gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

>水戸黄門がワンパターンになったのはいつごろからでしょうか?

2011-11-11 16:30:00 | ドラマ、時代劇、歴史
最近、東野さんの水戸黄門(第5部)を見ましたが、毎回いろいろな趣向を凝らして、全然ワンパターンではありませんでした。
水戸黄門がワンパターンになったのはいつごろからでしょうか?

yonerindrumさん)

komasaram

シリーズ開始は1969年。
印籠が定番化したのは始まって2年後か3年後なので1971年か72年。第3部以降でしょう。
ただ第5部までは脚本も色々多様性があったようですね。

ただストーリー全体が一定の枠にはまったのは1983年の第14部以降の西村晃の時からでしょう。

西村晃の時代になって東野英治郎時代にやった脚本を繰り返しており、水戸黄門漫遊記の劇中劇、上方で公家と対決など繰り返されていました。

1986年の第16部で由美かおるが、かげろうお銀としてレギュラー入りし、翌年の第17部で野村将希が飛猿として登場。
忍者役でせんだみつおやミー(ピンクレディー)も登場し、当時はマンネリだけでなく忍者集団との対決などでスタッフも趣向を凝らしていました。
ただ、お銀が水戸老公の仲間になると、例のお風呂が定番化し、それからはお風呂シーン→前後してお銀が芸者になって悪い侍を誘惑する→飛猿の薬がなかなか効かない→お銀が城に忍び込んで殿様や重役に光圀直筆の書状を渡す→殺陣&印籠のシーンでお城の殿様や重役が駆け付けるなど、佐野浅夫のシリーズまで筋が固定化されました。

この固定化は逸見稔(へんみみのる)氏によるもので、1993年に佐野浅夫が3代目水戸黄門となり、2年後の1995年に「水戸黄門外伝 かげろう忍法帖」の放送年に逸見氏が他界した後は、ナショナル劇場全体でマンネリのタガが外れていったようです。

水戸黄門は民百姓も武士も平等というメッセージを脚本に込めながら、結局、印籠シーンという権威と身分制度で悪を懲らしめているところは、完全に矛盾しています。世間ではその印籠による権威主義が番組の柱とされ、それが水戸黄門というシリーズ全体への批判にもつながっているわけで、40年間、矛盾だらけのシリーズだったと言えますね。

スタッフや出演者が水戸黄門にどんなメッセージを込めようと、それが水戸黄門という番組である限り、メッセージには限界があるということです。
「水戸黄門はマンネリの勧善懲悪でないといけない」と思っている人は水戸黄門をねじ曲げてしまったわけで、マンネリがいいなら西村晃の時代に打ち切って再放送だけにしていればよかったわけです。

佐野黄門以降の15年はほとんど方向性を見失った惰性で続いていたとも言えますね。

お銀の入浴シーンはシリーズが始まって17年以上たって出てきたものです。
10年前から由美かおるが演じているのはお娟であること、知らない人もまだいるようですね。

回答日時:2011/11/4 04:03:41
編集日時:2011/11/4 04:14:42

最新の画像もっと見る

コメントを投稿