[画像]大臣就任会見にのぞむ中野寛成さん。2011年1月14日、首相官邸、政府インターネットテレビからキャプチャ。
内閣改造で、16人決まって、最後の1大臣および衆院側の官房副長官が決まらず、「菅さん(越後屋)も相変わらず悪よのう」と思っていたら、その答えは、2つ前のエントリーでリストの一番上に名前があったナント大阪8区(豊中)の中野寛成(なかの・かんせい)さんが当選11回・勤続30年4か月での初入閣となりました。もちろん衆議院副議長経験者であり、党首(新党友愛代表)、民主党の初代代表代行、幹事長をやっていますが、政務次官なども含めて行政府入りは初めて。担当は、国家公安委員会委員長、公務員制度改革担当大臣、拉致問題担当大臣の3つです。
こうやって人が動く、心が動く、人生が動くときには、顔を出す。オカネはないから、大臣就任祝いのお花は買えないので、その場に居合わせるという風にしており、昨日朝も午前8時50分過ぎからの速報で驚いて、消防士のようにスーツと勝負ネクタイをして、衆議院議員会館にかけつけました。
年末のエントリーででいったん政府外に去った馬淵澄夫・前国土交通大臣を育てた、故吉田之久元議員が、新党友愛結成時に寛成さんに「お前は初めて党首になるんだから、ダジャレはやめろ」と叱ったというエピソードを書き、「その後公の場でダジャレを聞いた事がない」と書いておりましたが、民主党幹事長就任時に、「中野未完成です」というダジャレをいったという新聞記事を読みました。吉田先生は「(民社党幹事長、新進党国対委員長・政調会長を経て)党首になるんだから」ということで、幹事長ならいいのかもしれませんが、入閣前にも集まった記者陣を前に2つダジャレを披露していました。
一つは、おなじ民社協会の柳田稔元法相の件がありましたので、自民党政権時代で一部の県庁がやっていた“県庁主催の大臣就任記念パーティー”で、「センセイ、大阪だと、府庁は大臣就任記念パーティーをやるんですか?」と聞いたら、やはり「府庁が大臣就任記念パーティーというのは、聞いたことがないなあ」とのこと。そして、寛成さんは「大阪ではねえ、大臣になったと言うと、『おだいじに』と言われるんだよ」。他の記者さんは笑ったのですが、私はやはり大阪では、中央(東京)で大臣をやると、『お大事に』と大変ですねえ、と同情&冷やかしをされるのかと思ったら、ハット気づき、「あっそれダジャレですか(お大臣に)?」と言うと、「なんだい、今気付いたのかい?」。午後0時半、組閣本部が立ち上がると、TV局の女性記者さんが「モーニングは用意されているんですよね?」。寛成さんは「ああ、この部屋の中に(しまって)あるよ」。「よろしかったら、見せて(ビデオで写させて)もらえませんか?」と唯一の初入閣者へのお願い。しかし、そこは党首・幹事長・副議長経験者だけに、やんわり拒否して、「だってもうモーニングじゃないよ(午後0時半だから)」。こちらはダジャレというかウィットに富んだジョーク。つねに民主党政権の浮揚策を考えている私は、「大臣会見は週2回あるからダジャレも披露できますよね」と話を向けると、「それはちょっと(内定している)国家公安委員長の立場上ムリだよね」とダジャレ封印宣言をされてしまいました。私はダジャレ大臣に世間の関心が向いている間に、税と社会保障の一体改革で突破するという策を考えていたんですが、ダジャレ封印を宣言。そして、寛成さん「そうだ、今日中に辞表を書いておかないといけないね。日付だけ空白にしてね」と国家公安委員長としての心構えを示しました。実際のこの後、官邸での就任記者会見では、警察庁のトップとして、「警察は国民の人権、生命、財産を守るための実力行使の機関」だとの認識を示した上で、「実力の行使は諸刃の刃(もろはのやいば)となりかねない」として国務大臣としての心構えを強調。そして、「間違いはひとときも許されない」としてその職責にあたるうえでの覚悟を表明しました。
やはり、節目というのは面白いもので、総理秘書官からの電話を待っていたら、いろいろな人から電話がかかってきて、6年前に退職した私と同い年の元女性公設秘書のMさんいますか、という電話がかかってきていたようで、政治家と、その事務所は人生の交差点だなと感じました。
枝野幸男・官房長官が「中野寛成」と読み上げるTV画面にもまったく表情を変えず。総理秘書官からの電話にも、「そこでいったん議員会館に戻るんだね」とスケジュールをしっかり確認。「さあ、行きます」。
【追記 2011-1-20】
16日放送の日テレの「真相報道バンキシャ」が放送してくれました。
[画像]官邸から入閣要請の電話をまつ取材陣(向かって右後ろが筆者)。
【追記おわり】
寛成さんは昨年、民主党が与党として初めて立ち上げた「党税調」もとい党税制改革プロジェクトチーム座長として、特定業界の免税措置の継続などの要望を絶叫する政府外議員をうまくなだめて、時間がたって疲れた時間帯に採決を取るなどの老獪さで、党としての税制改正大綱(党から政府への要望書)を作り上げました。これは、「消費税以外の課題は全部出来た」という論評があり、「控除から手当へ」の基本理念もしっかり筋道が通っていて、私も消費税と租税特別措置の一部(ただし時間が必要)をのぞけば、ほぼ満点だと思います。2人3脚で歩んだ、チーム事務局長の古本伸一郎さんの評価が大きく上がりましたが、エレベーターホールで、偶然にもその古本さんと一緒になりました。古本さんは「おめでとうございます」「税制改正プロジェクトチームはこれで解散ですね」「素晴らしい経験でした」と矢継ぎ早に数十秒の解散式。そして、寛成さんは、官邸に向かうために下へ。寛成さんが古本さんへ「あれ、どっち行くの?」と聞くと、「上です」とのこと。さわやかにさっそうと偶然行われた解散式。国会議員というのは、やはり選挙で有権者にそれまでのキャリアもしっかりと吟味されて選ばれているのがよく分かる光景でした。やはり運や偶然とは、実は必然なのだなと感じさせるシーンでした。古本さんは営業が強くて有名な自動車会社の社員出身です。
議員会館前までお見送り。ここから官邸へは衆議院事務局が各会派に貸し出している予約制の院車で、官邸を出るときには、官庁のクルマになります。大臣になると、しばらく会えませんから、「どうぞお気を付けて」。振り向いた新大臣、「何を気を付けるの?」。私、「いろいろですよ!」
そして、カバンを取りに中野事務所に戻ると、3職兼務ということで、各官庁、各階級の国家公務員がすでに50人ぐらい詰めかけており、「気を付けて」と声をかけてよかったな、と思いました。
[写真]左から、民主党幹事長時代(2002年、民主党ホームページ)、衆議院副議長時代、落選中の朝立ち(2008年2月、大阪・豊中、宮崎信行撮影)、政権交代の夏(2009年7月、同所、宮崎信行撮影)
カンセイさんはついていないことが多くて、長崎県出身で、被爆しています。衆議院を代表して、2005年8月6日の広島平和記念式典は河野洋平議長、8月9日の長崎平和記念式典は中野副議長が出席するという分担を決めたところ、8月8日に解散されてしまい、行けなかったこともあります。お父さんが事業に失敗。再起をかけて大阪に出るも、お父さんは酒を友とし、ついに再起成らず。豊中市議会議員を経て、第33回衆院選で落選。このときは、現行憲法下でただ1回、三木武夫首相が野党などに追い込まれ、解散できずに任期満了で第34回総選挙を施行したので、まるまる4年間浪人しました。政務三役経験がないのは、細川・羽田内閣で、民社党政調会長として、連立与党政策責任者チームを預かったからです。
中野寛成70歳。「警察は国民の生命(いのち)、人権、財産を守るための実力行使の機関」と決まり文句にさらっと1単語加えた老獪さ。勤続30年目からのビギン、新人閣僚の最後のご奉公が始まります。
[画像]菅再改造内閣発足のようす、首相官邸ホームページから
「精いっぱい務めたい」 : 大阪 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
「治安対策は国の一番大きな役割。精いっぱい務めたい」。14日発足した菅再改造内閣で、国家公安委員長として初入閣を果たした中野寛成さん(70)(衆院大阪8区選出)は、首相官邸での記者会見でこう抱負を述べた。
新内閣は留任や横滑りした大臣が多く、初入閣は中野さんのみ。「予想しておりませんでした」と、率直に“サプライズ人事”への感想を言葉にした。
ただ、衆院副議長や政治倫理審査会長などを歴任し、当選11回目のベテランだけに、会見でも終始落ち着いた表情。「(菅首相が)今日までの自分の経験を評価して指名してくれたのなら、真剣に応えないといけない」と決意を新たにしていた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます