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【全文】「私は捏造記者ではありません。…」〜慰安婦問題で元朝日新聞記者の植村隆氏が会見

2015-01-10 02:42:25 | シェアー

http://blogos.com/article/103130/?p=1より転載

記事

【全文】「私は捏造記者ではありません。不当なバッシングに屈するわけには行かないのです。」〜慰安婦問題で元朝日新聞記者の植村隆氏が会見

 9日、元朝日新聞記者で北星学園大学非常勤講師の植村隆氏が外国特派員協会で記者会見を行った。 

これに先立ち、植村氏は「週刊文春」誌上での記述で名誉毀損されたとして、同日、発行元の文藝春秋と記事内で発言を行った西岡力・東京基督教大教授に対し、計1650万円の損害賠償と謝罪広告などを求める訴えを東京地裁に起こしている。 

同氏をめぐっては、昨年の朝日新聞による慰安婦報道検証以後、勤務先の北星学園大学に脅迫状が送りつけられるなどしたことから、同大の学長が4月からの契約を更新しない意向を示していたが、大学教授や弁護士らが支援の動きを見せるなどした結果、昨年12月、契約の継続が発表された。 

植村氏の取材の窓口は朝日新聞が担っており、これまで東京新聞のほか朝鮮日報やニューヨーク・タイムズなどの海外紙のインタビューを受けてきたほか、産経新聞が繰り返し取材を申し入れるなど、慰安婦問題の記事を執筆した本人による発言に注目が集まっていた。 

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皆さまお忙しいところ、私の会見に来ていただき、ありがとうございます。 

パリの新聞社の襲撃で、多数の記者たちが亡くなったことに本当にショックを受けています。1987年5月に、私と同機の朝日新聞記者の小尻知博記者が襲撃されて殺された事件がありました。改めてそのことを思い出して、衝撃を持って受け止めています。同じジャーナリストとして、こうした暴力には絶対に屈してはいけないと、改めて思いました。 

私が非常勤講師として務めております北海学園大学にも、昨日、また脅迫状が送られてきました。匿名の名に隠れた、こうした卑劣な強迫行為は絶対に許すことができないと思います。なぜ脅迫状がくるかと言いますと、私が勤務してるからであります。 

去年、日本の週刊誌「週刊文春」の記事で、私は"捏造記者"というレッテル貼りをされました。それで私の記事とは全く関係ない大学にまでこうした強迫行為が及んでいるわけです。私は訴訟準備のため東京におり、大学には行ってなかったんですが、私のために大学が脅迫にさらされていることに怒りを覚えます。 

本日、私は「週刊文春」を発行する文藝春秋社およびその週刊誌にコメントを発表した東京基督教大学の西岡力氏を、名誉毀損の被告として裁判を起こしました。私は、私の人権、家族の人権、友人の安全、北星学園を守るために、訴訟を起こしました。 

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私は24年前の91年、朝日新聞大阪社会部時代に、韓国で名乗り出た朝鮮人慰安婦のおばあさんの辛い体験の記事を、署名入りで2本書きました。この記事が原因で、23年間ずっとバッシングを受けています。この記事で私が存在を報じた方は金学順さんと言う方で、韓国でカミングアウトした第一号の慰安婦でした。 

彼女の勇気ある証言によって、慰安婦の生の証言が世界に伝わって、たくさんの被害者が名乗り出るようになりました。そういう意味では、慰安婦問題が世界に知られるようになった第一号のおばあさんでした。 

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1年前、「週刊文春」2月6日号の記事に、その91年の8月の記事が批判的に紹介されました。「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」とあります。
西岡氏は私の記事に対して、「強制連行があったかのように記事を書いており、捏造記事と言っても過言ではない」とコメントされています。
女性の話によると、中国東北部で生まれ、17歳で騙されて慰安婦されたと書いてあります。しかし西岡は私の記述には触れないで、強制連行があったかのように記事を書いており、"捏造"と言っております。これはフェアではないと思います。 

私の記事は、リードで「女子挺身隊」という言葉を使いました。当時、韓国では慰安婦のことを「女子挺身隊」あるいは「挺身隊」という言葉で表現しておりました。しかし西岡氏は92年4月の「文藝春秋」で、これについて"重大な事実誤認"と批判しておりました。 

その当時、西岡氏は記事では「朝日に限らず、日本のどの新聞も金さんが連行されたプロセスを詳しく報ぜず、大多数の日本人は当時の日本当局が権力を使って、金さんを暴力的に慰安婦にしてしまったと受けとめてしまった」と書いておりますが、しかし、その後は私だけを狙い撃ちにしております。98年ごろから"捏造"という言葉に変わりました。同じ91年の記事に対して、評価を変えてしまっているんです。フレーム・アップだと思います。 

そして結局、その流れで2月6日号の「週間文春」は、私を"捏造記者"だとレッテル貼りをしました。これはフレーム・アップの延長線上だと思います。 

この記事が原因で、私の転職先の神戸松蔭女子学院大学にいやがらせ、抗議の電話が殺到しました。そして私が勤務している北星学園大学には、更に多くの抗議のメールや電話がかかってきます。そうした抗議の電話の一部はインターネット上に公開されて、さらに憎悪を煽り立てています。 

標的は大学だけではありません。私の家族、娘にまで及びました。娘の写真がインターネット上に晒され、誹謗中傷が書き連ねられています。
たとえばこんなのがあります。"こいつの父親のせいでどれだけの日本人が苦労したことか。親爺が超絶反日活動で…稼いだ金で、という意味でしょうか…贅沢三昧に育ったのだろう。自殺するまで追い込むしか無い"と書いてあります。 

私のパートナーは韓国人です。私の娘は父親は日本人で、母親は韓国人です。ヘイトスピーチのような、コリアンを差別するような言葉まで出てきます。 

私は「週刊文春」の捏造というレッテル貼り、そして西岡氏の言説がこうした状況を引き起こしたのではないかと考えています。私は言論の場でも意見を発表しています。法廷の場でも捏造記者でないことを認めてもらおうと思っています。 

私は捏造記者ではありません、不当なバッシングに屈するわけには行かないのです。 

神原元弁護士「次々と裁判を起こし、名誉回復を図っていく」

 

 

弁護団の方より若干補足させていただきます。 

植村さんの訴状は、本日東京地方裁判所に提出されました。被告は株式会社文藝春秋および東京基督教大学の西岡力さん、ということになります。 

裁判で植村さんは3つのことを求めていきます。インターネットからの西岡さんの論文の削除です。ふたつめは謝罪広告の掲載です、そして、損害賠償として1650万円の請求です。根拠は、捏造という記載が不法行為に該当します。現在170人の弁護士が代理人として植村さんを支援しております。 

他方、植村さんを攻撃している歴史修正主義者は他にもたくさんおります。私たち弁護士はこれからも次々と裁判を起こし、植村さんの名誉回復を図っていきたいと思います。 

上智大・中野教授「人権は守らなければいけない」

 

 

上智大学教授の中野晃一です。私は何百人かの学者、ジャーナリストの代表として、植村さんと一緒にこの攻撃に立ち向かいたいと思っています。やはり人権は守らなければいけないと考えている、多くの学者や報道関係者がいます。 

皆さんのご記憶にも新しいと思いますが、私はこちらで3ヶ月前に山口二郎先生と会見をしました。(編集部注:「言論と学問の自由を守るため立ち上がるべき」元朝日記者脅迫問題で山口二郎・中野晃一両教授が会見) 

当時、植村さんの雇用契約が更新されるかどうか微妙でしたが、北星学園大学が英断をされ、とりあえず1年の契約更新になりました。皆さんの記事や発信力が、多くの人の考えを変えることに役立ったと思います。ここでお礼を申し上げたいと思います。

 

家族の問題としてではなく、女性の人権問題として取材している

 

 

ー妻が韓国人であるために、あなたが慰安婦などの問題に対して中立の立場ではないのではないかという指摘もあるが? 

植村氏:まず家内のことについてお話したいと思います。 

私の記事は1991年の夏に書いた記事でございますが、前年、1990年の夏、2週間韓国に取材に行きました。当時、日韓で注目を浴びていた慰安婦問題で、慰安婦のおばあさんがもしかしたら生存していて、取材ができるのではないかと思って行ったんです。 

ところがもちろん当時はそういう戦時中の辛い体験を語る方には一人も会えませんでした。私は慰安婦のおばあさんたちを調査している「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)に行ったり、あるいは戦争の犠牲者たちの会「太平洋戦争犠牲者遺族会」(遺族会)の事務所などにもしょっちゅう行きました。慰安婦のおばあさんたちにはその2週間で全く出会えませんでした。 

でも一人の女性に出会いました。先ほど言った遺族会で事務をしている若い女性でした。韓国は母親と娘のファミリーネームが違うので後でわかったのですが、その女性は遺族会の幹部の娘でした。その女性と恋に落ち入り、結婚しました。 

91年の夏に、韓国の市民団体がこの慰安婦のおばあさんを調査しているという記事を書きました。
私を批判する人は、この記事が一番最初に、慰安婦のカミングアウトの前に、その存在を明らかにした記事だと、それで批判しているんです。私の妻の母親の情報によって記事を書いたんだと、私を批判しているんです。
この団体は、私のパートナーの母親の団体と違う団体なんです。そしてこの私の義母は、このおばあさんとは、私の記事の後に知ったというか出会ったわけです。当時のソウル支局長の情報を使って書いたわけで、親族関係を利用して書いた記事ではありません。 

朝日新聞の8月の検証記事でも、先日発表された第三者委員会の報告でも、縁戚関係を利用して記事を書いたとういう疑惑はまったく否定しております。 

私は先ほども申し上げた通り、私のパートナーと出会う前に、慰安婦問題を取材しております。
これはfamily affair、家族の問題として取材しているわけではないんです。女性の人権問題として取材しているわけです。だから結婚しようが、結婚しまいが取材は続けたと思います。 

—慰安婦報道について謝罪した朝日新聞のスタンスについてどう考えるか 

植村氏:朝日新聞は、私の2本の記事とは別に、「吉田清治証言問題」というのを抱えていました。
この吉田清治というひとは、済州島で女性を慰安婦にするために人狩り、強制連行をしたということを証言して、それが朝日新聞だけでなくいろいろな新聞にも記事が出た人です。

8月の朝日新聞の特集紙面で、私の記事については"捏造がない"と明快に発表しました。しかし、吉田さんの証言による記事については取り消しました。その記事を取り消した時に、謝罪がなかったということで大きなバッシングを受けたわけです。私もそう思います。だけれども、謝罪はして取り消したわけです、遅くなったけれども。

ところが、朝日新聞は、私が非常にバッシングされて、家族までバッシングされている状態になっている。それで非常に委縮していると思います。

私は捏造記者ではありません。それはこれから証明していきますし、「文藝春秋」1月号でも記事を書いております。

私に対するバッシングの理由は、私が元朝日新聞記者であること、私が慰安婦のおばあさんに関する記事を最初に書いたこと、私の家内が韓国人であること。そうしたことだと思います。私を攻撃して委縮させ、私の出身母体である朝日新聞を委縮させたいと考えている人々がいるんだなと。

もう謝罪して取り消したわけですし、改めて朝日新聞には元気を出して、慰安婦問題に取り組んでいただきたいと思います。慰安婦問題は解決したわけではないので。

—首相はフランスの事件について「言論の自由、報道の自由に対するテロであり、断じて許すことはできない。」とコメントした。北星学園大学の件については、首相にはどのような対応を望むか。 

これまでも北星学園に対する脅迫、いやがらせ問題について、文部科学大臣がそれを批判する発言をされたりしております。 皆さんそういう気持ちを持っておられると思いますので、ぜひ北星学園大学を首相にも支えていただければと思っております。 

—朝日新聞を辞めた背景は?朝日に辞めさせられたのか、それとも辞めたのは自分の意思なのか。か 

植村氏:言っておきますが、私は朝日を辞めさせられたわけではございません。私は1958年4月生まれで、今56歳です。だから、後4年ぐらいは働ける権利はあるわけですよ。ただ私は50歳を過ぎてから、勉強をするのが好きになりました。大学の後期博士課程に飛び込んで、博士論文にも取り組んでおります。2012年から北星学園大学では非常勤講師をやっています。教えているのは国際交流講義と言いまして、アジアの留学生たちに日本の社会事情、文化を教えています。 

学生時代は勉強嫌いだったのですが、年を取ってから勉強が好きなことに気が付きました。そして、アジアの学生たちと交流するのがとても楽しかったです。それは私がソウル特派員、北京特派員、中東特派員を経験して、アジアとの関わりの大切さというものを知ったからです。 

それで大学教員に転身しようと思いまして、いくつかに応募して、神戸の大学に採用が決まったんです。しかし、抗議のメール等で、神戸松蔭女子学院大学は非常にショックを受けて、事実上、私に辞退を求めたわけです。それは示談という形で、合意で契約を解消しました。 

もちろん、その時に朝日新聞に戻る方法もあったかもしれません。だけれども、"捏造記者"というレッテルはもう貼られたままです。そのレッテルを剥がすため、レッテルを貼った者と闘うためには朝日に戻らず、一人のジャーナリストとして闘おうと思いました。 

何故なら、闘うためにはたくさんの時間が要るんです。"捏造記者"という風に記事を書かれてから、私は捏造記者ではないという証拠を探すために、毎日とてもたくさんの時間を使ってきました。 

そして、私を取材する色んなメディアがたくさんの質問状を送りつけてきます。時間がたくさんかかるんです。残念ですが、フリーになって時間があるので、それができるというのが現状です。 

―嫌がらせの中に身体的な攻撃はあるのか?また、ネット上での中傷に対して、家族はどう感じているのか 

植村氏:私は今のところ言葉で脅されてるだけです。パリの事件は本当に痛ましい事件です。何らかの憎悪が原因で起きたと思います。やはり寛容さが欠けている人々がこういうようなことをしたんじゃないかと思います。 

私は、今物理的な攻撃を受けているわけではありません。私の記事が捏造という風に言われますが、当時は同じようなスタイルの記事が他の新聞にもたくさんあったんです。それが今こういう風な形でターゲットになって、個人が標的になってバッシングされている。やはり寛容でない社会で起きている現象という点では共通点があるかもわかりません。 

歴史の暗部、日本でいえば、戦争中の触れられたくない過去。それに対して、目を向けようとする人たちに対して、それを怯ませようという動きが日本にあると思います。それが誰なのかわかりません。 

例えば、私の家に嫌がらせ電話がかかってきました。私の家の電話は全く公開していません。だけれども後で調べたら、インターネットに私の電話とか、家の場所、娘の学校の名前、そういったものが出ていました。 

弁護士にお願いして、誰が書いたか発信先を突き止める作業を何日もかけてやりました。しかし、わかりませんでした。こういう風な匿名性に隠れて非難する人々がどんどん増えていると思います。それが私の記事とは全く関係ない私の勤務先にもこれだけたくさんの攻撃がなされている。 

日本は民主主義の社会です。こういう風な卑劣な行為は絶対に許さない。皆さんのお力を借りたいと思っています。 

「私は自分で愛国者だと思っています」


 

―植村さんへの批判には「反日」というレッテルも貼られていると思う。こうした記事を書く際に、植村さんは日本についてどのように考えているのか。また、最近台頭しているといわれているナショナリズムについて、どのように考えているのか。 

植村氏:今、ちょうど関連する資料をお見せします。 

ここにですね、私宛のハガキが大学の住所に送られてきました。読みましょう。「出ていけ、この学校から。出ていけ、日本から売国奴」。これは大学に送りつけられたハガキであります。こういうのもあります。「日本で稼ぐな。大好きな韓国に帰化して姑に食べさせてもらえ」。 

しかし、私は反日ではないんです。私は日本が他のアジアから尊敬される。本当の仲間だと思える国になってほしいんです。そういう意味では、私は自分で愛国者だと思っています。 

学生に言っています。僕の学生は、韓国、台湾、中国から来る学生が多いです。いつも言っているんですが、「もちろん今日本で不愉快なことがたくさんあるかもわからないけれど、日本もいいところがあるし、日本と隣国は大切な関係なので、是非日本でいろいろなことを学んでほしい」と。 

私は幸いなことにソウル特派員と北京特派員という二つのアジアの街の特派員をさせていただきました。その時の政治状況で国と国との関係は良くなかったりというのはありますが、どの街も人間として同じように触れ合えて、本当に隣国の人たちと仲良くなりました。 

そういう風な学生と接しているわけです。僕はアジアの中で隣国との関係はとても大切だと思っています。それをずっと記者としても、考えてきましたし、訴えてきました。 

まったく知らなかったのですが、僕の学生が日本語スピーチコンテストでスピーチをしてくれました。「植村先生をやめさせないでくれ」と。日本に「言論の自由」とか「学問の自由」とかがなくなっていたら、それは隣国にも影響がある。そんな学生を持って僕は幸せですので、絶対にこんな卑劣な脅迫で大学を去りたくないと思っております。 

こういう卑劣な書き込みとか攻撃する人たちのことを、何故そういうことをするのかわかりません。ただ一つだけ言えるのは、多分そういう人たちは、韓国や中国の友達がいないんじゃないか。そういう人たちと触れ合ったことがないんじゃないか。だから、心の中で排外主義が高まっているんじゃないかと思います。 

―昨年11月、脅迫電話をかけて逮捕された人間がいたが犯人は略式起訴でした。処分が軽すぎると思うのだが、こうした処置や今回の事件に関する政府の姿勢をどのように考えるか。 

植村氏:確か新潟県の男性が逮捕されたと思います。全く面識のない人です。名前も私は存じ上げませんでした。 

一つ私がジャーナリストとして残念なのは、何故この人がまったく見知らぬ私、大学を脅迫したのか。その後のフォローの記事が日本のジャーナリズムにないことです。逮捕された時は大きく出て、処分・略式起訴の段階になると小さくなりました。事件で一番大事なのは動機であります。 この人がどういう動機でこのようなことをしたのか。それを考えることこそがこうした行為を防止する方法ではないかと思っています。 

この処分が重かったかどうかはわかりません。ただ、抑止効果になったとは思います。北星学園というのは学生数がたった4200人の小さな学校です。しかし、明治時代にアメリカの宣教師がつくったミッションスクールであります。1995年の戦後50年の時に「北星平和宣言」というのを発表した学園でもあります。アジアの侵略戦争の反対と人権教育の大切さを訴えています。 

こんな小さな大学が、この激しい攻撃に耐えて、私を雇い続ける、「学問の自由を守る」と言ったんです。小さな大学が大きな勇気を示したんです。北星学園のこうした平和宣言というのは、日本政府が歩む道でもあると思います。必ずや政府も北星学園を支援して、こうした卑劣な行為を食い止める力になってくださると思います。 

神原弁護士:今の件について、一言だけ。札幌の現地の弁護士から、現地の警察はこの脅迫問題について、必ずしも熱心ではないという情報をもらっています。そこで弁護士が300人以上、名前を並べて刑事告発をする。そのような運動も行っております。 

日本の警察はキチンとこのような卑劣な犯罪を取り締まるために戦うべきだということもここで訴えさせていただきたいと思います。 

「吉田清治証言についての記事は一本も書いていない」


―「吉田清治証言」については、何本記事を書いたのか?虚偽であった吉田発言は結果的に反日を煽ったわけだが、これについて植村さんはどう考えるか? 

植村氏:先程も少し触れましたが、「吉田清治証言」の記事がありますね。私は一本も書いておりません。私は「吉田清治証言」の後に慰安婦問題の取材を始めた世代です。「吉田清治証言」の取材はしておらず、その後に慰安婦のおばあさんに直接取材を始めた世代です。 

本屋さんに売っている本に、「朝日バッシング」の本があるんですけれども、そういうのにも「吉田清治証言についてたくさん書いている植村記者」という表現がありました。だいたいこういうのこそ捏造というのではないかと思います。今月号、昨日発売された「世界」にその辺のことを書いています。以下に、デマ情報が活字にまでなっているのか、ということを書いています。 

私が書いた金学順さんの記事というのは、当時のことを調べましたら、8月11日の記事は、まったく韓国でも報道されていませんでした。このため、私は「反日気分を煽った」と言われても煽ってません。むしろ、日本がアジアの中で本当に信頼される仲間になるための作業をしていると思っています。 



《慰安婦報道問題》植村隆 元朝日新聞記者 記者会見 主催:日本外国特派員協会 - ニコニコ生放送





安倍政権の暴走に反対する1・26国会前行動/行動する1月の3大規模アクション

2015-01-10 02:27:30 | ご案内

 #行動する1月の3大規模アクション

1月17日(土) 13:00~「女の平和」国会ヒューマンチェーン
1月25日(日) 14:00~ 辺野古に基地はつくらせない!国会包囲
1月26日(月) 安倍政権の暴走に反対する国会前行動


ガイドライン改定・戦争関連法制定反対!戦争をさせない1000人委員会1.29院内集会

2015-01-10 02:17:11 | ご案内
 
日時:1月29日(木)18時30分~
場所:衆議院第一議員会館・大会議室(地下鉄国会議事堂前・永田町下車)
発言:鎌田慧さん(ルポライター)、佐高信さん(評論家)
※参加無料です。会館入口で入館証をお配りします。

安倍政権は昨年末の総選挙での「勝利」を受けて、憲法違反の閣議決定に基づく日米ガイドライン改定や戦争関連法案提出、沖縄辺野古基地建設、歴史認識の改ざん、貧困と格差の拡大、原発再稼働、憲法改悪を目論んでいます。2015年は、平和な未来をつくりたいと願う私たちにとって正念場です。全力でがんばりましょう。

「戦争をさせない1000人委員会」は戦争への道を突き進む政府の暴走を阻止し、一人ひとりの平和に生きる権利を守りぬくための運動として、2014年3月に発足しました。

「集団的自衛権」行使容認の閣議決定阻止のたたかい、さらに「9.4総がかり行動」、「11.11総がかり国会包囲行動」など安倍政権と対決するたたかいをすすめてきました。また、「戦争をさせない全国署名」は合計253万9920筆(追加提出分含む)集めるなど、たたかいのなかで新たな連帯の輪を拡げることができました。

しかし大変残念なことに、「戦争させない1000人委員会」呼びかけ人として多大なご支援・ご協力をいただいてきた本島等さん(元長崎市長)が昨年10月31日、菅原文太さん(農業生産法人代表・俳優)が11月28日と、相次いで逝去されました。

今回は本島さん・菅原さんとの交流が深かった鎌田慧さんと佐高信さんにお話しいただきます。おふたりを偲びつつ、平和への思いを引き継ぎたたかう決意を、ともに固めあいましょう。

≪関連≫

  #行動する1月の3大規模アクション

1月17日(土) 13:00~「女の平和」国会ヒューマンチェーン
1月25日(日) 14:00~ 辺野古に基地はつくらせない!国会包囲
1月26日(月) 安倍政権の暴走に反対する国会前行動

 


≪動画≫2015.01.04放送 《戦後70年 吉永小百合の祈り》

2015-01-10 02:05:44 | 紹介
たかはら まゆみさんのフェイスブックより)

『恐ろしい核を平和的に使うのならば、素晴らしいものが出来るのではないかと思い原子力発電が産まれたと知ったが、やっぱり核は人間とは共存できない』

2015.01.04放送《戦後70年 吉永小百合の祈り》

  • 戦後70年 吉永小百合の祈り 戦後70年 吉永小百合の祈り

「戦後70年」の節目の年となる2015年、「NHKアーカイブス」最初の放送は、日本を代表する女優、吉永小百合さんといっしょに「戦争」について考えるスペシャル版としてお届けする。
吉永さんが生まれたのは、終戦の年、昭和20年3月。「戦後70年の歩み」は、吉永さんの人生そのものである。
小学生の時にラジオドラマでデビューし、その後たちまち国民的スターとなった吉永さんだが、映画「愛と死の記録」やドラマ「夢千代日記」で原爆被害の実態に触れたことをきっかけに1986年「原爆詩」の朗読を始め、それから30年にわたって国内外で朗読会を続けている。
3.11以降は、福島原発事故の被災者の詩もあわせて読むようになった。
こうした詩の朗読をライフワークとした吉永さんを、NHKは、様々な番組で長期間にわたって記録し続けている。

NHKアーカイブス「戦後70年の巻頭言」は、「原爆詩」の番組や原爆関連番組などを放送。さらに、最新の詩の朗読会も紹介しながら、吉永さんに戦争や核の惨禍に対する思いをたっぷり語っていただく。

「これからも、ずっと“戦後”であり続けてほしい」、吉永さんの祈りを伝える番組としたい。

http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/

原爆詩の朗読は海外のイギリスのオックスフォード大学でも坂本龍一さんとの共演で実施された。
東日本大震災以降、吉永さんは原発事故の影響をうけた福島の人たちが書いた詩も読み始めている。去年12月、山形市で行われた朗読会に吉永さんの姿があった。
山形が地元の作家井上ひさしさんが生前吉永さんに詩を朗読してほしいとお願いしていた。
その願いが6年越しに実現した。朗読会では地元の合唱団の子供達も出演した。朗読会には福島から山形に避難している40人が招待されていた。
福島の原発事故で被害を受けた人々が綴った詩も読んだ。朗読会の最後ふるさとを合唱した。
吉永さんはこれまでに3枚の朗読CDを製作してきた。
先月に4作目となる福島を題材にしたCD製作の打ち合わせを行っていた。今回、音楽を担当するのは尺八演奏家の藤原道山さんで、吉永さんが福島の詩に和が合うと思い依頼したのだった。

吉永さんはこの打ち合わせの前の日に福島県 葛尾村など原発事故の被災地に足を運んでいた。そしてCDのイラストは今回もおがさんにお願いしていた。ここでも吉永さんの風化との戦いが始まっている。


新たな”核の惨禍”への思いについて、吉永は当初は被爆者の方々もあの恐ろしい核を平和的に使うのならば、素晴らしいものが出来るのではないかと思い原子力発電が産まれたと知ったが、やっぱり核は人間とは共存できないものだと感じたと話した。
そして乗り越えるにはどうしたら良いのかその方法を見つけたいと語った。

吉永さんが新しく出演することを決めたのが長崎の原爆がテーマの映画「母と暮せば」で、モチーフは井上ひさしが広島の原爆をテーマに作った「父と暮らせば」だった。

井上さんが生前、長崎を舞台にした作品も書きたいと考えており、決めていたのは「母と暮らせば」というタイトルだけ。
吉永さんが出演するのはその意志を受け継いだ作品。山田洋次監督は「大変な仕事だと思っているが、それをきちんとやりたい」と語った。
吉永は映画「母と暮せば」への思いについて、戦後70年という年にこの作品に出演できるということは「口には言えない思いがある」と語った。

井上ひさしが、かつて被爆をされた方々に対する思いを語った映像を紹介。
井上は仕返しとかではなく、こんなひどいことが他で起きてはいけないという考えは人間としてすごいとし、この出来事を覚えてもらおうと二度と起きない「祈り」を理解してほしいとおしゃってるわけだからその祈りをぼくらも受け取り、伝えていかなくてはいけないと語った。

http://tvtopic.goo.ne.jp/program/info/819029/index.html

 
 
 

【写真】 経済産業省前:脱原発の戦いは続いている!

2015-01-10 01:41:30 | 紹介

 経済産業省前:脱原発の戦いは続いている!

 

                                                                                          写真は呉さんのフェイスブックより