さちよ

さちよ

  年配の方のお話

2011年04月27日 | Weblog
  
  お庭の牡丹が満開になりました!すごく迫力があります。
  
  今日、いまイシヤマで耐震工事をさせていただいているお宅の
  ご主人様に、過去に起きた地震のお話を伺いました。
  ご自身が体験されたのは、昭和19年の「昭和東南海地震」。
  この地域では震度6弱くらいだったと言われています。
  瓦屋根の家と、基礎の無い束石だけの古い家はほとんど倒壊した
  ようで、トタン屋根で新しい家は倒壊しなかったそうです。
  その頃の津波の記憶はないそうです。被害がなかったということ
  でしょうか。そしてご主人様のおじい様が体験されたのが
  「安政東海地震」。この地域は震度7くらいと言われています。
  その頃の海の堤防は今より低かったため、津波は堤防を乗り越えて
  海沿いの集落まできたそうですが、それで建物が流されたりということは
  なく、畑に海水が溜まって、しばらく抜けなかったそうです。
  そこに投網を打って、魚を捕まえたというお話も。

  気象庁では、東海地震のときの津波をこんな風に想定しています。
  
  イシヤマのあるあたりは、緑の2~3m。
  静岡県地震防災センターでは、推定津波浸水域を
  
  少し見にくいですが、こんな風に想定。これは福田の太田川河口付近。
  黄色が0~0.5m、赤が2m以上で、ほとんど砂浜や河川敷が
  浸水域となっており、水色の部分は水門がなかった場合の浸水域です。
  ちなみに、ご主人様のおじい様が体験された「安政東海地震」の際の
  推定浸水域が、こちら。
  
  左手は天竜川で、右手が太田川。
  イシヤマはまるっきり浸水しています。ただ浸水深さがわからない
  のが残念。
  

  かわいいお客様

2011年04月25日 | Weblog
  小学4年生くらいでしょうか。男の子がふたり
  イシヤマの事務所をじっと見つめて、どこかに行って
  しまいました。今日は強風だったので、風で事務所の屋根か
  何かはずれてしまったのかと思って、外へ出てみるも、何も
  変化なし。さっきの男の子はなんだったんだろう。
  と、思っていると、近所のおじさんが二人を連れてイシヤマへ
  来てくれました。ふたりが持っていたのは、これ。
  
  これは、きれいに畳まれた「こいのぼり」。
  ふたりの男の子は「こいのぼりが落ちてたから。」とイシヤマまで
  届けてくれたのです。なんてやさしいこと!!
  実はいま、イシヤマの近くの川では
  
  こんな風に悠々とこいのぼりが泳いでいます。
  昨日「さんまる会」という地域の有志の方々が揚げてくれたもの。
  イシヤマはこのこいのぼりの連絡先になっているんですね。
  そして川岸には
  
  今までより、一層力強いのぼりが。
  今日の男の子たち、強くやさしい大人になってくれるんじゃないかな。

  このこいのぼりが揚がっている場所では、「こいのぼり大会」が
  行われます。

    日時 5月5日(祝・木)11時から3時頃まで
    場所 ぼうそう川 はまぼう橋 西側の河原
    内容 河原のごみをひろった子に、お菓子セットをプレゼント
       やきそば、フライドポテト、かき氷コーナーあり
       ビンゴゲーム、くじ引きゲームもあり!
    主催 30(さんまる)会
    連絡先 30会さん他、イシヤマ 0538-58-0710

  毎年恒例ですね。いつもたくさんのこどもたちでにぎわっています。

  今日は暖かな日

2011年04月22日 | Weblog
  このところずっと地震の記事ばかりだったので今日はちょっとひとやすみ。
  (地震の記事を期待されていた方ごめんなさい。)
  今朝「うちの牡丹が咲いたよ」と母に言われ、庭へ行ってみると
  
  第一号が、咲きはじめていました!見てみれば、どのつぼみもまんまるに
  膨らんで、今にもはじけそうです。気づかなかった~。

  そして、イシヤマ展示場の庭で優雅に枝を広げていた「しだれもみじ」。
     
  残念なことに昨年秋頃から虫が入ってしまい、復活がかないませんでした。
  そこへ庭やさんが今日、「しだれ梅」を持ってきてくれました。
  
  幹がくねくねっとして非常に趣のある梅で、すこしずつ回転させながら、
  かつ幹もすこしずつ傾斜させながら、庭やさんが姿を吟味。
  また少し、お庭のイメージが変わって楽しみです。
  新しい命の息吹が、庭中にさわやかな風を運んでくれた感じ。
  どうか虫さんに負けず、いつまでも元気に育ってください!!

  今日は、庭やさんにも「イチイの新芽がきれいに出ましたね!」と言われ
  「そう?」と答えてしまった。今朝の牡丹もしかり、最近の私はお庭を
  見ていなかった(見えなかった)ということに気づかされることとなりました。
  はぁ~、気持ちに余裕がない。駄目だ~。
  ちょっと立ち止まって、まわりを見渡さなくちゃ。
  植物の力は偉大。私のまだ経験少ない人生の中で、一番落ち込んだとき、
  それまであまり興味がなかった植物の手入れをしたくなって、もくもくと
  植物と向き合っていた時期があったのですが、時間が経つにつれ、
  こわばった気持ちがするすると解けていき、本来の自分を取り戻すことが
  できました。少し疲れ気味の今、また緑の力をいただくときかな。
  
  

  明応地震と宝永地震の記憶が残る神社

2011年04月13日 | Weblog
  
  東北にも桜が咲いたそう。多くの方へ、桜のエネルギーが届きますように。

  先日の日曜日、仕事を済ませて「細江神社」というところへ行ってきました。
  
  ここは、浜名湖の奥、気賀という場所にある“地震厄除け”神社。
  めずらしですよね、“地震厄除け”とは。
  これにはちゃんと歴史の裏付けがあるんですよ。
  
  境内にあった絵。浜名湖が描かれており、下の方で指差している所が、
  浜名湖の入り口で、「角避比古(つのさくひこ)神社」。
  このご神体が、前回お話した“明応地震(1498年)”の時に発生した津波により
  浜名湖の奥の方へ流されてしまい(絵で言うと上の方)、最終的にこの地域に漂着
  しました。「角避比古神社」も流されてしまったため、ご神体を
  この「細江神社」に祭るようになったといういわれがあります。
  
  そして、右手奥のお社は「藺草(いぐさ)神社」。こちらにも興味深い話があるんです。
  明応地震から209年後の1707年、「宝永地震」というこれまた大きな地震
  (M8.4~8.7)があったとき、高潮(津波かどうかは不明)が浜名湖周辺に押し寄せ
  たため、田んぼに塩が入ってしまい、稲が作れなくなってしまいました。
  その時の領主が、大分の領主へ相談したところ、琉球藺(りゅうきゅうい)という
  のが塩に強くていいと教えられ、それから浜名湖周辺では琉球藺が盛んに栽培
  されるようになったそうです。藺草(いぐさ)とは、畳表の材料のこと。
  「藺草神社」は、その時の領主の功績を称えて建立されたのだそうです。

  過去の地震の痕跡は、意外と身近なところにあったりして。

  つづく