〇病院の庭園
大きなドーム型の温室のような庭園。
いたるところに樹が茂り、花が咲き乱れている。
小鳥のさえずりや水のせせらぎの音。
患者たちの笑い声、歌声が楽しそうに響き渡る。
庭園の中をゆっくり散歩するヒデトと恵菜。
恵菜「思ったより背が高いのね。かっこいいじゃん。でも、もう少し日焼けしなくっちゃ」
ヒデト少し照れている。
恵菜「この病院はね――。少し変わってるでしょ?」
ヒデト「はい」
恵菜「実は、癒しの場をとても大切にしているのよ」
ヒデト「癒し?」
恵菜「ホリスティック医学って聞いたことない?」
ヒデトは首を横に振った。
恵菜「この病院では、西洋医学と併用して、代替医療に力を入れているの」
ヒデト「代替医療?」
恵菜「そう、医師や看護師はもちろん、心理療法士。鍼灸師、気功師、アロマセラピスト――。みんなで癒しの場を作っているの」
患者たちの歌声が流れる。
恵菜「ここでは、身体性の病気を『治す』だけでなく、精神性の病気を『癒す』ために、あらゆる療法を実践しているのよ」
ヒデト、答える代わりに、立ち止まって深呼吸した。
ずいぶん顔色が良くなっている。
恵菜「中でも、大野先生は、『音楽を聴く、歌う』、『笑う』ことに力を注いでいるの。音楽と笑いは、病人の免疫力を高め、命のエネルギーを高めるそうよ」
恵菜も気持ち良さそうに深呼吸した。
ヒデト「毎日、ここで歌っているんですか?」
恵菜「歌の集いは毎週土曜日だけ。患者さんが自然に集まるようになったの。ふだんはヒーリング音楽が流れているわ。そうそう、お笑いのタレントさんが、ボランティアで訪れることもあるのよ」
ヒデト「お笑いですか?」
不思議そうに尋ねるヒデト。
恵菜「笑いは効果抜群なの。よく笑ったあとの患者さんはいろんな数値が良くなっているのよ。ホント、不思議なんだけど」
ヒデト「それにしても、この庭の樹や花は勢いがあって、みずみずしく見えるなあ」
恵菜「なかなか鋭いわね、ヒデト。なぜだと思う?」
ヒデト「さあ? もしかしたら――音楽のせい?」
ヒデトはジョークのつもりで言った。
恵菜はちょっと驚いた顔をして、
恵菜「ピンポーン。当たり! 植物もいい音楽を聴くと、よく育つんだって。科学的にも実証されているのよ」
適当に言ったのが当たって、ヒデトは決まり悪そうにしている。
少し照れながら、話題を変えた。
ヒデト「それに、ここはまるで『オアシス』みたいだ」
恵菜「あら?」また恵菜の驚いた顔。
「そうなのよ。ここはみんなに『オアシス』って呼ばれているの」
〇庭園の中ほど
患者たちが集まっている。
老若男女合わせて20人くらい。
めいめい籐の椅子や曲げ木の椅子に腰掛けている。
車椅子の人もいた。
おばあさん「こっちへいらっしゃいな。一緒に歌いましょう」
車椅子のおばあさんが、二人に手招きしている。
恵菜「みなさん、紹介します。ヒデトさんです。よろしくね」
ヒデト「ヒデトと言います。よろしくお願いします」
ヒデトはペコリと頭を下げた。
みんな「よろしく!」
患者1「さあ、一緒に歌いましょう」
患者2「仲良くしましょうね」
あちこちから温かい声がかけられた。ヒデトの何ともいえない顔。安らぎを感じているようだった。
おじいさん「おお、ヒデトか。いい子だ、こっちにおいで」
一人のおじいさんが手を振りながら、切り株の椅子をヒデトにすすめた。
おじいさんは少し認知症がすすんでいるように見える。
ヒデトははにかみながら、おじいさんの隣に腰掛けた。
おじいさん「いい子だ、いい子だ。かわいそうにのう。もう、だいじょうぶだよ、安心したらええ」
隣で先ほどのおばあさんも一緒になって頷いている。
おじいさんはヒデトの頭から肩にかけて、そして背中を優しくさすり続けた。
ヒデトはなされるがままにしていた。
おじいさんの手の温もりに優しさを感じ、思わず涙がこぼれそうになった。
男の子の姿。かなり痩せこけている。
その男の子が急に立ち上がり歌い出す。
♪ぼくらはみんな生きている 生きているから歌うんだ~
男の子は力いっぱい歌っている。
♪手のひらを太陽に~
かざしてごらん~ 真っ赤に流れる ぼくの血潮~
みんなは一緒に歌いながら、いっせいに手のひらを空にかざした。
たくさんの手は波のように左右に揺れて、ゆっくりリズムをとっている。
ヒデトもつられて、両手をぎこちなく掲げた。そして、歌った。
恵菜はそんなヒデトの様子を見てクスッと笑った。
大きな樹の陰から、洋介がみんなに声をかけた。
洋介「みなさん、残念ながら、今日は愛子さんはお休みです」
患者1「ええ~!? 残念」
患者2「どうして?」
みんな口々にそう言いながら、顔を見合わせた。
洋介「お母さんのコンサートに出演することになったそうです。彼女も残念そうにしていました」
洋介はみんなに「まあまあ」と言うように、手で制しながら続けた。
洋介「でも、来週はきっと来ますから、よろしく伝えてくださいと言ってました」
おばあさん「愛子さんの歌を聴くのを楽しみにしていたのに」
男の子「エヴァに会えないの?」
男の子のつまらなさそうな顔。
洋介「その代わりと言っては何ですが」
洋介はラジカセをみんなの前に置いた。
洋介「愛子さんの歌をアレンジして曲を作りました。まだ未完成なんですが、聴いてもらえますか?」
患者3「まあ素敵!」
患者4それはいい!」
患者5「どんな曲かしら?」
みんなはラジカセをまぶしそうに見つめている。
ラジカセから響くシンセサイダーの音。サラサラ流れる水の音。
小鳥のさえずり。空を舞う風の音――。
いつもオアシスに流れている音楽とよく似ていた。
いや、もっとダイナミックな感じもした。
ヒデトはすっかり、この不思議な音楽に心を奪われていた。それは深遠な音の世界だった。
みんなは頷きあいながら、拍手をしている。
患者2「心が洗われるようだ」
中年の痩せた女性「ほんと、(ハンカチで目頭を押さえながら)いい音楽をありがとう」
学者ふうの男性「未完成だなんて、とんでもない。素晴らしかったよ」
初老の男性だった。額に神経質そうなしわが刻まれている。彼は目尻にもしわを寄せながら大きな拍手をした。
それにつられて、また、みんなの大きな拍手。
キーンコーンカーン――。
澄んだチャイムの音。夕食の合図。
患者3「ありがとうございました」
おじいさん「ありがとう、いい曲だった」
おばあさん「また、来週ね。楽しみにしているわ」
車椅子を押す人。そっとお年寄りの背中を抱きかかえながら歩く人。頬を紅潮させ嬉しそうに笑う子ども。それぞれ幸せそうな顔をして食堂に向かった。
彼らの体や心が病んでいるふうにはとても見えなかった。
〇がらんとした庭園の中
ヒデト、恵菜、洋介の3人。
恵菜はいまだ余韻から覚めず、という表情。うっとりしている。
恵菜「素敵だったわ、洋介」
恵菜は洋介にささやいた。
洋介「ありがとう、もう少しで完成する」
恵菜「今日は? 帰るの?」
洋介「今夜は先生のところに泊めてもらう」
恵菜「残念! 夜勤なの」
恵菜はヒデトの視線を感じて、ちょっと照れくさそうに笑った。
恵菜「(ヒデトのほうを振り返って)彼は佐伯洋介。ムー文明や縄文文化の心を音楽で表現する作曲家よ」
洋介をヒデトに紹介した。
洋介「よせよ。作曲家だなんて。単なる山男だよ。オレは」
洋介は頭を掻きながら照れ笑いした。
洋介「佐伯です。よろしく!」明るい声で言った。
ヒデト「星野ヒデトです。よろしくお願いします」
ヒデトは洋介に少し嫉妬を感じているように見えたが、素直に感想を述べた。
ヒデト「何て言うか――。こんな音楽初めて聴きました。新鮮な驚きと同時に、なつかしくてたまらないという感覚が体中を駆け巡りました」
洋介は微笑んでいる。
ヒデト「僕は――、その――、いろいろあって――」
洋介も恵菜も温かい目で、ヒデトを見守っている。
ヒデト「僕にとって、音楽だけが唯一の支えでした。音の世界に浸っているときだけ、生きていると実感できました。
クラシック、ロック、手当たり次第に聴きました。いつの間にかヘビメタにはまって――」
ヒデトはうつむいたまま一気に話した。
洋介がヒデトの肩にそっと手を置いた。
洋介「うん。何となくわかるよ。オレにもそんなときがあったから」
ヒデト、驚いた顔をして洋介を見る。
恵菜は軽く頷いて、ヒデトの顔を見た。
洋介「しかし、それは決して心の闇から、オレを開放してはくれなかった。それどころか、さらに闇の中に閉じ込めるだけだった」
洋介は過去を回想しているようだった。
〇オアシスの屋根を通して見える空
3人は空を見上げていた。
空はすっかり夕焼け雲に覆われていた。ブルーとオレンジと白の微妙なグラデーションが目に沁みるように美しかった。
大きなドーム型の温室のような庭園。
いたるところに樹が茂り、花が咲き乱れている。
小鳥のさえずりや水のせせらぎの音。
患者たちの笑い声、歌声が楽しそうに響き渡る。
庭園の中をゆっくり散歩するヒデトと恵菜。
恵菜「思ったより背が高いのね。かっこいいじゃん。でも、もう少し日焼けしなくっちゃ」
ヒデト少し照れている。
恵菜「この病院はね――。少し変わってるでしょ?」
ヒデト「はい」
恵菜「実は、癒しの場をとても大切にしているのよ」
ヒデト「癒し?」
恵菜「ホリスティック医学って聞いたことない?」
ヒデトは首を横に振った。
恵菜「この病院では、西洋医学と併用して、代替医療に力を入れているの」
ヒデト「代替医療?」
恵菜「そう、医師や看護師はもちろん、心理療法士。鍼灸師、気功師、アロマセラピスト――。みんなで癒しの場を作っているの」
患者たちの歌声が流れる。
恵菜「ここでは、身体性の病気を『治す』だけでなく、精神性の病気を『癒す』ために、あらゆる療法を実践しているのよ」
ヒデト、答える代わりに、立ち止まって深呼吸した。
ずいぶん顔色が良くなっている。
恵菜「中でも、大野先生は、『音楽を聴く、歌う』、『笑う』ことに力を注いでいるの。音楽と笑いは、病人の免疫力を高め、命のエネルギーを高めるそうよ」
恵菜も気持ち良さそうに深呼吸した。
ヒデト「毎日、ここで歌っているんですか?」
恵菜「歌の集いは毎週土曜日だけ。患者さんが自然に集まるようになったの。ふだんはヒーリング音楽が流れているわ。そうそう、お笑いのタレントさんが、ボランティアで訪れることもあるのよ」
ヒデト「お笑いですか?」
不思議そうに尋ねるヒデト。
恵菜「笑いは効果抜群なの。よく笑ったあとの患者さんはいろんな数値が良くなっているのよ。ホント、不思議なんだけど」
ヒデト「それにしても、この庭の樹や花は勢いがあって、みずみずしく見えるなあ」
恵菜「なかなか鋭いわね、ヒデト。なぜだと思う?」
ヒデト「さあ? もしかしたら――音楽のせい?」
ヒデトはジョークのつもりで言った。
恵菜はちょっと驚いた顔をして、
恵菜「ピンポーン。当たり! 植物もいい音楽を聴くと、よく育つんだって。科学的にも実証されているのよ」
適当に言ったのが当たって、ヒデトは決まり悪そうにしている。
少し照れながら、話題を変えた。
ヒデト「それに、ここはまるで『オアシス』みたいだ」
恵菜「あら?」また恵菜の驚いた顔。
「そうなのよ。ここはみんなに『オアシス』って呼ばれているの」
〇庭園の中ほど
患者たちが集まっている。
老若男女合わせて20人くらい。
めいめい籐の椅子や曲げ木の椅子に腰掛けている。
車椅子の人もいた。
おばあさん「こっちへいらっしゃいな。一緒に歌いましょう」
車椅子のおばあさんが、二人に手招きしている。
恵菜「みなさん、紹介します。ヒデトさんです。よろしくね」
ヒデト「ヒデトと言います。よろしくお願いします」
ヒデトはペコリと頭を下げた。
みんな「よろしく!」
患者1「さあ、一緒に歌いましょう」
患者2「仲良くしましょうね」
あちこちから温かい声がかけられた。ヒデトの何ともいえない顔。安らぎを感じているようだった。
おじいさん「おお、ヒデトか。いい子だ、こっちにおいで」
一人のおじいさんが手を振りながら、切り株の椅子をヒデトにすすめた。
おじいさんは少し認知症がすすんでいるように見える。
ヒデトははにかみながら、おじいさんの隣に腰掛けた。
おじいさん「いい子だ、いい子だ。かわいそうにのう。もう、だいじょうぶだよ、安心したらええ」
隣で先ほどのおばあさんも一緒になって頷いている。
おじいさんはヒデトの頭から肩にかけて、そして背中を優しくさすり続けた。
ヒデトはなされるがままにしていた。
おじいさんの手の温もりに優しさを感じ、思わず涙がこぼれそうになった。
男の子の姿。かなり痩せこけている。
その男の子が急に立ち上がり歌い出す。
♪ぼくらはみんな生きている 生きているから歌うんだ~
男の子は力いっぱい歌っている。
♪手のひらを太陽に~
かざしてごらん~ 真っ赤に流れる ぼくの血潮~
みんなは一緒に歌いながら、いっせいに手のひらを空にかざした。
たくさんの手は波のように左右に揺れて、ゆっくりリズムをとっている。
ヒデトもつられて、両手をぎこちなく掲げた。そして、歌った。
恵菜はそんなヒデトの様子を見てクスッと笑った。
大きな樹の陰から、洋介がみんなに声をかけた。
洋介「みなさん、残念ながら、今日は愛子さんはお休みです」
患者1「ええ~!? 残念」
患者2「どうして?」
みんな口々にそう言いながら、顔を見合わせた。
洋介「お母さんのコンサートに出演することになったそうです。彼女も残念そうにしていました」
洋介はみんなに「まあまあ」と言うように、手で制しながら続けた。
洋介「でも、来週はきっと来ますから、よろしく伝えてくださいと言ってました」
おばあさん「愛子さんの歌を聴くのを楽しみにしていたのに」
男の子「エヴァに会えないの?」
男の子のつまらなさそうな顔。
洋介「その代わりと言っては何ですが」
洋介はラジカセをみんなの前に置いた。
洋介「愛子さんの歌をアレンジして曲を作りました。まだ未完成なんですが、聴いてもらえますか?」
患者3「まあ素敵!」
患者4それはいい!」
患者5「どんな曲かしら?」
みんなはラジカセをまぶしそうに見つめている。
ラジカセから響くシンセサイダーの音。サラサラ流れる水の音。
小鳥のさえずり。空を舞う風の音――。
いつもオアシスに流れている音楽とよく似ていた。
いや、もっとダイナミックな感じもした。
ヒデトはすっかり、この不思議な音楽に心を奪われていた。それは深遠な音の世界だった。
みんなは頷きあいながら、拍手をしている。
患者2「心が洗われるようだ」
中年の痩せた女性「ほんと、(ハンカチで目頭を押さえながら)いい音楽をありがとう」
学者ふうの男性「未完成だなんて、とんでもない。素晴らしかったよ」
初老の男性だった。額に神経質そうなしわが刻まれている。彼は目尻にもしわを寄せながら大きな拍手をした。
それにつられて、また、みんなの大きな拍手。
キーンコーンカーン――。
澄んだチャイムの音。夕食の合図。
患者3「ありがとうございました」
おじいさん「ありがとう、いい曲だった」
おばあさん「また、来週ね。楽しみにしているわ」
車椅子を押す人。そっとお年寄りの背中を抱きかかえながら歩く人。頬を紅潮させ嬉しそうに笑う子ども。それぞれ幸せそうな顔をして食堂に向かった。
彼らの体や心が病んでいるふうにはとても見えなかった。
〇がらんとした庭園の中
ヒデト、恵菜、洋介の3人。
恵菜はいまだ余韻から覚めず、という表情。うっとりしている。
恵菜「素敵だったわ、洋介」
恵菜は洋介にささやいた。
洋介「ありがとう、もう少しで完成する」
恵菜「今日は? 帰るの?」
洋介「今夜は先生のところに泊めてもらう」
恵菜「残念! 夜勤なの」
恵菜はヒデトの視線を感じて、ちょっと照れくさそうに笑った。
恵菜「(ヒデトのほうを振り返って)彼は佐伯洋介。ムー文明や縄文文化の心を音楽で表現する作曲家よ」
洋介をヒデトに紹介した。
洋介「よせよ。作曲家だなんて。単なる山男だよ。オレは」
洋介は頭を掻きながら照れ笑いした。
洋介「佐伯です。よろしく!」明るい声で言った。
ヒデト「星野ヒデトです。よろしくお願いします」
ヒデトは洋介に少し嫉妬を感じているように見えたが、素直に感想を述べた。
ヒデト「何て言うか――。こんな音楽初めて聴きました。新鮮な驚きと同時に、なつかしくてたまらないという感覚が体中を駆け巡りました」
洋介は微笑んでいる。
ヒデト「僕は――、その――、いろいろあって――」
洋介も恵菜も温かい目で、ヒデトを見守っている。
ヒデト「僕にとって、音楽だけが唯一の支えでした。音の世界に浸っているときだけ、生きていると実感できました。
クラシック、ロック、手当たり次第に聴きました。いつの間にかヘビメタにはまって――」
ヒデトはうつむいたまま一気に話した。
洋介がヒデトの肩にそっと手を置いた。
洋介「うん。何となくわかるよ。オレにもそんなときがあったから」
ヒデト、驚いた顔をして洋介を見る。
恵菜は軽く頷いて、ヒデトの顔を見た。
洋介「しかし、それは決して心の闇から、オレを開放してはくれなかった。それどころか、さらに闇の中に閉じ込めるだけだった」
洋介は過去を回想しているようだった。
〇オアシスの屋根を通して見える空
3人は空を見上げていた。
空はすっかり夕焼け雲に覆われていた。ブルーとオレンジと白の微妙なグラデーションが目に沁みるように美しかった。
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