江はお福にこう言い返すべきであった
Re: 江 考 2011/10/19 22:11 [ No.17984 / 17984 ]
投稿者 : goinkyo_sinsan_kinsan_mukodono
江姫が大人しくなった?
信長、秀吉存命の時代にエネルギーを使い果たしましたかね?
お福が「お方様(江)もわが夫のカタキ・秀吉様の養女だったのですね」と言ったら江も言い返せばよかったんですよ。
例えばこんな風に。
↓
「そなた(福)にそんなこと言われるなど心外じゃ。
私(江)にとって伯父の信長は父・浅井長政のカタキでもあったのを知っていよう。
姉上2人は伯父上を憎んでいたが、森蘭丸殿を含む伯父上の小姓3名の父上と兄上は父・浅井そして朝倉との戦いで死んでいたそうで、伯父上は『戦のたびに誰は誰のカタキなどと言っていたらきりがない』と言っておられた。
それから、お福の主が起こした本能寺の変で私は今の義父上(家康)と命からがら伊賀超えをする羽目になったの、知らぬであろう?伯父・信長の亡霊が馬上で私を導いてくれた。その後、私は明智光秀様や斎藤利三殿ともお会いして、明智様に『もし天下を獲ったら太平の世にしてください』とお頼みしたの、存じておるか?
明智様が秀吉様に敗れ、森の中で自害した際、明智様はこの私の名を呼んで、約束を果たせなかったことをすまぬと申されたと聞いておる。
明智様だけではない。細川玉子様の死も私にとっては悲しい出来事。玉子様は敵の娘である私とも親しく接してくれた。それにひきかえそなたの今の一言は何じゃ。
私は秀吉様の養女になっていたが、なりたくてなったわけでもないし、嫌で嫌で仕方がなかった。
私は秀吉様のせいで初めの夫と離縁させられ、2番目の夫・秀勝殿は秀吉様の起こした朝鮮出兵で、異国で帰らぬ人となった。
私は秀吉様の前では秀吉様とお呼びしていたが、陰ではサルと呼んでおったわ。また、私は秀吉様の最期の床に言って秀吉様に恨みのことばをぶつけたこともあった。
またこれもそなたの知らぬことであろうが淀の姉上も最初は秀吉様を殺したいほど憎んでいたのだ。それが、だんだん秀吉殿の不思議な魅力に引かれて側室になったようじゃ。私にはその秀吉様の魅力なるものが何か今でもよくわからぬ。私も最初、姉が秀吉様の側室になることを受け入れられなかった。
ところで、そなた、私より年下なのに随分大人びて見えるな。まるで淀の姉上より年上に見えるわ。お福殿も随分苦労を重ねたと見える。同じ乱世に翻弄された女として同情はしてやる(お福は江より年下だったのに、富田靖子の方が上野樹里より年上)。
ただ今のそなたの暴言は本来なら手打ちにされても仕方ないもの。義父上の命による乳母ということで、今度ばかりは命は助けてやるが、乳母など他にいくらでもいることを肝に銘じておくがいい」。
江姫は後の御台所ですから、乳母に対してこれくらい言わないと、あのドラマの意味がないですね。
田渕久美子さんは自分が書いた脚本を生かせていません。
これは メッセージ 17981 kumahinata さんに対する返信です
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Re: 江 考 訂正 2011/10/21 15:52 [ No.17994 / 17994 ]
投稿者 : goinkyo_sinsan_kinsan_mukodono2
森蘭丸殿を含む伯父上の小姓3名は父・浅井長政との戦いで死んでいたそうで
↓
森蘭丸殿を含む伯父上の小姓3名 の父上と兄上 は父・浅井そして朝倉との戦いで死んでいたそうで
この小姓3名の父は森可成、兄は森可隆と思われます。
なお、安土城で浅井三姉妹を案内した森坊丸、力丸とその兄・森蘭丸は本能寺の変で他界しております。それを江がお福に言うべきでしたね。
これは メッセージ 17992 kumahinata さんに対する返信です
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Re: 江 考 2011/10/19 22:11 [ No.17984 / 17984 ]
投稿者 : goinkyo_sinsan_kinsan_mukodono
江姫が大人しくなった?
信長、秀吉存命の時代にエネルギーを使い果たしましたかね?
お福が「お方様(江)もわが夫のカタキ・秀吉様の養女だったのですね」と言ったら江も言い返せばよかったんですよ。
例えばこんな風に。
↓
「そなた(福)にそんなこと言われるなど心外じゃ。
私(江)にとって伯父の信長は父・浅井長政のカタキでもあったのを知っていよう。
姉上2人は伯父上を憎んでいたが、森蘭丸殿を含む伯父上の小姓3名の父上と兄上は父・浅井そして朝倉との戦いで死んでいたそうで、伯父上は『戦のたびに誰は誰のカタキなどと言っていたらきりがない』と言っておられた。
それから、お福の主が起こした本能寺の変で私は今の義父上(家康)と命からがら伊賀超えをする羽目になったの、知らぬであろう?伯父・信長の亡霊が馬上で私を導いてくれた。その後、私は明智光秀様や斎藤利三殿ともお会いして、明智様に『もし天下を獲ったら太平の世にしてください』とお頼みしたの、存じておるか?
明智様が秀吉様に敗れ、森の中で自害した際、明智様はこの私の名を呼んで、約束を果たせなかったことをすまぬと申されたと聞いておる。
明智様だけではない。細川玉子様の死も私にとっては悲しい出来事。玉子様は敵の娘である私とも親しく接してくれた。それにひきかえそなたの今の一言は何じゃ。
私は秀吉様の養女になっていたが、なりたくてなったわけでもないし、嫌で嫌で仕方がなかった。
私は秀吉様のせいで初めの夫と離縁させられ、2番目の夫・秀勝殿は秀吉様の起こした朝鮮出兵で、異国で帰らぬ人となった。
私は秀吉様の前では秀吉様とお呼びしていたが、陰ではサルと呼んでおったわ。また、私は秀吉様の最期の床に言って秀吉様に恨みのことばをぶつけたこともあった。
またこれもそなたの知らぬことであろうが淀の姉上も最初は秀吉様を殺したいほど憎んでいたのだ。それが、だんだん秀吉殿の不思議な魅力に引かれて側室になったようじゃ。私にはその秀吉様の魅力なるものが何か今でもよくわからぬ。私も最初、姉が秀吉様の側室になることを受け入れられなかった。
ところで、そなた、私より年下なのに随分大人びて見えるな。まるで淀の姉上より年上に見えるわ。お福殿も随分苦労を重ねたと見える。同じ乱世に翻弄された女として同情はしてやる(お福は江より年下だったのに、富田靖子の方が上野樹里より年上)。
ただ今のそなたの暴言は本来なら手打ちにされても仕方ないもの。義父上の命による乳母ということで、今度ばかりは命は助けてやるが、乳母など他にいくらでもいることを肝に銘じておくがいい」。
江姫は後の御台所ですから、乳母に対してこれくらい言わないと、あのドラマの意味がないですね。
田渕久美子さんは自分が書いた脚本を生かせていません。
これは メッセージ 17981 kumahinata さんに対する返信です
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Re: 江 考 訂正 2011/10/21 15:52 [ No.17994 / 17994 ]
投稿者 : goinkyo_sinsan_kinsan_mukodono2
森蘭丸殿を含む伯父上の小姓3名は父・浅井長政との戦いで死んでいたそうで
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森蘭丸殿を含む伯父上の小姓3名 の父上と兄上 は父・浅井そして朝倉との戦いで死んでいたそうで
この小姓3名の父は森可成、兄は森可隆と思われます。
なお、安土城で浅井三姉妹を案内した森坊丸、力丸とその兄・森蘭丸は本能寺の変で他界しております。それを江がお福に言うべきでしたね。
これは メッセージ 17992 kumahinata さんに対する返信です
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