精神世界(アセンションについて)

このブログの内容は、色々なところから集めたもので、わたくしのメモであって、何度も読み返して見る為のものです。

#761-3 マルチディメンジョナル・ニュース 2010年5月~6月

2010年06月24日 | Weblog
Arrived Energy On Earth
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#761-3 マルチディメンジョナル・ニュース 2010年5月~6月

◇アタル・シャナー(ATAL SHANNAR)~アルクトゥルスの神殿 

『私はアトランティスのサイクルの完成の時、ガイアの呼びかけに応えました。私は小さな脅えた子供の頃、アタル・シャナーの寺院に入ったこと…そして、私たちの素晴らしいアトランティスの世界が崩壊するまで、私はここで暮らしたことを覚えています。』
- このストーリーについてはこちらをご覧ください。(訳者注:スーザン・キャロルさんが書いた小説?「アトランティスへの回帰」にリンクします。どうやらここからの抜粋のようです。「アトランティスへの回帰」はA4で48ページの長文の英文です。なので私も読んでいません。 http://www.multidimensions.com/Spiritual_Universe_Meditation_files/RETURN%20TO%20ATLANTIS.pdf -

『今、私は、また別のサイクルを完了させた“ひとりの者”の視点から、この寺院を見守っています。そして私の5次元のホームに戻る準備をしています。この【セルフ】への回帰のために、アトランティスの崩壊以来、とてもたくさんの…実際にあまりにもたくさんの…地球での転生を振り返る必要を感じています。』

『もちろん、転生を繰り返す中、より高次の世界にいる自分の魂に戻ることができたという点で注目に値する生涯もいくつかありました。けれども残念なことに、私の死の時点で私の魂にはそこに到達することができなかった生涯をたくさん私は見ることができます。こうした転生の間には、私の恐れや貪欲さから生じた過ちを償うために低いアストラル領域で費やした~語られない生涯もありました。』

『私は“第2の死”に満足しています。魂の死は、アトランティスの終りと、私の姿が書いている人生の始まりとの間の長い夜の間に禁止になりました。第2の死は“人間の姿となる”パターンから解放されることではないということを私は確かに承知しています。それがそうならば、私はこうした言葉を今日ここで書いてはいないでしょう。私は性質的にあまり悪い性質ではありませんでした。けれども分極化した現実の恐れが卑劣とも言える行動へと私を導くこともありました。』

『「ONEに栄光あれ」-二元性を通しての長い私の旅をどうにか完了させるために…。私は自分がとても惨めに思えます。けれども実は私はとても幸せです。それは、私が地球での滞在の始まりを振り返った時、私が生きてきたたくさんの転生を通しての恐れすべてと向き合うために私は十分に強くなったとようやく感じることができるようになったからです。私がそれに気付いていようといなかろうと、幸いなことに、私の親愛なるアルクトゥールスの家族たちは私を守り、導いてくれています。』

『長い前置きの後にようやく、アタル・シャナーの記憶についての話を続けることにしましょう。このマインドはその時代の言語も、その時代の私たちの考えや感情を表した光の映像も…もはや覚えていないため、アタル・シャナーのスペルは聞こえたとおりに綴っています。』

『寺院に入ると私はまず、香りに迎え入れられたことに驚きます。それは、今の時代の汚染物質を含まない空気,今の転生の時代のものとは異なった分子構造だった水を私に思い出させます。私はこのリアリティでは見られることのない花々の大きなフラワーアレンジメントに迎え入れられます。』

『重力もこことは大きく違っています。ガイアの響きは今現在の私が転生した3次元の低い深みにまだ落ちていませんでした。幸いなことに私が今生を通して歩んでいくことでガイアとの共鳴も素晴らしく高まりました。』

『私が見ている神殿を歩くと、そこには角ばった壁に仕切られた部屋がないということが思い出されます。光が輪の中を流れるように、すべてが輪を流れる形式で作られています。実際、この神殿の中の光には明らかな光源がなくとてもユニークです。私がこの構築物の中で過ごした年月の間ずっと私は現代のと同じような明かりの構造を見たことはありませんでした。実際、明かりがつけられることも切られることもありませんでした。光はまさにそこにあったからです。寺院の光は私たちの意識に反応しているようでした。私たちが光を必要とすればそれは明るき輝き、私たちが望めば光は弱まりました。つまり、光の強度は私たちの思考・欲求に応じていたわけです。』

『寺院の中を歩いていても、ごくわずかな会話しか聞こえません。話をする際も1/4の声量を使うだけでした。他の時間はテレパシー、エンパシー、そしてハイヤーパーセプション(高度な知覚)の使用を促すために言葉を使わずに過ごしました。私たち皆には素晴らしいサイコキネティックな能力があり、自分の意識をわずかにシフトさせることで簡単に浮揚することもできました。実際、私にとっての問題は、自分の足を地面につけておくことでした。』

『私が寺院の中を進むと、その人生の最初の数年の深い悲しみを思い出します。なぜなら私は自分の聖なる片割れから切り離されたからです。面白いことに3次元の姿で私は私が長く待ち望んだ結末を経験することになりました。私は再び私の最愛の存在とつながりました。けれども、ここ幻想の地では“最愛の存在”はずいぶんと違っています。5次元にいるときよりも不和があります。(5次元での)その後私たちはふたつの存在に分かれるというゲームをしました。けれども3次元ではそれはゲームではなかったのです。私たちが再会しても、そこには理解を超えた孤独があり、難しいものになりました。』

『けれども私はアタルへの復帰とは再び疎遠になりました。この素晴らしいサイクルの終りで、私は自分のたくさんの地球での転生を振り返りたいという深い衝動を感じています。それは終わったことをリリースして私の新しい人生の成長に貢献するであろうものをもたらすためです。あぁ、私には今、音楽が聞こえます。アタルでの音楽は音を超えていました。それは光とまだ区別されていなかったからです。そのため音楽とは流れであり、光と音が流れるダイナミックなダンスでした。それは、私たちのヒーリングや光への進歩に最善の周波数に私たちがクロスできる架け橋でした。』

『実際当たるでは光への進歩とヒーリングとは同じことでした。私たちは病気も怪我も心因性の病気をもスピリチュアルなプロセスを邪魔するオーラの中のブロックとみなしました。私は光の音楽との共鳴に入ることで、私はコリダーの曲がり角の周りで歩き浮かび、純粋な喜びを爆発させます。そのトーンと色は私の想像上のベッセルから私を引き抜き、私の意識は光の音楽の周波数と混ざり合います。そうして私は音楽、その部屋、コリダー、アタル・シャナーになります。』

『私は子供だったので私のガイドはこのアタルの領域で私と一緒にいなければならなかったのを覚えています。私は身体に留まっていることがなかったからです。実際、身体に留まっていることはすべて地球に転生するためのチャレンジでした。私が恐れていたり、愛の中にいたり、喜んでいたり、病気であるか怒っていたら私は身体から去ってしまっていたことでしょう。高い振動に自分の振動を変えことになるこの人生で、私は最終的に身体に留まっていることを学んでいるところです。けれどもまたしても私は脇にそれてしまいます。』

『私は今、自分の大好きなところにひとつで私自身を見ています。そこは私の意識が身体を去って飛ぶことができるところ~“浮かぶ庭”です。私はたくさんの傾向を見るために“浮かぶ庭”のまわりを見回します。私はそれぞれの花とそのデリケートな根が地面より上に浮かんでいるのを見ます。根と地面の間にエーテルがあるのを私は見ることができます。私のホーム;神殿の人々やものもそうでした。エーテル的な性質でだけで身体とつながっていたために私はここに来たのだと私は常に思っています。』

『私は庭から神殿をたくさんの運河が取り囲んでいるのを見ることができます。それぞれの運河は異なった周波数に共鳴して、今の私の生涯にある色とは似てはいるけれども異なった美しい色のスペクトラムを生じさせています。運河はその水の周波数とマッチした様々な香りをしています。まるでそれぞれの花の形や色とマッチした香りが様々にあるように。』

『私は自分にとって最高であったアトランティスでの転生の時点へ行くためにアタルを再訪問することを選びました。私はようやく身体の性別に慣れました。けれどもまだ愛してはいませんし戸惑っています。私たちは当時、私たちの素晴らしい文明が終わりの時間を迎えつつあるのを知っていました。けれどもそれがいつ起きるのか正確にはわかっていませんでした。私たちは、私たちの一部にとってはアトランティスの終りが素晴らしい自由になるということはわかっていました。彼らはONEのユニティに戻るからです。一方、ガイアのアシストに来た私たちは惑星のアセンションの時間まで彼女のボディに留まるだろうということ,したがって私たちは当時と今私たちが生きている転生との間にたくさんのサイクルを持つことになるということも知っていました。』

『私はアタル・シャナーへの訪問を終える前に地球での最初の私の姿に目を向け、彼女の瞳をじかに見つめます。彼女は彼女の存在のペルソナとして私を訪れるようになり、どうにか私になりました。私たちは今再びひとつ~ONEになっています。始まりは終わりになりました。そして終りは実際には新しい始まりです。私が彼女の瞳~彼女の魂のウィンドウを見つめることで、私は彼女と再びそして永遠にマージします。サイクルは終わりました。アルファとオメガは新しい時代の到来を告げるために出会っています。』


◇サイクルの中を流れる

流れの中にいることが時空の超越。
そしてそれは 今・ここ にあなたがいる以前に生命を高まらせる。
流れの中では何も計画されない。
なぜならそれには過去が必要になるから。
次に何も起こらない。
そこにはただ ここ だけが… 今 だけがあるから。
あなたが生命のサイクルを流れれば
リアリティは単にそうなる。
欲求は運命の為にリリースされる。
けれども流れの中では運命は未知だ。
あなたが流れの中にいる時、あなた方皆がそのことを知っている。
運命は、あらゆる瞬間にそれ自体をあなたに明らかにしている。
時折、運命はあなたの最大の創造性に火をつける閃光となり、
時折、運命は、ポーチに座って空を見上げることを思い出させる。
運命とは、自分の【セルフ】に戻っているサイクルの認識~その瞬間なのだ。

(http://lightworkers.org/node/107429)

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