goo blog サービス終了のお知らせ 

こっぽんおりブログ

朝鮮学校と民族教育の発展をめざす会・京滋(愛称:こっぽんおり)のブログです。

京都朝鮮初級学校オモニ会バザー&裁判報告集会

2014-01-23 12:59:06 | 活動報告
2013年11月10日、京都朝鮮初級学校にてオモニ会バザーと裁判報告集会が行われました。当日は、公開授業があり多くの来場者がありました。ハッキョで行われている活気のある授業風景を、真剣な眼差しで見学する姿が目立ちました。続いて体育館で行われた裁判報告集会では、判決を報道するテレビ映像を見、弁護団の冨増四季さんから判決内容の報告をして頂きました。子どもたちが、事件から判決に至るまでどのような気持ちで生活を送ってきたか、その思いを朗読してくれました。そして、歌と千羽鶴の贈り物を頂きました。其のまっすぐな思いに応えたいと、決意を新たにする瞬間でした。初めて学校を訪れる人も多く、バザーの最中には、アボジ、オモニたちと新たな交流の輪があちこちで生まれていました。この流れを次につなげていきたいです。






京都朝鮮初級学校運動会2013年

2013-10-19 11:39:03 | 活動報告
醍醐に移転して第1回目の運動会。広い校庭には木陰がないためトラックをぐるりと一周囲んだテントのにぎやかさが新鮮でした。ピカピカの玉ころがし。壁のぼり。新校舎のジグソーパズル。恒例の借り人競争。幼稚園児の体操。未就学児のかけっこ。子どもたちとソンセンニムと親が入り混ざっての笑いの絶えない運動会でした。裏方を支えていた卒業生たちは新しい学び舎をどう見ていたのでしょうか。校舎は移転したけれど民族教育の縦の糸は堅くつながっていると感じました。60周年記念Tシャツを手に入れて、望遠レンズのカメラを構える学園理事長の姿に心躍らされて、学校を後にしました。


京都朝鮮中高級学校体育祭2013年

2013-10-19 11:34:24 | 活動報告
9月22日、今年は快晴のもと、京都朝鮮中高級学校の記念すべき第60回体育祭が開催されました。これまで何度となく見逃してきた集団体操(マスゲーム)を初めて見ることができました。一言であらわすと、女子生徒の紅旗の演技は秀麗、男子生徒の組体操は熱演、共和国国旗をはためかせる行進は丹誠、でしょうか。上から眺めるととても綺麗でした。来年は生徒の表情が見えるところから観覧してみたいと思います。学校の歴史をたどるような記録写真が校門に展示されていました。知っている人の何年か前の姿や、共和国から学生芸術団を招いたときの写真もありました。60年の民族教育の歩みを感じることのできた体育祭でした。


ウリハッキョマダンに参加しました。

2013-09-18 10:03:57 | 活動報告
8月25日(日)、滋賀朝鮮初級学校にて第6回ウリハッキョマダンが行われました。こっぽんおりは、協賛・後援という形で参加させてもらいました。JR膳所駅を降りてから15分程度歩くと、太鼓の音が聞こえ、焼き肉の匂いも。自然と足は、朝鮮学校の方に向かっていました。

当日はあいにく雨で、ステージ(舞台)での演目は、屋内で行われました。それも、校舎の中をゆっくり見学することができたので貴重でした。

階段を上がっていくと、どこかで聞いた歌声が聞こえてきます。趙博さんの演奏でした。ハッキョの子どもたちも一緒になって唄っている姿が、なんとも可愛らしい。津軽三味線、昭和町の空手教室の演舞と続き、サンタナ学園(ブラジル人学校)の子どもたちのサンバウが披露されました。普段は、グラウンドのない校舎で学んでいるというサンタナの子どもたち元気いっぱい。観客も交え大変盛り上がっていました。

出店も、非常に多彩で、甲賀市にある共同作業所「けいかん」では、さいぼしやあぶらかすを販売。NPO法人滋賀コリアン生活サポートセンター・デイサービスけなりのすじカレーも頂きました。韓国風冷麺、すじ肉串焼き、新鮮野菜なども販売されており、実行委員会のメンバーの個性が存分に出た内容で、会場を盛り上げていました。

大津高校や湖南農業高校の生徒たちも自然に交流、出演、お手伝いに一生懸命で、微笑ましい風景でした。

訪れた人が、新たな関係を築けるようにと幼稚班の先生によって設けられた交流スペース(「語り場」)でも、熱心に交流する参加者の姿がありました。鄭想根校長先生のノリの良さも印象的で。新たな参加者を引き付ける魅力になっているのでは、とも思いました。

こっぽんおりは、来年、どんな関わりができるのか。そんなことを話し合いながら、帰路につきました。実行委員会のみなさん、初級学校のみなさん、本当にお疲れ様でした!!


これが おれたちの学校だ

2013-06-23 21:59:12 | 活動報告
祝賀宴で共同代表の板垣竜太さんが朗読した詩は、許南麒の「これが おれたちの学校だ」(1948年)だそうです。
掲載しておきます。
-------------------------
これが おれたちの学校だ
              -一九四八年八月、東京都京橋公会堂で開かれた
               朝鮮人教育不法弾圧反対学父兄大会によせた朗読のための詩
                        元 朝鮮初級学校長の詩2

子供たちよ
これが おれたちの学校だ、

校舎はたとえみすぼらしく、
教室はたった一つしかなく、
机は
君たち 身をよせると
キーッと不気味な音を立て
いまにもつぶれてしまいそうになり、
窓という窓には
窓ガラス一枚ろくにいれられなくて
長い冬は
肌をさく北風で
君たちのさくらんぼのような頬を
あおざませ、

そして
雨の日には雨が、
雪の日には雪が、
そして一九四八年春三月には
ときならぬ嵐がふきすさび、
この窓をたたき、
君たちの本をぬらし、
頬をうち、
あげくのはては
学ぶ自由まで奪いあげようとし、

見渡せば
百が百
何一つ満足なもののない
おれたちの学校だ、

だが 子供たちよ、
君たちは
ニホンノガッコウヨリ
イイデス、と
つたない朝鮮語で
おれたちも祖国が統一しさえすれば
日本の学校より
何層倍も立派な学校を
建てることができるじゃないかと
かえって
この涙もろい先生をなぐさめ、

そして また きょうも
カバンを背負い
元気一ぱい
学校に来るのだ、

子供たちよ、
これが おれたちの学校だ、
校舎はたとえ貧弱で
おはなしにもならず、
大きなすべり台一つ、
ぶらんこ一つそなえられなくて
君たちの遊び場もない
見すぼらしい学校ではあるけれど、

ああ 子供たちよ、
これが ただ一つ
祖国を離れた遠い異郷で生れ
異郷で育った君たちを
ふたたび祖国のふところにかえす
おれたちの学校だ、

ああ
おさない 君たち、
朝鮮の同志たちよ。
                                 (1948)

(『許南麒詩集』国文社、1969年所収)

◆京都朝鮮初級学校新校舎竣工祝賀宴◆

2013-06-22 12:15:47 | 活動報告
記事の順番が前後しておりますが、京都朝鮮初級学校新校舎竣工祝賀宴の報告を書いてくれたメンバーがおりましたので、掲載します。
--------------
5月19日(日)正午から「京都朝鮮初級学校新校舎竣工祝賀宴」が開催され、参加しました。

祝宴では、 工事関係者等への感謝状贈呈のあと、門川大作・京都市長、野中広務・元内閣官房長官、仲尾宏・京都造形芸術大学客員教授(当会共同代表)のお三方が来賓を代表してあいさつをされました。野中氏の「どんなチャンネルを使ってでも、近くて遠い国を近くて近い国としていく」というアピールは迫力がありました。

その後舞台では綺麗な民族衣装に身を包んだ園児のお遊戯や生徒の演奏、保護者の舞踏などが披露され盛んな拍手をあびました。

そしてフロアからも第三初級学校と交流のあった小学校の校長先生をはじめ多くの関係者の方々のスピーチがありました。板垣竜太さん(当会共同代表)も「俺たちの学校」でしたか、朝鮮学校への想いを謳った詩を紹介されました。それぞれに心のこもったお話しで、心に染みました。

後で伺うと参加者は1000人にも及んでいたとのこと、 この国で、この京都で、民族的アイデンティティをもった子供たちを育てたいという想いを、共に生きる日本人として支えていきたいと、改めて思いました。
                     (by闇夜鴉)

滋賀朝鮮初級学校運動会

2013-06-17 23:58:55 | 活動報告
5月に行なわれた運動会に事務局メンバーが見学に行って来ましたので、遅ればせながら報告を掲載させていただきます。
----------------

5月26日の日曜日、滋賀朝鮮初級学校で53回目になる運動会が快晴のもとおこなわれました。午前10時からはじまった競技で、お昼過ぎには子どもたちだけでなく先生も保護者も、みんな赤い顔になっていました。それでも、最終リレーの前の競技で6年生の子どもたちとその親たちが一緒に走る種目では、子どもたちに負けじとアボジ・オモニも全力で走っていました。声を張り上げて実況中継する先生は、北斗の拳かな?・・・というくらいの盛り上げぶりで絶叫されていました。おとなたちがここまで楽しんだら、子どもたちが喜ばないはずはありません。またひとつ、滋賀初級の魅力をみせてもらいました。

午後一番の競技、集団体操(組み体操)は、幼稚班の子どもたちもふくめて全校生徒が出演する競技です。先生からは「まだ見てないんですか?」と言われるほど学校自慢の種目で、すばらしい完成度、なのだそうです。結局、今年も間に合わずに見ることができませんでした。ちょうど学校の近くを急いでいたときだったの
ですが、遠くから大歓声が聞こえてきていたのは、ピラミッドを成功させた子どもたちへの拍手喝さいだったようです。

この間、こっぽんおりの活動のなかで、滋賀初級を卒業して中高級学校に進学した生徒さんや、日本の大学に通う生徒さんとの出会いがありました。京都よりも少し小さなコミュニティーで大切に育てられた生徒たちが、初級学校の教育を支えに社会に出て行くときには、この滋賀のあたたかくて情熱的な先生たちのこと
を思い出しているのかもしれません。

校舎の玄関口には学校通信と並べて、こっぽんおりの冊子を掲示してくださっていたり、学校と交流のある日本の学校の先生のコメント記事を貼り出していたり、交流関係を大事にしていることを子どもたちにも伝えようという気持ちまで感じられました。

8月25日には、ウリハッキョマダンが開催されます。またレポートしますが、行ける方はぜひともご一緒しましょう。

総会報告

2013-05-20 12:45:36 | 活動報告
4月27日、こっぽんおり第2回総会を開催しました。参加者は40人あまり。
同時刻に四条河原町ではオモニ会による、
高校無償化適用を訴える街頭活動が30人ほどでおこなわれていましたが、
総会会場には中高級学校のオモニ会会長が来てくださいました。

この日は授業のある土曜日だったため会場として借りた中高級学校小講堂は、
民族教育の授業のようすや生徒たちの学校生活の様を
うかがいしることのできる声や響きに囲まれていました。

冒頭、共同代表の板垣竜太さんからの挨拶では、
省令による無償化適用除外、自治体の補助金削減といった攻撃は、
朝鮮学校への弾圧の歴史の繰り返しのなかに位置づけられていると確認され、
これを跳ね返す運動が民族教育の権利をかたちづくってきたこと、
いまも運動が求められていて、第一初級学校の裁判判決を期待しつつ、
これを最大限活かしていくことが大切だと語られました。

総会に先立っておこなわれた金尚均さんによる基調講演では、
朝鮮学校の教育は民族的アイデンティティ再確立のための社会運動といえる、
日本学校で教育を受けたご自身と比べて、
ハッキョの空間は自己アイデンティティ確立における悩みが比較的少ないが、
その空間が奪われるという感覚を2009年の事件で痛感したと語られました。
また特定個人に対する名誉毀損は罪になる一方で、
民族集団に対する誹謗中傷や殺人教唆を裁けない現行法の問題点を指摘して、
ヘイトスピーチを裁く法が必要であるとしめくくられました。

つづいて京都朝鮮中高級学校の趙明浩校長先生から、
本年が中高級学校創立60周年(還暦)にあたること、
ご自身も50年の節目の年を迎え、これまでの民族教育の歴史をふまえて、
新たな発展のためにより一層傾注したいと語られました。
一世が土台をきずいた民族教育の中身に学んでいることや、
現在の学生たちが日本社会で獲得している多種業績の報告も受けました。

在外教滋賀の方から、
ウリハッキョマダンの取り組み、ブラジル学校との交流の話、
6月1日開催の『ぬちがふう』上映会のアピールがありました。

全朝教京都の方から、
ウトロの人たちと等身大の交流をしてきた話、
昨年の入管法改定が学校現場にどんな影響を与えているか危惧を持っている、
というアピールがありました。

滋賀・京都とも、日本の学校の先生とつながりながら、
朝鮮学校の子どもと日本学校の子どもの交流や先生どうしの交流に、
こっぽんおりとしても一歩踏み込んで関わっていきたいと思えるアピールでした。

総会では、昨年度の活動報告・会計報告、今年度の活動方針・予算の提案、
事務局体制の発表(30歳代の事務局員が2名増えました)をおこない、
いずれも参加者全員に確認してもらいました。

総会後に校舎正面の一角をお借りして焼肉交流会を開催。
中高級学校の先生も加わって50人近い人が七輪を囲んで懇親の場をもちました。
共同代表の仲尾宏さんをはじめ参加者の何人かがマイクで思いを語り、
レイシストの街宣へのカウンター行動や、学校の先生の思い、
京都朝鮮初級学校開校の祝報などに、気持ちを寄せ合うことができました。

3月24日、大阪での集会

2013-04-16 02:29:07 | 活動報告

3月24日、大阪のモアパレードで訴えられた、
京都朝鮮高級学校卒業生のリレートークを掲載します。


こんにちは。私は現在、同志社大学法学部に在籍し、留学同京都で活動しております。私は2012年に京都朝鮮中高級学校を卒業しました。今回はこの場をお借りし、朝鮮学校卒業生として3000人の参加者の皆様の前で朝鮮高校無償化適用除外問題についてお話しさせていただくという機会を与えられ、大変緊張と共にプレッシャーを感じております。ですが、無償化適用の除外を受けた当事者として、適用を受けぬまま卒業を迎えた者として、当時感じたこと、卒業して感じたこと、そして今の思いを自分なりに述べたいと思います。
 高校無償化法案が閣議決定された2010年1月当時、私は高校1年生でした。そのころ自民党から民主党へ政権が移り、少しは在日朝鮮人に対する処遇が良くなるかなと思っていた矢先、この法案が発表されました。しかし、喜びもつかの間に中井拉致問題担当相の発言をきっかけに雲行きが怪しくなり、4月に朝鮮学校が除外された形で施行となりました。
感情としてはさっきの朝高生の気持ちと同じです。私はそれだけでもショックだったのにもかかわらず、さらに新たに入学してきた新高校1年生の人数が激減し、今まで2クラスであったのが1クラスになったのです。今までは在日朝鮮人を取り巻く問題について教科書や講義で聞いてはいたもののどこか実感がわかず大変なんだという印象でしかなかったものが、その時初めて在日朝鮮人に対する差別と朝鮮学校の生徒数減少という在日朝鮮人問題が今まさに目の前で起こっているという事を身体で感じるとともに自分の問題として考えるようになりました。そのような視点で周りを見渡してみると、朝鮮学校の学費は助成金が十分に出されていないこともあり日本の学校と比べれば高く、日本社会でいえばマスコ
ミの「北朝鮮」に対する偏った報道によるマイナスイメージ、(私も日本人に「朝鮮人」と発言することに抵抗があったり、通名でカードを作っていたりしていました。)朝鮮人に対する偏見、蔑視などなど、自分の周りにも様々な問題が転がっているではないか!と痛感しました。経済的負担、将来の不安、教育内容の一方的な決め付けといったことから日本の高校に通わせる、通わざるを得ない、若しくは通いたいと思う親や本人を責めるのははたして正しいのだろうか、と無償化適用除外を受けて考えるようになりました。もちろん朝鮮学校がすべて完璧ということではありませんが、少なくとも、朝鮮人として日本社会で生きていくことがとてもしんどいことであることは間違いないと思います。これがきっ
かけでこの状況をこの社会を変えたいという気持ちが次第に強くなり今にいたります。動機はそれだけではなく単純にこんなにいい先生たちがいて民族の誇りをもたせてくれた学校がこのまま行くと無くなるという事がとても残念でならなかったのです。
 その後も審査手続きを待ってはまた待たされ、ようやく決着と思いきやヨンピョンド砲撃事件を理由に再び停止され気づけば私も卒業を迎えておりました。その間、署名活動を何度も行い、京都朝高は行政のお偉いさんを招き授業を見せ、公演を見せ、マスコミの取材を受け、なぜ私たちがここまでしなくてはいけないのだろうか、何か悪い事でもしたのだろうか、と怒りと悔しさが入り混じり、私たちのように期待と落胆を何度も繰り返しながら卒業していった朝高生がどれほどいたでしょうか。今年も適用を受けぬまま、更に除外が決定されて後輩が卒業を迎えてしまいました。

卒業して法学部に入学したのは平等を実現するための法律がこの状況をどのように判断するのだろうか。現に差別され苦しむ人々がいるのにそれを法は許容するのだろうか。「そこのとこどうなの?」と、法に対して疑問を持ったことが理由の一つです。もう一つは本問題についてだけではなく、同時期におこった在特会による京都第一初級学校襲撃事件についても、多くの在日朝鮮人と日本人の弁護士の方々が闘っているという事を聞き、私もその一員となって一緒に学校を守りたいと思ったからです。
そして入学したのと同時に留学同(在日本朝鮮留学生同盟)と出会いました。留学同には私のような朝鮮高校出身者や、途中から日本の中学、高校に通った人、ずっと日本の学校に通っていた人など色々な経緯を持つ在日朝鮮人の大学生が集まります。中には名前や国籍、ルーツに悩んで生きてきた人もいます。私は朝鮮学校出身者であるため、周りはみな朝鮮人で、日本社会で生きてはいたもののその中の同胞社会で生きてきました。私にとって当たり前であった二つの名前を使い分けること、旅行に行きやすい韓国国籍に変えること、ムカつくことがあると朝鮮語で愚痴ること、これが可能なのはまさに日本の過去の過ちから生まれた産物でそれに反対しているはずなのに自分の都合がいい時だけ利用していまし
た。しかし彼彼女にとってはその一つ一つが当たり前ではなく壁でありそれが原因で苦しんできたのです。私は彼彼女らのことを全く考えずに生きてきました。私は無意識的に彼彼女らを傷つけていたことに気付き、もっとも基本的な事がなっていなかったことにとてもショックを受けました。自分の周りの人たちの痛みをできる限り理解しようとすることが運動を行う初歩の初歩だということを初めて知ることになったのです。留学同に入ってからも無償化適用を求める署名活動やパブコメ、文科省あてに葉書を送ったりしました。まさか高校1年のときの問題に卒業した後も取り組むことになるなんて思いもしませんでした。高校の時散々冷ややかな目で見られながらそれでも必死になって署名を求めたのに、卒業
してもなお署名活動をしなければならない事実が信じられませんでした。私が卒業して感じることは無償化除外の問題のみならず在日朝鮮人問題、ひどい場合、在日朝鮮人の存在すら知らない同世代がとても多いことです。私は認知しながら一方的に嫌うことはもちろんいけないことですが、そもそも知らないという事がもっとも危険なことであると考えます。認知して、いけないことだという判断さえもできない状況で何も知らないことからくる差別、偏見、蔑視がどれほど恐ろしいことでしょうか。一体日本の歴史教育がどうなっているのか疑問に思わざるをえません。
 私が今留学同の活動をしているのはざっくりいえば在日朝鮮人が堂々と生きていける社会を作るためです。留学同の活動というよりかは一人の在日朝鮮人としての運動といった方が正確かもしれません。私は法律家になって闘いたいと思い大学に進学したのですが、一年間の留学同の活動を通して、私は法律家である前に朝鮮人なのだ、今の自分でも十分にやるべきことはある、と強く思うようになりました。

在日朝鮮人に対する差別は今回の問題だけではありません。過去にも民族教育や国籍、大学受験資格、地下鉄定期券、再入国許可証、年金など国家レベルで生活にかかわるほとんどの権利が与えられておらず、現在でもまだ残っているものもあります。通名強要や入居拒否、在特会、ネットでのいわれのない誹謗中傷など私人間でも在日朝鮮人として生きることが常に妨害され、全国的な補助金のカットや万景峰号の運航停止、総連幹部の再入国禁止、マスコミの北朝鮮バッシング、などと挙げればきりがないほど手を変え、品を変え、様々な手段で解放後60年がたった今でも変わらずに行われている現状の中で、朝鮮人として生きることが難しい、堂々と生きられない、朝鮮学校にも通えないといったことから、朝
鮮人に対する日本社会の在り方を受け入れて別の道に進む同胞、反対はしつつも別の道に進まざるをえない同胞、在日朝鮮人が力をつけたら差別されないと考える同胞など在日朝鮮人の在り方に対する考え方も多種多様になり、かつて朝鮮、韓国国籍保有者が60万人であったのが現在では40万人に減少していることがよくそれを物語っていると思います。

日本が過去の過ちを反省せずむしろ在日朝鮮人の存在を日本から排除して無かったことにする。この姿勢が今回の無償化排除という形で現れただけです。私たちは無償化適用を最後まで訴え続けていくだけではなくその背後にある日本政府の、日本社会の朝鮮人は差別されてもいいという姿勢そのものに反対していかなければなりません。先代が民族弾圧に屈することなく60年もの間、朝鮮学校を守ってきたから今の学校がありますし、今の在日朝鮮人がいます。4.24教育闘争をはじめ奪われた多くの権利も多くの日本人の方々と、ともに運動で勝ち取ってきました。法は運動で変えられるのです。朝鮮高校無償化適用を目指して、朝鮮人が朝鮮人として当たり前に生きられる社会がくるまで、最後まであきらめずに闘
い続けましょう。

3月24日(日)新校舎見学会と、大阪での「朝鮮学校ええじゃないか」集会&パレード

2013-04-02 21:57:26 | 活動報告
3月24日の午前中、京都朝鮮初級学校の新校舎見学会に、連続講座の一環として行ってきました。
参加者は十数人で、まだ机も運び込まれていない校舎を、学園理事の李蓮澤さんの説明を交えながら、一足早く見せていただきました。
地元住民の方たちとの話し合いを何度も繰り返され、反対意見も出た中、住民の方で朝鮮学校に理解を示してくれる方たちも出てきたというお話を聞き、少しは、ほっとしました。
駅から校舎までが、信号の無い道を渡らないといけない場所などもあり、そこは住民の方とも一緒に、横断歩道をつけるように要求していくとのことでした。
トイレの表示がチマチョゴリやパジチョゴリを着た子どもの姿で示されていて、かわいいなと思いました。
また、壁一面が鏡の多目的室、グラウンドや体育館も整備されており、子どもたちがのびのびと学び、民族文化を継承し、遊べるような工夫がこらされていると思いました。
一通り校舎を案内していただいた後、こっぽんおりのメンバーである上瀧浩子弁護士から、校長先生に竣工祝金の贈呈が行なわれました。

午後からは、行けるメンバーで大阪の集会とパレードに参加しました。
扇町公園で集会、西梅田公園へパレードというコースだったのですが、こっぽんおりからは、朝鮮高校卒業生とのリレートークと、各地の支える会の状況という二箇所で発言させていただきました。

集会後、西梅田公園までパレードがあったのですが、ビジネス街だからか人通りがあまりなく、車道の車にプラカードを掲げたりしながら進みました。
パジチョゴリを着たトラや、チマチョゴリを着たウサギの着ぐるみ、民族衣装を着た子どもたちなども参加して、ふうせんや薄布なども準備されていて、華やかな雰囲気でした。
私たちは京都の朝鮮学校の関係者の方たちの中に入らせていただいたのですが、
終盤に右翼の街宣車が通り、道路の反対側に旭日旗等を掲げてアピールしている集団がいたりもして、
子どもたちも参加している中で、そのような行動をしている人たちが現れたことに、辛い気持ちになりました。