコニコ見守っています。
「それでは、まず、どんなことが手伝えるか、考えてみてください」俊一が音頭をとります。
みんなは哲のほうを振り返りながら、考え込んでいます。
理香がさっそうと手を上げました。
「私はかばんを持ってあげます」
「音楽室に行くとき、一緒に行きます。そうや、トイレに行くときも」他の子が言いました。
「せやけど、階段はどないしよう」前のほうに座っている子が心配そうに言います。
「まかしとき! オレと健が肩車するよ。なあ、健」勇太が言いました。
健は、にっこり笑って頷いています。
「あのう…」淳平が手を上げました。
「みんなであまり構うと、哲くんも落ち着かないと思います。哲くんの意思を尊重して、何を手伝ったらいいか本人に聞いてみたらどうでしょうか」
そう言って、淳平は哲のほうをチラッと見ました。
「哲くんはどう思いますか?」
俊一はなるほどと思ったようです。
「みんな、ありがとう」そう前書きをして哲は話し出しました。
「できるかぎり自分のことは自分でやるつもりです。でも、階段の上り下りを手伝ってもらったり、かばんをもってもらえると、すごく助かります」
「そうねえ」先生がおもむろに、「哲くんがいつでも気軽に声をかけられる雰囲気が、大切なんじゃないかしら」と言いました。
「そうや! 遠慮せずに、いつでもゆうて」
「誰でも近くにいる人に、声かけてくれたらええんや」
「そうや、そうや」
みんな、いっせいに哲のほうを見て言いました。
「ただ…」勇太が淳平のほうを見て合図を送りました。
「オレは体力には自信がある。階段と学校の行き帰りはまかしといて!」
みんなは、勇太を見直していました。こんな優しい面があったんか、と。
相変わらず、勇太や健はやんちゃを繰り返しています。でも、以前のように、誰かをいじめたりするようなことはなくなりました。
他のみんなも、特別何かが変わったということはありません。俊一や理香はクラスのことに熱心だし、おとなしい子はおとなしいなりに自分を表現しています。
でも、何かが違う。それは何でしょうか?
そうです。それは『思いやり』です。思いやりという心の栄養がみんなの心をいきいきさせているのです。
「人に親切にすると何て気持ちがいいのだろう」誰もがそう感じていました。
哲に対する思いやりが、どんどん発展していって、子どもたちはみんな、他の誰に対しても優しくできるようになりました。もちろん、子どもたちの性格は変わりません。ときには激しくぶつかり合うことも…。
でも、最近では、いじめなどもすっかり見当たらなくなってしまいました。
それに、何だかみんなの心が一つにつながったように感じられました。
待ちに待っていた夏休みが来ました。
朝から晩まで、ずっと一緒に哲と遊べる。淳平ははりきっていました。
田んぼの虫を観察しよう。山も途中までは登れるだろう。川遊びはできないけど…。勇太や健も誘って行けば何とかなるかもしれない。
淳平は、次々と夏休みの計画を思い巡らしています。
「いろいろお世話になりました」
哲のお母さんが、淳平ちにやってきて、神妙にあいさつをしています。
隣で哲もていねいに頭を下げました。
「エツ!? どこ行くんや」
「東京に戻るの。大きな病院に入院することにしたの…」
お母さんは、哲の代わりに答えました。とても悲しそうな顔をしています。
「お大事にね…。哲くん、はやく元気になってね」
淳平のお母さんも、つらそうです。
淳平は何も言わずに、哲と見つめ合っていました。
あまり時間がないんだ…。秘密の探検で…哲はたしかにそう言った。それは…?
「淳平、楽しかったよ。ぼくは必ず戻る。これからも、ズーッと一緒だ」
哲は淳平に目で伝えているようでした。体はすっかり痩せこけていますが、とても穏やかな顔をしています。瞳には、青い青い空が反射していました。
収穫の秋がやってきました。
今年も、おじいさんの田んぼの稲は見事に実りました。黄金の稲穂が重そうに風に揺られています。
哲は二度と帰って来ませんでした。
哲の死は、たぶん、淳平の人生における最大の謎になったかもしれません。
残された淳平は、その謎を一生かけて解いていくことでしょう。
でも、すでに淳平は知っていました。目に見えるものだけが本当のものだとは限らないということを。
そして、心の中に哲がいつも一緒にいるということを。
「さとる~! また会おうな~」
淳平は山に向かって叫びました。
「サワサワ、サワサワ…」気持ちの良い風が頬をなでつけていきました。
耳を澄ますと…。たしかに聞こえたのです。
「ジュンペ~! モチロンダヨ~」という哲の声が。
終
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