sha********さん
2018/6/2410:33:32
元号が云々されているが正直ややこしいし不便 天皇にまつわるならこの際皇紀に統一するのに賛成である キリスト歴にも慣れてしまっているが同じ伝説的に基づくのであるなら神武天皇の方がしっくりする気がする 今
だからこそ国会でも考えてもらいたいと思いますが如何でしょうか
補足
因みに今年はキリスト紀元(西暦)2018年 皇紀(日歴)2678年。
komasaram
皇紀は使う気になれませんね。
日本人が西暦になじみが無かった明治~大正~昭和の終戦までは別として、西暦が日本人の間で普及した今、皇紀も元号も西暦の知識を前提にしてるからです。
大化元年は西暦645年とか、元禄元年は西暦1688年とか、皇紀元年は西暦紀元前660年とか、西暦で説明するのが普通でしょう。
明治27年が光緒20年だということも、一旦「西暦1894年」にして調べないといけません。それが皇紀2554年というのも、西暦に660を足してわかることです。
皇紀は「西暦に660を足せばいいから簡単だ」と言われますが、これはつまり「西暦がわからないと皇紀がわからない」ことを意味します。
すると昔のことを元号で覚えていて西暦がわからない高齢者はどうするんでしょう?
昭和と皇紀の換算であれば、昭和15年が皇紀の「紀元2600年」なので、これが目安になります。では平成元年は皇紀で何年か、昭和元年は皇紀で何年か、大正元年は皇紀で何年か、明治元年は皇紀で何年か、慶応元年は皇紀で何年か、元治元年は皇紀で何年か、文久元年は皇紀で何年か、万延元年は皇紀で何年か、こういう問題が起きてきます。
ちなみに万延元年は皇紀2520年です。
過去の元号がそれぞれ何年前かは西暦に換算するのが確実ですが、すると247あった元号すべてと西暦の換算を覚える必要があり、それは大変で、しかも皇紀を使うとなると、過去の元号と皇紀の対応を覚える必要が出てきます。
すると、元号を西暦に直して660を足して皇紀にする必要が出てきます。
例えば中曽根康弘元首相は大正7年生まれで今年100歳だそうです。
多くの人はこれを西暦で計算するでしょう。
大正7年は西暦1918年、平成30年は西暦2018年、100年差です。
皇紀でどう計算します。
西暦2018年に660年を足して皇紀2678年にして、西暦1918年に660年を足して皇紀2578年にして、引き算して100年差を導くんでしょうか?
これなら西暦どうして、2018年から1918年を引いた方がましです。
元号だけで計算すると、大正7年から大正14年まで7年、それに昭和の63年と平成の30年を足せば100年です。
これが江戸時代になると元号が増えます。
例えば寛政12年から明治33年まで100年ですが、これは西暦で「西暦1800年から1900年まで」とすることでわかります。皇紀で計算するとしても西暦に660を足して、「皇紀2460年から皇紀2560年まで」にすべきでしょうか?
つまり元号を皇紀にするには西暦を経由する必要があります。
もちろん戦前、戦中の子供たちは西暦を知らず、元号と皇紀を暗記してたんでしょうが、今の小学生、中学生、高校生は過去の出来事を西暦で覚えているでしょう。
政府が皇紀を復活させる場合、歴史の教科書を皇紀で書くように改める必要がありますが、これは「尋常小學國史」の再現になります。例えば天正元年が皇紀2233年(室町幕府滅ぶ)、天正10年が2242年(本能寺の変)、文禄元年が皇紀2252年(第一次朝鮮出兵、文禄の役)、慶長元年が皇紀2256年(秀吉が明の使者を大阪城に招いた)という具合です。
これを今の日本人が覚えると、結局、年号を皇紀で覚えなおすことになります。この場合、元号だけで覚えている人は不利です。
例えば日露戦争を「明治37年」で覚えている人は、これを「皇紀2564年」にするのに苦労するでしょうが、「1904年」で覚えている人は何とか計算できるでしょう。
つまり歴史を元号で覚えている人より西暦で覚えている人の方が皇紀を使いやすいのです。
「寛政元年」を皇紀にするのは大変ですが、「1789年」を皇紀にすることは何とかできます。1789に660を足せば2449、寛政元年は皇紀2449年になります。フランス革命のバスチーユ監獄襲撃事件は「皇紀2449年」でいいんでしょうか?
「皇紀」は旧かなづかいで「くわうき」、今の日本語で「コーキ」ですが、これでは中国の康熙(かうき)と紛らわしくなります。
元号であれ、皇紀であれ、結局、西暦との併用になるわけで、併用すらも面倒だと思う人は皇紀など使わないでしょう。
戦後73年なので、終戦当時7歳だった人は80歳以上。
この世代は戦時中に皇紀で教育を受けたはずですが、この後期高齢者が皇紀を復活させなかったのはなぜでしょう。
ネットでは「皇紀を使おう」という意見が多いですが、皇紀で書かれた歴史教科書・参考書など書店で見当たりません。つまり皇紀派は何もしてないのです。何もできないのが実情でしょう。それは皇紀に必要性がないからでしょう。
2018/6/2713:33:17
.
kur********さん
>2018/6/2504:53:37
>元号を使っていると
>時代背景が鮮明になって理解しやすいです
>長くて50年程度
>その単位で時代が変わります
>元号から西暦への読み替えは
>ごく簡単
>昭和なら25
>平成なら88
大化から平成まで元号は247個もあります。
飛鳥時代から現代までを247通りの時代に分けて理解してる人は少ないでしょう。
元号から西暦への読み替えが「簡単」とおっしゃいますが、織田~豊臣~徳川時代初期の天正、文禄、慶長、元和、あるいは幕末の嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応と西暦の換算を一々覚えるのは大変です。
明治の前の元号が「慶応」であることくらいは基礎教養でしょうが。
今の日本だと、元号も皇紀も結局は西暦と併用ということになります。西暦に付随した暦で、独立性にか欠けるのが元号と皇紀の問題点です。
2018/6/2410:33:32
元号が云々されているが正直ややこしいし不便 天皇にまつわるならこの際皇紀に統一するのに賛成である キリスト歴にも慣れてしまっているが同じ伝説的に基づくのであるなら神武天皇の方がしっくりする気がする 今
だからこそ国会でも考えてもらいたいと思いますが如何でしょうか
補足
因みに今年はキリスト紀元(西暦)2018年 皇紀(日歴)2678年。
komasaram
皇紀は使う気になれませんね。
日本人が西暦になじみが無かった明治~大正~昭和の終戦までは別として、西暦が日本人の間で普及した今、皇紀も元号も西暦の知識を前提にしてるからです。
大化元年は西暦645年とか、元禄元年は西暦1688年とか、皇紀元年は西暦紀元前660年とか、西暦で説明するのが普通でしょう。
明治27年が光緒20年だということも、一旦「西暦1894年」にして調べないといけません。それが皇紀2554年というのも、西暦に660を足してわかることです。
皇紀は「西暦に660を足せばいいから簡単だ」と言われますが、これはつまり「西暦がわからないと皇紀がわからない」ことを意味します。
すると昔のことを元号で覚えていて西暦がわからない高齢者はどうするんでしょう?
昭和と皇紀の換算であれば、昭和15年が皇紀の「紀元2600年」なので、これが目安になります。では平成元年は皇紀で何年か、昭和元年は皇紀で何年か、大正元年は皇紀で何年か、明治元年は皇紀で何年か、慶応元年は皇紀で何年か、元治元年は皇紀で何年か、文久元年は皇紀で何年か、万延元年は皇紀で何年か、こういう問題が起きてきます。
ちなみに万延元年は皇紀2520年です。
過去の元号がそれぞれ何年前かは西暦に換算するのが確実ですが、すると247あった元号すべてと西暦の換算を覚える必要があり、それは大変で、しかも皇紀を使うとなると、過去の元号と皇紀の対応を覚える必要が出てきます。
すると、元号を西暦に直して660を足して皇紀にする必要が出てきます。
例えば中曽根康弘元首相は大正7年生まれで今年100歳だそうです。
多くの人はこれを西暦で計算するでしょう。
大正7年は西暦1918年、平成30年は西暦2018年、100年差です。
皇紀でどう計算します。
西暦2018年に660年を足して皇紀2678年にして、西暦1918年に660年を足して皇紀2578年にして、引き算して100年差を導くんでしょうか?
これなら西暦どうして、2018年から1918年を引いた方がましです。
元号だけで計算すると、大正7年から大正14年まで7年、それに昭和の63年と平成の30年を足せば100年です。
これが江戸時代になると元号が増えます。
例えば寛政12年から明治33年まで100年ですが、これは西暦で「西暦1800年から1900年まで」とすることでわかります。皇紀で計算するとしても西暦に660を足して、「皇紀2460年から皇紀2560年まで」にすべきでしょうか?
つまり元号を皇紀にするには西暦を経由する必要があります。
もちろん戦前、戦中の子供たちは西暦を知らず、元号と皇紀を暗記してたんでしょうが、今の小学生、中学生、高校生は過去の出来事を西暦で覚えているでしょう。
政府が皇紀を復活させる場合、歴史の教科書を皇紀で書くように改める必要がありますが、これは「尋常小學國史」の再現になります。例えば天正元年が皇紀2233年(室町幕府滅ぶ)、天正10年が2242年(本能寺の変)、文禄元年が皇紀2252年(第一次朝鮮出兵、文禄の役)、慶長元年が皇紀2256年(秀吉が明の使者を大阪城に招いた)という具合です。
これを今の日本人が覚えると、結局、年号を皇紀で覚えなおすことになります。この場合、元号だけで覚えている人は不利です。
例えば日露戦争を「明治37年」で覚えている人は、これを「皇紀2564年」にするのに苦労するでしょうが、「1904年」で覚えている人は何とか計算できるでしょう。
つまり歴史を元号で覚えている人より西暦で覚えている人の方が皇紀を使いやすいのです。
「寛政元年」を皇紀にするのは大変ですが、「1789年」を皇紀にすることは何とかできます。1789に660を足せば2449、寛政元年は皇紀2449年になります。フランス革命のバスチーユ監獄襲撃事件は「皇紀2449年」でいいんでしょうか?
「皇紀」は旧かなづかいで「くわうき」、今の日本語で「コーキ」ですが、これでは中国の康熙(かうき)と紛らわしくなります。
元号であれ、皇紀であれ、結局、西暦との併用になるわけで、併用すらも面倒だと思う人は皇紀など使わないでしょう。
戦後73年なので、終戦当時7歳だった人は80歳以上。
この世代は戦時中に皇紀で教育を受けたはずですが、この後期高齢者が皇紀を復活させなかったのはなぜでしょう。
ネットでは「皇紀を使おう」という意見が多いですが、皇紀で書かれた歴史教科書・参考書など書店で見当たりません。つまり皇紀派は何もしてないのです。何もできないのが実情でしょう。それは皇紀に必要性がないからでしょう。
2018/6/2713:33:17
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kur********さん
>2018/6/2504:53:37
>元号を使っていると
>時代背景が鮮明になって理解しやすいです
>長くて50年程度
>その単位で時代が変わります
>元号から西暦への読み替えは
>ごく簡単
>昭和なら25
>平成なら88
大化から平成まで元号は247個もあります。
飛鳥時代から現代までを247通りの時代に分けて理解してる人は少ないでしょう。
元号から西暦への読み替えが「簡単」とおっしゃいますが、織田~豊臣~徳川時代初期の天正、文禄、慶長、元和、あるいは幕末の嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応と西暦の換算を一々覚えるのは大変です。
明治の前の元号が「慶応」であることくらいは基礎教養でしょうが。
今の日本だと、元号も皇紀も結局は西暦と併用ということになります。西暦に付随した暦で、独立性にか欠けるのが元号と皇紀の問題点です。
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