下記の七五調の歌は私の母校の校歌だけど、さて小中高のいづれでしょうか。
流れてつきぬ 北上川胆沢川
み雪絶えせぬ 横岳駒ヶ岳
ああ我が水沢の このけしき
ああ我が学校の このながめ
日ごと日ごとに 集い来て
もの学びする里の子よ
この山川を こころにて
あしたゆうべに励めかし
智は水底(みなそこ)の いや深く
徳は雲居を しのぐまで
むかし思えば 名の高き
すぐれし人も 住めりけり
世は幾千とせ へだつとも
同じ景色の この里に
人ばかりやは おとるべき
人ばかりやは おとるべき
ps:校歌は明治35年制定。名の高き優れし人とは、高野長英を指している。
答えは、小学校
1、2年生の時はチンプンカンプンで、おとなしく聴くだけで精一杯だった。
3年生の時は意味が分からないながら、門前の小僧でちょっとは♪歌えた。
先生から校歌の意味などを教えられたのは、4年生になってからだった。
意味をそれなりに理解できたのは、高校に入って古文を勉強してからだった。
特に「人ばかりやは おとるべき」が難解で、「おとる」を劣るじゃなく年下のと解するのがミソ。
山や川は何年たっても変わらないけど、人だけは年々年下の人に代わって行くという意味。
流れてつきぬ 北上川胆沢川
み雪絶えせぬ 横岳駒ヶ岳
ああ我が水沢の このけしき
ああ我が学校の このながめ
日ごと日ごとに 集い来て
もの学びする里の子よ
この山川を こころにて
あしたゆうべに励めかし
智は水底(みなそこ)の いや深く
徳は雲居を しのぐまで
むかし思えば 名の高き
すぐれし人も 住めりけり
世は幾千とせ へだつとも
同じ景色の この里に
人ばかりやは おとるべき
人ばかりやは おとるべき
ps:校歌は明治35年制定。名の高き優れし人とは、高野長英を指している。
答えは、小学校
1、2年生の時はチンプンカンプンで、おとなしく聴くだけで精一杯だった。
3年生の時は意味が分からないながら、門前の小僧でちょっとは♪歌えた。
先生から校歌の意味などを教えられたのは、4年生になってからだった。
意味をそれなりに理解できたのは、高校に入って古文を勉強してからだった。
特に「人ばかりやは おとるべき」が難解で、「おとる」を劣るじゃなく年下のと解するのがミソ。
山や川は何年たっても変わらないけど、人だけは年々年下の人に代わって行くという意味。