二胡を作ることに出会えたというのは、私自身としては、何かの必然だったのかもしれません。
物を作りだす家系の中で、物を作るという事の基本である素材を知ろうとしてその生態や環境だけにとどまらず、遂にはものの成り立ちという、量子論の世界にまで飛び込み、
原子の世界を越えて、素粒子、クウォーク、そして、時空間の歪みが、3本の振動する弦を作りだす、原初の世界にまで、興味が行きつき、気がつけば、生活という不条理の世界にしばれれながらも、振動する弦の響きに日々の生活の中、しばし感覚の、精神の高みに登れる音の世界で夢見、かすかながらも生きる事の幸せを感じる時を過ごしつつ、
いつの日にか、音楽そのもの、振動を作りだし音を頭の中に響き渡らせる弦楽器を、
自分自身の幼いころに出会った記憶の、春の光の中,玄関の片隅で、二本の弦を光らせていた物の記憶が、あれこそが二胡であったのだという、はっきりした形に目の前に浮かんだ時、これ弾いてみようと思ったのが、揺れる音の二胡との出会いであったのかもしれません。
多分2000年ぐらい前なのでしょう、アラブの地にレバブという、樹と皮で出来上がった、馬の弓で弾く弦楽器が作りだされ、人の世の、国という形を越えて、西や東に伝わり、いつの日にか中国の大地の隅々に、生活の中の楽しみとして、弦を響かせたのでしょう。
西に渡ったレバブが、突き詰めて技術としての完成度を追いバイオリンとなったのは、ちょうどそのころに、始まった物理を極めようという時代であったからかなのでしょう。
東に行きついたレバブは、馬頭琴となり、キジャックとなり、遂には、蛇の皮に出会って、二胡になったのです。
自然の有り様そのままに受け入れる地に定着した二胡は、締め上げて弦の切れる寸前の音の純粋さを求めた西のバイオリンとは違い、揺れる音そのままにのびのびと育ってきました。
その音が今や、この極東にまでたどり着き、
日々生活という肉体の維持に縛られ、科学の最先端2進法のデータが全てというような、それこそ肉体の維持が命の証という動物としての生活の中に、真には理解できない、あり得ないとしても扱わなければいけない電子の世界に、管理しきれない、分析しきれない、おのれの肉体との齟齬を感じつつも何処かに受け入れたくないと思う人々に、その揺れる音に、出会わせたのです。
異国の楽器として承知はしていても、どこかこの極東の日本にこそ、必要とされて、
今、二胡は人々の中に広まってきています。
虫の声を、和語で言う かなしい と聴ける民族だからこそ、その揺れる音は、この身体の中に様々な電波振動が飛び交う生活の中に、ほんとの意味で理解することのできる弦の揺れる音と、感じられるのかもしれません。
ペルシャにアラブに、或いはインドに生まれたといわれ、中国の中に広がり、遂には海を越えてこの日本にたどりついた、二胡は、癒す音としてそれまで通過していた国々の人とは違う感性で受け入れられているのでしょう。
明らかに、中国と日本では二胡の音の感じ方が違うようです。
揺れる音こそ二胡の役割とすれば、揺れるがゆえに持たなければいけない、西の国々の人たちが聞けば、歪みとして感じられる振動をも含むのです。
二胡として形になって、60年余、
南の地方の形に作った蘇州型の、ふくらみのある音が、例えてみれば胎蔵界の音であるとすれば、より純粋に楽器としてのボリュームと純粋な音を突き詰めたのが、北京型の、金剛界の音とも言えるかもしれません。
一つはより肉体の中に響き、一つはより音楽としての純粋さを求めてきたのでしょう。
しかし、この日本に来り、両者を一つの物に作り上げるべきと、私の感性が手が動きます。
蘇州系と北京系どちらも二胡の形態には違いありません、揺れるという音には違いが無いのです。
敢えて、それらの合一が、もし自分の手でなされるなら、物つくりとして、二胡作りとして、それこそ天命ではないかと感じられる日々を過ごせた、この4年間でした。
中国での蘇州だ、北京だという対立を敢えてこの日本で引き受ける意味合いは無く、純粋に揺れる音を作りだす意味合いだけが、大切なのではないでしょうか。
アラブからペルシャに ペルシャからシルクロードへ そしてさらにはベトナムにまで至る間、その揺れる音の弦楽器は、その時代時代と、持てる力とそしてこれこそ望ましいという想い、そしてそれぞれの日々使う言語に、歌う言葉に響き合う形になってきたのではないでしょうか。
細かく言えば馬頭琴と二胡は違うとも言う方々は多いでしょう、
しかし位相幾何学的に言えばドーナッツと人間が同じ相であると言う以上に二つは同一相にあると言えるのです。
蘇州二胡と北京二胡は、言うまでも有りません。
人の心に響く音を作りだそうとする者は、
演奏者も楽器作りも考えなければいけないことは、よりよく音を楽しんでもらうということ、いかに音楽するかという気持ちでなければいけないと言うこと、
むしろそれだけが、音楽を音を作りだす物の天命で有り、音を楽器を音楽を響きを愛する者、その事のみであるべきではないでしょうか。
音を楽しむのにプロも素人の差も無く、弾ける一音一音を大切にし、響く一音一音をよりよく作り上げるのが音楽の楽しみです。
楽器作りはその一音一音弾く人 聞く人に心地よく響くようにとそれのみが良き形を作りだし良き音を作りだすということであり、
世の習いの己の欲望が、或いは人を切り捨てる主義主張と言う物を越えることこそ、楽器作り物つくりの生きざまではないかと思います、
また演奏者も、折角2000年もかけて日本に渡って来た二胡、その響きをよりよく響かせる感性を養うことにこそ力を注いで欲しい。
物つくりを始めたころ、いかに人様に自分の作ったものを見てもらいたいと様々に、世の習いに従ってと血迷った宣伝なることにも時間を注いだが、結局は良きもの作り、いかにつくる事に心血を注ぐということこそ、作り上げられたものが良く活きていき、
それこそ世の習いに習うよりは、よほど早く人々に楽しんでもらえるようになったと気がつく年になって始めた二胡作り。
本業の展覧会の片隅に置いた、今思えば恥ずかしいような二胡が人々のほんの一部に見てもらったことや、その確かな出会いが今の光舜堂を作り上げています。
作ることも大切だが、これまで生まれてきた、数百万 数千万台の二胡、6角形であろうと8角形であろうと、生まれて来て誰かの手の中でちゃんと鳴るようにすることも私の天命と感じることができたのも、
形や主張にとらわれずただひたすら良くなる楽器、良い響きの楽器 その事のみを思う日々の力が、鳴らない二胡 鳴らなければいけない二胡、 敢えて締め上げられた二胡、 もっと鳴りたいと訴えかける二胡達に出会って、その本来の響きを響かせるのが二胡屋の仕事、
生産体制、生産効率、金利の効率などいろいろな締め上げの内、中国で作られて来た者たちも、一つの楽器なのです。
あれは良い、これはだめ、などと言うことは無いのです、 勿論演奏者としてはよりよい楽器と言うこと考えるのは、或いは自分の演奏にはこの楽器と言う想いは有るにしても楽器自信を育てるのも演奏者です。
楽器も育ちます、変わります。
しかし変わり果てた音にはなって欲しくないのは、楽器作りのすべての思いです、
量産のものだから、工房物だからという違いは、あるとは思います。
それでも二胡と言う物に違いはあるでは無し、中国の習いを持ち込む必要も無く、この日本でこそ鳴らし得ない音を私は作る事のみ考えています。
楽器は進化するものです、ギターを見て下さい、この50年で如何に変化したかが良く解ります。
価値として固定化された、ストラデバリウスを至上とするバイオリンの世界でも何時かは、それに並びそれより鳴るものを作りたいと願う全世界に数万と言う楽器作りも居ます。
二胡も同じだと思います、今はまだ日本には二胡作りは少ないながら、そのうち沢山の二胡作りが現れるはずです。
中国で作る伝統?と言われるにはあまりにも短い歴史にとらわれずに、この揺れる音の良さを如何に良く実現するか、まだまだこれから沢山の二胡弾き達が、二胡作りを育てるのではないでしょうか。
次項から、二胡の構造の変化の歴史、たまには絵に描いてお見せしようと思います。
何がよくて何が悪いということではないのです、よりよく追求すれば二つは同じ形の中に納まるはずなのですのです。
両部一体。
この項続く
物を作りだす家系の中で、物を作るという事の基本である素材を知ろうとしてその生態や環境だけにとどまらず、遂にはものの成り立ちという、量子論の世界にまで飛び込み、
原子の世界を越えて、素粒子、クウォーク、そして、時空間の歪みが、3本の振動する弦を作りだす、原初の世界にまで、興味が行きつき、気がつけば、生活という不条理の世界にしばれれながらも、振動する弦の響きに日々の生活の中、しばし感覚の、精神の高みに登れる音の世界で夢見、かすかながらも生きる事の幸せを感じる時を過ごしつつ、
いつの日にか、音楽そのもの、振動を作りだし音を頭の中に響き渡らせる弦楽器を、
自分自身の幼いころに出会った記憶の、春の光の中,玄関の片隅で、二本の弦を光らせていた物の記憶が、あれこそが二胡であったのだという、はっきりした形に目の前に浮かんだ時、これ弾いてみようと思ったのが、揺れる音の二胡との出会いであったのかもしれません。
多分2000年ぐらい前なのでしょう、アラブの地にレバブという、樹と皮で出来上がった、馬の弓で弾く弦楽器が作りだされ、人の世の、国という形を越えて、西や東に伝わり、いつの日にか中国の大地の隅々に、生活の中の楽しみとして、弦を響かせたのでしょう。
西に渡ったレバブが、突き詰めて技術としての完成度を追いバイオリンとなったのは、ちょうどそのころに、始まった物理を極めようという時代であったからかなのでしょう。
東に行きついたレバブは、馬頭琴となり、キジャックとなり、遂には、蛇の皮に出会って、二胡になったのです。
自然の有り様そのままに受け入れる地に定着した二胡は、締め上げて弦の切れる寸前の音の純粋さを求めた西のバイオリンとは違い、揺れる音そのままにのびのびと育ってきました。
その音が今や、この極東にまでたどり着き、
日々生活という肉体の維持に縛られ、科学の最先端2進法のデータが全てというような、それこそ肉体の維持が命の証という動物としての生活の中に、真には理解できない、あり得ないとしても扱わなければいけない電子の世界に、管理しきれない、分析しきれない、おのれの肉体との齟齬を感じつつも何処かに受け入れたくないと思う人々に、その揺れる音に、出会わせたのです。
異国の楽器として承知はしていても、どこかこの極東の日本にこそ、必要とされて、
今、二胡は人々の中に広まってきています。
虫の声を、和語で言う かなしい と聴ける民族だからこそ、その揺れる音は、この身体の中に様々な電波振動が飛び交う生活の中に、ほんとの意味で理解することのできる弦の揺れる音と、感じられるのかもしれません。
ペルシャにアラブに、或いはインドに生まれたといわれ、中国の中に広がり、遂には海を越えてこの日本にたどりついた、二胡は、癒す音としてそれまで通過していた国々の人とは違う感性で受け入れられているのでしょう。
明らかに、中国と日本では二胡の音の感じ方が違うようです。
揺れる音こそ二胡の役割とすれば、揺れるがゆえに持たなければいけない、西の国々の人たちが聞けば、歪みとして感じられる振動をも含むのです。
二胡として形になって、60年余、
南の地方の形に作った蘇州型の、ふくらみのある音が、例えてみれば胎蔵界の音であるとすれば、より純粋に楽器としてのボリュームと純粋な音を突き詰めたのが、北京型の、金剛界の音とも言えるかもしれません。
一つはより肉体の中に響き、一つはより音楽としての純粋さを求めてきたのでしょう。
しかし、この日本に来り、両者を一つの物に作り上げるべきと、私の感性が手が動きます。
蘇州系と北京系どちらも二胡の形態には違いありません、揺れるという音には違いが無いのです。
敢えて、それらの合一が、もし自分の手でなされるなら、物つくりとして、二胡作りとして、それこそ天命ではないかと感じられる日々を過ごせた、この4年間でした。
中国での蘇州だ、北京だという対立を敢えてこの日本で引き受ける意味合いは無く、純粋に揺れる音を作りだす意味合いだけが、大切なのではないでしょうか。
アラブからペルシャに ペルシャからシルクロードへ そしてさらにはベトナムにまで至る間、その揺れる音の弦楽器は、その時代時代と、持てる力とそしてこれこそ望ましいという想い、そしてそれぞれの日々使う言語に、歌う言葉に響き合う形になってきたのではないでしょうか。
細かく言えば馬頭琴と二胡は違うとも言う方々は多いでしょう、
しかし位相幾何学的に言えばドーナッツと人間が同じ相であると言う以上に二つは同一相にあると言えるのです。
蘇州二胡と北京二胡は、言うまでも有りません。
人の心に響く音を作りだそうとする者は、
演奏者も楽器作りも考えなければいけないことは、よりよく音を楽しんでもらうということ、いかに音楽するかという気持ちでなければいけないと言うこと、
むしろそれだけが、音楽を音を作りだす物の天命で有り、音を楽器を音楽を響きを愛する者、その事のみであるべきではないでしょうか。
音を楽しむのにプロも素人の差も無く、弾ける一音一音を大切にし、響く一音一音をよりよく作り上げるのが音楽の楽しみです。
楽器作りはその一音一音弾く人 聞く人に心地よく響くようにとそれのみが良き形を作りだし良き音を作りだすということであり、
世の習いの己の欲望が、或いは人を切り捨てる主義主張と言う物を越えることこそ、楽器作り物つくりの生きざまではないかと思います、
また演奏者も、折角2000年もかけて日本に渡って来た二胡、その響きをよりよく響かせる感性を養うことにこそ力を注いで欲しい。
物つくりを始めたころ、いかに人様に自分の作ったものを見てもらいたいと様々に、世の習いに従ってと血迷った宣伝なることにも時間を注いだが、結局は良きもの作り、いかにつくる事に心血を注ぐということこそ、作り上げられたものが良く活きていき、
それこそ世の習いに習うよりは、よほど早く人々に楽しんでもらえるようになったと気がつく年になって始めた二胡作り。
本業の展覧会の片隅に置いた、今思えば恥ずかしいような二胡が人々のほんの一部に見てもらったことや、その確かな出会いが今の光舜堂を作り上げています。
作ることも大切だが、これまで生まれてきた、数百万 数千万台の二胡、6角形であろうと8角形であろうと、生まれて来て誰かの手の中でちゃんと鳴るようにすることも私の天命と感じることができたのも、
形や主張にとらわれずただひたすら良くなる楽器、良い響きの楽器 その事のみを思う日々の力が、鳴らない二胡 鳴らなければいけない二胡、 敢えて締め上げられた二胡、 もっと鳴りたいと訴えかける二胡達に出会って、その本来の響きを響かせるのが二胡屋の仕事、
生産体制、生産効率、金利の効率などいろいろな締め上げの内、中国で作られて来た者たちも、一つの楽器なのです。
あれは良い、これはだめ、などと言うことは無いのです、 勿論演奏者としてはよりよい楽器と言うこと考えるのは、或いは自分の演奏にはこの楽器と言う想いは有るにしても楽器自信を育てるのも演奏者です。
楽器も育ちます、変わります。
しかし変わり果てた音にはなって欲しくないのは、楽器作りのすべての思いです、
量産のものだから、工房物だからという違いは、あるとは思います。
それでも二胡と言う物に違いはあるでは無し、中国の習いを持ち込む必要も無く、この日本でこそ鳴らし得ない音を私は作る事のみ考えています。
楽器は進化するものです、ギターを見て下さい、この50年で如何に変化したかが良く解ります。
価値として固定化された、ストラデバリウスを至上とするバイオリンの世界でも何時かは、それに並びそれより鳴るものを作りたいと願う全世界に数万と言う楽器作りも居ます。
二胡も同じだと思います、今はまだ日本には二胡作りは少ないながら、そのうち沢山の二胡作りが現れるはずです。
中国で作る伝統?と言われるにはあまりにも短い歴史にとらわれずに、この揺れる音の良さを如何に良く実現するか、まだまだこれから沢山の二胡弾き達が、二胡作りを育てるのではないでしょうか。
次項から、二胡の構造の変化の歴史、たまには絵に描いてお見せしようと思います。
何がよくて何が悪いということではないのです、よりよく追求すれば二つは同じ形の中に納まるはずなのですのです。
両部一体。
この項続く
引き込まれました。
また写真アップして下さい。
あまりの忙しさで、
こんなこときり書けないのですが、リラックスする良い時間にはなっています。
長くなります、
ほぉさんは、途中で棄権しました。
俳句と短歌はもとより詩歌でありながら
べつ段「統合」ということを申しません。
男と女はひとしく人間でありながら
つかの間の夢枕においてほか
融合されようもない身の上です(『源氏物語』)。
なぜならいずれの規矩も「分割」によらず
「表現」にもとづくからでありましょう?
"地図は土地そのものではない"(A.Korzybski)
北京 蘇州(&上海)そして神州…
三筋のインスピレーションは
情熱と作品の雲間より降り注ぎ―
神本仏迹。