八兵衛のセカンドライフ

46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)

セカンドライフの原点、死生観と延命

2013年02月03日 14時01分06秒 | 日常
◇今日2月3日は節分の日だけど、私にはもうひとつの意味のある日だ。
  脳幹出血に倒れて昏睡から意識が回復した日で、いわばセカンドライフの原点の日でもある。
  15年前の今日の状態を思うと、正直よくぞここまで漕ぎつけたものだ。
  もちろんまだまだ満足はしていなくて、気合はいつも『これからがリハビリの本番!』のつもりだけどね。

  この15年間をふり返って見ると、まるで飛行機が離陸して行く時みたいな気がする。
  動き始めた飛行機は誘導路をゆっくりと自走して、やがて離陸のための滑走路に出る。
  『離陸ゴー!』を受けた飛行機はぐんぐん滑走路をスピードアップして、
  やがて前輪が浮き、後輪も浮き、ついには巨体はふわっと離陸する。
  離陸したばかりの飛行機はほぼ高度ゼロだけれど、ここから高度5000mまたは1万mの巡航高度まで一直線に上昇して行く。

  満15年になった今はどのあたりだろう、誘導路の走行はきっと13年間で終わったと思うな。
  去年あたりから滑走路に出て、今は思いっきりエンジンをふかして、グングン加速させているあたりかな。
  滑走期間はどのくらいか分からないけど、一人での完全自立歩行(注)ができて、初めて離陸だと思う。
  そして離陸後は、ジェット戦闘機並みの急上昇を夢見てガンバっぺぇ

   注):一人での完全自立歩行とは、歩行の際の骨盤上の重心移動が腹筋・背筋で制御できている歩行をさす。

私の最期について、以前考えたことがあった。
  今朝ネット散策をしていて、死生観(特に延命)についての私の考えを、今のうちに娘達に伝えておいたほうが良いと思った。
  というのは、死生観や延命の考えかたや捉えかたは十人十色。
  いざその時に親(私)の延命をどうするか、娘達に答えを求めるのはあまりにも酷だと思う。
  15年前に脳幹出血を患ったものの九死に一生を得て、その後リハビリ人生(セカンドライフ)を歩むことになった。
  私の『生』への執念はセカンドライフの中で燃焼し尽くしているので、最期は『一切の延命』をしないで静かに見送って欲しい。
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
セカンドライフの原点の日 (たんぽぽ)
2013-02-03 06:44:43
今日はセカンドライフ原点の日でしたか
今日からもジェット戦闘機並みの急上昇を
期待しています。
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八兵衛 (★たんぽぽさま)
2013-02-03 09:53:23
どうもありがとうございます。
返信する
節分 (クローバー)
2013-02-03 11:34:49
そうか!
確か三途の川近くで、鬼さんに「帰れ」と蹴落とされた(?)のでしたっけ

延命は、亡き父の最期を見ていて嫌だと思いました。あれはむごいものです。
私も賛成ですよ
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八兵衛 (★クローバーさま)
2013-02-03 13:04:27
そうです、そうです、「お前はまだ若い。もっと仕事をしろっ!」と、鬼の顔した神さまに蹴飛ばされまして・・・。
私の後遺症ではあり得なかった会社復帰も、神さまのお陰で倒れてから10ヶ月後には決まりました。
ホントあれから、節分の鬼さん、なまはげの鬼さんを、神さまとして崇め奉ることにしました、ハイ

特に延命措置については、残されるご家族の考えかた次第なので『十人十色』でしょうね。
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