高処から眺めよ(アウレーリウス・自省録より) 下から眺める(柳屋小三冶)

物事を見るときには、余裕がほしいのですが難しいものです。状況が悪い時は、もっと下から眺めれば、いいのかも。

たわごと・2590

2014-06-28 09:15:58 | Weblog

 きのうの少し続きの部分もあるのですが、このブログの表題の「高所より眺めよ」は、難しいものがあります。最近でも、STAP細胞の話で、今は、どうもできないような感じですが(最新号のサイエンスなどの記事で)最初、新聞などに出たときは、私も興奮してしまいました。権威からの情報とか、多数意見には、私は、すぐに信じてしまうところがあります。権威の情報以外でも、人間の基礎的判断は、動物的な脳が判断しているそうで、その判断はなかなかくずすのが難しいものです。
 きのうの株の話ですが、会社である株を最少単位を6年近く前に購入したのですが、2,3年前までは、株価が、無配が続いたので、購入価格の1/3程度に下がっていました。その株を持っているので、私は、損をしているとの判断があって、そのままにしていたのですが、仮定の話ですが、2年前の安い時に、購入してれば、2年経ったら。株価が倍以上になったことになります。2年後に持ち直すなどとは、予想はできないものですが、そんなことを考える人が、ビジネスでも成功するものです。
 それで、少し自分を含め疑うことをしているのですが、今日、ラジオのニュースで、外環道路が一部開通するので、都心の高速道路の混雑も緩和されるのではと、話していました。確かに、便利にはなるでしょうが、まだ、完全に全部できていない状況と、外環の位置を考えると、例えば、東名から中央高速に行く場合、東名から首都高速を経由して、中央高速に行く人は、今でもあまりいないと思うので首都高速の混雑緩和には、ならないのかも知れません。東名から千葉などに行く場合も、完全に出来たとしても外環道路をバイパスして行くのは、ナビはそうしないような感じがします。疑うことの例で、この意見が合っているのか分かりませんが、こんなことを考えるのは、重要なことだと思います。

コメント
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