「新巨人の星」の'78~'79年 2011/11/10 2:56 [ No.3783 / 3784 ]
「巨人の星」のネタは別のトピックに書き込むようにしていたが、アンチ巨人の人から巨人ネタの書き込みがあったので、ここでも久々に「巨人の星」の話。
まず与那嶺要。
水原茂監督のもとで中日のヘッドコーチだったが、「侍ジャイアンツ」と「新巨人の星」で中日の監督になった。当然、大砲万作の上司。
「新巨人の星」で与那嶺監督は高木守道(だったと思う)を起用し、星飛雄馬のスクリュースピン・スライディングにも対抗した。星野仙一も当時は現役投手。
1978年、与那嶺が中日の監督から古巣・巨人に戻ってコーチになった。
原作「新巨人の星」終盤の「新魔球の章」では、その1978年正月、星飛雄馬が伴宙太、星一徹とハワイで大リーグボール右1号開発のための自主トレをしていた時、現地の人が星飛雄馬を江川卓と勘違いしていた。伴宙太が言ったように、前年、77年に江川はクラウンライター・ライオンズの指名を断って渡米していたらしい。
劇中、与那嶺はその様子を日本で長嶋茂雄に報告していた。
一方、左門豊作は相変わらず大洋ホエールズの選手だったが1978年から球団が横浜大洋ホエールズになって、胸のマークもTAIYOからYOKOHAMAに。
ホーム球場も川崎球場から横浜球場に移った。
ここで左門と星飛雄馬が高校時代に出会った場所も横浜だったところを考えると奇遇だが、「新巨人の星」の原作最終回も横浜が舞台。
また1978年というと「ドカベン」の原作とアニメが絶好調の時代。
土井垣明訓の時代で、山田太郎の高2春のセンバツが描かれていた。
1978年前後の「ドカベン」というとおそらく江川学院の中二美夫投手が山田を5打席連続した時期。
今思うと江川事件とほぼ同時期だったのが何とも皮肉。
アニメの「新巨人の星」は1978年まで続いて「宇宙戦艦ヤマト2」を挟んで1979年に「新巨人の星II」が始まっていた。
「新巨人の星II」は1977年春の花形のヤクルト入団直後から始まったが、放送年が2年後の1979年であったこともあり、内容は原作から大きく離れ、時代設定もいつかわからなくなっている。
原作では1978年にヤクルトが優勝したので、原作「新巨人の星」では蜃気楼の魔球が左門に打たれて、シーズン途中で終わり。
1979年のセリーグは1975年に続いて広島赤ヘル軍団が優勝。
したがって第一次長嶋ジャイアンツ(1975~80)は1976年と77年にリーグ優勝したものの日本一は逃していたはず。
1980年に巨人はAクラスを何とか維持したものの長嶋は辞任。王も引退し、その年のドラフトで藤田元司が原辰徳を獲得した。
日テレ・よみうりテレビ系列のアニメ「新巨人の星II」では最終回でその歴史を「1979年(推定)巨人日本一」という風に改竄してしまった。
それでアニメで飛雄馬とバッテリーを組んでいた丸目が江川の専属キャッチャーになって、多摩川グラウンド(推定)で江川が星に挨拶する場面があった。そして飛雄馬が大リーグ移籍を決意し(なぜか船で)アメリカに向かうシーンで終わった。
原作の続編「巨人のサムライ炎」でも江川が登場したらしい。
これは メッセージ 3782 antinabetunekyojin さんに対する返信です
「新巨人の星」の'78~'79年 続き 2011/11/10 3:09 [ No.3784 / 3784 ]
なお、小林繁の巨→虎の移籍と前後して田淵幸一も虎から獅子の球団に放出され、その辺りは「がんばれ!!タブチくん!!」で描かれている。
1977年9月3日以降、ヤクルトの鈴木康二朗投手が「王に756号を打たれた鈴木」と言われ続けたエピソードも「タブチくん」にあった。
大洋の川崎から横浜への移籍とキャンディーズ解散がこれまた同時期というのも奇遇。
今年はあの時代を思い出させるニュースが続いた。
江川事件は確かに巨人の横暴で、江川も阪神で最低1年は投げた後で小林繁と交代すべきだった。小林繁は星飛雄馬が右投手として復帰した当時の巨人の投手。
あるいは少なくともクラウンライター時代のライオンズから指名された段階でそこで江川はキャリアを積めばよかった。江川事件の直後にレオ軍団は九州から埼玉に移って西武ライオンズになったのだから地理的に問題なかっただろう。
江川事件の当時の正力オーナーも今はいない。
どうせ巨人は他球団の選手を引きぬくのが得意なわけだから江川も後の清原のように他球団から巨人に入ればよかった。桑田真澄の入団と入れ替わりに江川が引退したのも象徴的だったか。
それにしても星飛雄馬の投手生活の短いこと。作品にも登場した同時代の堀内や新浦は1980年以降もプロ球界でがんばっていたのに。
もっと悲惨なのは漫画のリメイク版「新約巨人の星花形」。
全192話のうち、終盤近くの第190話でやっと甲子園の血染めの決勝戦。
残りの第191話と第192話の2週がプロ野球編で、花形が大リーグボール1号を予告ホームランして終わり。原監督も真弓監督も出てこない。横浜ベイスターズの左門に至っては試合の場面は回想で数コマだけ。
リメイクの意味がいまだによくわからない。
始まった当時はてっきり21世紀の阪神タイガース中心の野球漫画になるかと期待していたんだが。星と死闘を繰り広げた田淵は、掛布はどうした?
川崎のぼるも、もっと早くからプロ編にするよう、村上よしゆき(この漫画家の名前はなかなか覚えられない)に助言すべきだったのでは?
「巨人の星」のネタは別のトピックに書き込むようにしていたが、アンチ巨人の人から巨人ネタの書き込みがあったので、久々に野球漫画・アニメのネタを書いた。
これは メッセージ 3783 starr_pegasus_of_the_giants さんに対する返信です
トップ > エンターテインメント > コミックとアニメーション > アニメ > 全般 > なつかしのアニメ、語りませんか!
「新巨人の星・非情のバント作戦(1)」 2007/ 4/26 20:04 [ No.1557 / 2233 ]
東M新『巨』/「非情のバント作戦」1~2 投稿日:2008年10月 5日(日)22時35分28秒
「巨人の星」のネタは別のトピックに書き込むようにしていたが、アンチ巨人の人から巨人ネタの書き込みがあったので、ここでも久々に「巨人の星」の話。
まず与那嶺要。
水原茂監督のもとで中日のヘッドコーチだったが、「侍ジャイアンツ」と「新巨人の星」で中日の監督になった。当然、大砲万作の上司。
「新巨人の星」で与那嶺監督は高木守道(だったと思う)を起用し、星飛雄馬のスクリュースピン・スライディングにも対抗した。星野仙一も当時は現役投手。
1978年、与那嶺が中日の監督から古巣・巨人に戻ってコーチになった。
原作「新巨人の星」終盤の「新魔球の章」では、その1978年正月、星飛雄馬が伴宙太、星一徹とハワイで大リーグボール右1号開発のための自主トレをしていた時、現地の人が星飛雄馬を江川卓と勘違いしていた。伴宙太が言ったように、前年、77年に江川はクラウンライター・ライオンズの指名を断って渡米していたらしい。
劇中、与那嶺はその様子を日本で長嶋茂雄に報告していた。
一方、左門豊作は相変わらず大洋ホエールズの選手だったが1978年から球団が横浜大洋ホエールズになって、胸のマークもTAIYOからYOKOHAMAに。
ホーム球場も川崎球場から横浜球場に移った。
ここで左門と星飛雄馬が高校時代に出会った場所も横浜だったところを考えると奇遇だが、「新巨人の星」の原作最終回も横浜が舞台。
また1978年というと「ドカベン」の原作とアニメが絶好調の時代。
土井垣明訓の時代で、山田太郎の高2春のセンバツが描かれていた。
1978年前後の「ドカベン」というとおそらく江川学院の中二美夫投手が山田を5打席連続した時期。
今思うと江川事件とほぼ同時期だったのが何とも皮肉。
アニメの「新巨人の星」は1978年まで続いて「宇宙戦艦ヤマト2」を挟んで1979年に「新巨人の星II」が始まっていた。
「新巨人の星II」は1977年春の花形のヤクルト入団直後から始まったが、放送年が2年後の1979年であったこともあり、内容は原作から大きく離れ、時代設定もいつかわからなくなっている。
原作では1978年にヤクルトが優勝したので、原作「新巨人の星」では蜃気楼の魔球が左門に打たれて、シーズン途中で終わり。
1979年のセリーグは1975年に続いて広島赤ヘル軍団が優勝。
したがって第一次長嶋ジャイアンツ(1975~80)は1976年と77年にリーグ優勝したものの日本一は逃していたはず。
1980年に巨人はAクラスを何とか維持したものの長嶋は辞任。王も引退し、その年のドラフトで藤田元司が原辰徳を獲得した。
日テレ・よみうりテレビ系列のアニメ「新巨人の星II」では最終回でその歴史を「1979年(推定)巨人日本一」という風に改竄してしまった。
それでアニメで飛雄馬とバッテリーを組んでいた丸目が江川の専属キャッチャーになって、多摩川グラウンド(推定)で江川が星に挨拶する場面があった。そして飛雄馬が大リーグ移籍を決意し(なぜか船で)アメリカに向かうシーンで終わった。
原作の続編「巨人のサムライ炎」でも江川が登場したらしい。
これは メッセージ 3782 antinabetunekyojin さんに対する返信です
「新巨人の星」の'78~'79年 続き 2011/11/10 3:09 [ No.3784 / 3784 ]
なお、小林繁の巨→虎の移籍と前後して田淵幸一も虎から獅子の球団に放出され、その辺りは「がんばれ!!タブチくん!!」で描かれている。
1977年9月3日以降、ヤクルトの鈴木康二朗投手が「王に756号を打たれた鈴木」と言われ続けたエピソードも「タブチくん」にあった。
大洋の川崎から横浜への移籍とキャンディーズ解散がこれまた同時期というのも奇遇。
今年はあの時代を思い出させるニュースが続いた。
江川事件は確かに巨人の横暴で、江川も阪神で最低1年は投げた後で小林繁と交代すべきだった。小林繁は星飛雄馬が右投手として復帰した当時の巨人の投手。
あるいは少なくともクラウンライター時代のライオンズから指名された段階でそこで江川はキャリアを積めばよかった。江川事件の直後にレオ軍団は九州から埼玉に移って西武ライオンズになったのだから地理的に問題なかっただろう。
江川事件の当時の正力オーナーも今はいない。
どうせ巨人は他球団の選手を引きぬくのが得意なわけだから江川も後の清原のように他球団から巨人に入ればよかった。桑田真澄の入団と入れ替わりに江川が引退したのも象徴的だったか。
それにしても星飛雄馬の投手生活の短いこと。作品にも登場した同時代の堀内や新浦は1980年以降もプロ球界でがんばっていたのに。
もっと悲惨なのは漫画のリメイク版「新約巨人の星花形」。
全192話のうち、終盤近くの第190話でやっと甲子園の血染めの決勝戦。
残りの第191話と第192話の2週がプロ野球編で、花形が大リーグボール1号を予告ホームランして終わり。原監督も真弓監督も出てこない。横浜ベイスターズの左門に至っては試合の場面は回想で数コマだけ。
リメイクの意味がいまだによくわからない。
始まった当時はてっきり21世紀の阪神タイガース中心の野球漫画になるかと期待していたんだが。星と死闘を繰り広げた田淵は、掛布はどうした?
川崎のぼるも、もっと早くからプロ編にするよう、村上よしゆき(この漫画家の名前はなかなか覚えられない)に助言すべきだったのでは?
「巨人の星」のネタは別のトピックに書き込むようにしていたが、アンチ巨人の人から巨人ネタの書き込みがあったので、久々に野球漫画・アニメのネタを書いた。
これは メッセージ 3783 starr_pegasus_of_the_giants さんに対する返信です
トップ > エンターテインメント > コミックとアニメーション > アニメ > 全般 > なつかしのアニメ、語りませんか!
「新巨人の星・非情のバント作戦(1)」 2007/ 4/26 20:04 [ No.1557 / 2233 ]
東M新『巨』/「非情のバント作戦」1~2 投稿日:2008年10月 5日(日)22時35分28秒
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます