こっぽんおりブログ

朝鮮学校と民族教育の発展をめざす会・京滋(愛称:こっぽんおり)のブログです。

第二初級おもちつきにお邪魔しました

2014-02-02 12:18:22 | 活動報告
第二初級にうかがったのは初めてで、入り口を探していたら、楽しい歓声と人だかりでわかりました。懐かしいお餅つきの風景のなか、ハナ、トゥル、セッ、ネッ、・・・という子どもたちの掛け声が、ここは朝鮮学校なんだなあと実感させてくれました。つきたてのお餅も豚汁も、毎年作っているというゆず大根も、本当においしかったです!
こういう平和なハッキョの日々を守ってゆく活動に、少しでも協力してお返しできればと思っています。これからもよろしくおねがいします。


高校無償化適用を求める署名活動

2014-02-02 12:17:03 | 活動報告
2010年4月にスタートした高校無償化制度。家庭の経済状況によらずすべての学ぶ意志ある子どもたちが安心して教育を受けられるようにという目的をもちながら、各種学校認定されていないブラジル学校に通う子どもたちや、フリースクールに通う子どもたち、そして朝鮮学校に通う子どもたちに無償化制度が適用されていないまま4年が経とうとしています。一方、高校相当年齢の子どもがいるすべての家庭で特定扶養控除額を減少して増税措置がとられています。
不平等な制度によって差別を受けたまま4回目の卒業生を送り出してはならないと思い街頭で署名を集めました。12月22日と25日には京都タワーで、28日には三条河原町で署名版を持ちマイクで協力を呼びかけました。京都朝鮮中高級学校からも生徒と先生たちが参加して道行く人たちに活発に声をかけ多くの署名を集めました。
生徒への嫌がらせはなかったものの、カバンから「在日特権」と書かれた本を取り出して目の前にかざして立ち去っていく人がいました。生徒たちの「不平等をなくして欲しい」という思いを否定する歪んだ論調が日本社会にあふれている現実を見せつけられました。とはいえ署名をしてくれた方は3日間で300筆におよび、同世代の子どもを持つ親、中学生や高校生そして小学生、チラシ配布のバイトをしている留学生、近所に朝鮮学校があるという人など、さまざまな立場から協力的な声をかけてもらいました。
2月20日には、下村文部科学大臣が朝鮮学校を無償化から排除する省令改悪をおこなってから1年がたちます。これに抗議して、すべての子どもたちへの一刻も早い無償化適用と、この間無償化が適用されずに卒業していった子どもたちにもさかのぼった対応を求めていきたいと思います。



第8回フレンドシップコンサート

2014-02-02 12:12:27 | 活動報告
10月27日、京都朝鮮初級学校の第8回フレンドシップコンサートが盛大におこなわれました。同志社大学を会場にしたチャリティーコンサートは2004年に第3初級学校を支える人たちの手ではじまってから友情の輪を広げてきました。今年も、同志社大学板垣ゼミ生が制作したドキュメンタリー映像2作品が上映され、第3初級と第1初級が統合した初級学校の子どもたちの歌や演奏がホールいっぱいに響き渡りました。
今年は朝鮮学校の子どもたちの姿をめいっぱい知ってもらおうというプログラム構成でした。ロビーには新校舎で学ぶ子どもたちの元気な写真が並び、プログラムの最後には客席を囲むように勢ぞろいした子どもたちと会場の参加者の合唱で「하나(ハナ)」を歌い上げて、ウリハッキョが未来に向かって羽ばたくイメージをともにしました。


中高級学校でこっぽんおり・こるむ活動紹介

2014-02-02 12:10:39 | 活動報告
10月19日、こっぽんおり事務局から2人が京都朝鮮中高級学校を訪ねて小講演をさせていただきました。報告したのは「こっぽんおり」の学校支援活動についてと「こるむ」の裁判支援運動についてでした。民族教育の現場でわたしたちの活動を生徒たちに報告する機会を与えていただき、感激と興奮のあまり前日は眠れませんでした。わたしがウリハッキョと関わって14年間、前進できた課題がある一方で、無償化除外や第一初級へのヘイトクライムなど新たな差別と排除を生み出している日本社会の現状は、生徒たちに計り知れない苦痛を強いているはずです。「支援する日本人」として紹介されることへの困惑もありながら、なぜ「支援してきた」のかを語る責任があるとも考えていました。
日本政府が社会のマジョリティーとしての日本人の民族教育を認める一方で在日コリアンの民族教育をはじめとする外国人学校の民族教育の法的権利を認めていないのはフェアじゃないこと、植民地支配をおこなった日本の統治思想を批判する教育や朝鮮半島の自主的統一を望むことは「日本人」にとっても重要であること、「同質な多数者」として振る舞うマジョリティとしての日本人は日々つくられているものであることなどを話して、こうしたことにわたしが気づいたのはウリハッキョが日本社会の問題を映し出す鏡になってくれていたからなのだと伝えようと思っていました。けれど、生徒たちの前に立って最初に朝鮮学校とそこで学ぶ人たちが好きなのだと話してからは気持ちが上がってしまい、その10分
の1も話せませんでした。
終了後に寄せていただいた高級部3年生の感想文には「わたしたちのことが『好き』だと言われて『うれしかった』『安心した』」という言葉や、「一緒になって解決策を見つけたい」という思いが書かれていました。生徒たちの感受性に感謝の思いがあふれます。いまの日本社会に必要なのは、「わかるよ」という安易な共感よりも「違うんだ」「知らなかったよ」と多様性を認め合える会話だと思います。ハッキョのハッセンたちソンセンニムたちと今後もコラボレーションしながら、多数者の同質性から脱け出していく「日本人」の仲間とさらに手を携えて、ウリハッキョを支えていきたいです。