◇今日2月3日は節分の日だけど、私にはもうひとつの意味のある日だ。
脳幹出血に倒れて昏睡から意識が回復した日で、いわばセカンドライフの原点の日でもある。
15年前の今日の状態を思うと、正直よくぞここまで漕ぎつけたものだ。
もちろんまだまだ満足はしていなくて、気合はいつも『これからがリハビリの本番!』のつもりだけどね。
この15年間をふり返って見ると、まるで飛行機が離陸して行く時みたいな気がする。
動き始めた飛行機は誘導路をゆっくりと自走して、やがて離陸のための滑走路に出る。
『離陸ゴー!』を受けた飛行機はぐんぐん滑走路をスピードアップして、
やがて前輪が浮き、後輪も浮き、ついには巨体はふわっと離陸する。
離陸したばかりの飛行機はほぼ高度ゼロだけれど、ここから高度5000mまたは1万mの巡航高度まで一直線に上昇して行く。
満15年になった今はどのあたりだろう、誘導路の走行はきっと13年間で終わったと思うな。
去年あたりから滑走路に出て、今は思いっきりエンジンをふかして、グングン加速させているあたりかな。
滑走期間はどのくらいか分からないけど、一人での完全自立歩行(注)ができて、初めて離陸だと思う。
そして離陸後は、ジェット戦闘機並みの急上昇を夢見てガンバっぺぇ
注):一人での完全自立歩行とは、歩行の際の骨盤上の重心移動が腹筋・背筋で制御できている歩行をさす。
◇私の最期について、以前考えたことがあった。
今朝ネット散策をしていて、死生観(特に延命)についての私の考えを、今のうちに娘達に伝えておいたほうが良いと思った。
というのは、死生観や延命の考えかたや捉えかたは十人十色。
いざその時に親(私)の延命をどうするか、娘達に答えを求めるのはあまりにも酷だと思う。
15年前に脳幹出血を患ったものの九死に一生を得て、その後リハビリ人生(セカンドライフ)を歩むことになった。
私の『生』への執念はセカンドライフの中で燃焼し尽くしているので、最期は『一切の延命』をしないで静かに見送って欲しい。
脳幹出血に倒れて昏睡から意識が回復した日で、いわばセカンドライフの原点の日でもある。
15年前の今日の状態を思うと、正直よくぞここまで漕ぎつけたものだ。
もちろんまだまだ満足はしていなくて、気合はいつも『これからがリハビリの本番!』のつもりだけどね。
この15年間をふり返って見ると、まるで飛行機が離陸して行く時みたいな気がする。
動き始めた飛行機は誘導路をゆっくりと自走して、やがて離陸のための滑走路に出る。
『離陸ゴー!』を受けた飛行機はぐんぐん滑走路をスピードアップして、
やがて前輪が浮き、後輪も浮き、ついには巨体はふわっと離陸する。
離陸したばかりの飛行機はほぼ高度ゼロだけれど、ここから高度5000mまたは1万mの巡航高度まで一直線に上昇して行く。
満15年になった今はどのあたりだろう、誘導路の走行はきっと13年間で終わったと思うな。
去年あたりから滑走路に出て、今は思いっきりエンジンをふかして、グングン加速させているあたりかな。
滑走期間はどのくらいか分からないけど、一人での完全自立歩行(注)ができて、初めて離陸だと思う。
そして離陸後は、ジェット戦闘機並みの急上昇を夢見てガンバっぺぇ
注):一人での完全自立歩行とは、歩行の際の骨盤上の重心移動が腹筋・背筋で制御できている歩行をさす。
◇私の最期について、以前考えたことがあった。
今朝ネット散策をしていて、死生観(特に延命)についての私の考えを、今のうちに娘達に伝えておいたほうが良いと思った。
というのは、死生観や延命の考えかたや捉えかたは十人十色。
いざその時に親(私)の延命をどうするか、娘達に答えを求めるのはあまりにも酷だと思う。
15年前に脳幹出血を患ったものの九死に一生を得て、その後リハビリ人生(セカンドライフ)を歩むことになった。
私の『生』への執念はセカンドライフの中で燃焼し尽くしているので、最期は『一切の延命』をしないで静かに見送って欲しい。
今日からもジェット戦闘機並みの急上昇を
期待しています。
確か三途の川近くで、鬼さんに「帰れ」と蹴落とされた(?)のでしたっけ
延命は、亡き父の最期を見ていて嫌だと思いました。あれはむごいものです。
私も賛成ですよ
私の後遺症ではあり得なかった会社復帰も、神さまのお陰で倒れてから10ヶ月後には決まりました。
ホントあれから、節分の鬼さん、なまはげの鬼さんを、神さまとして崇め奉ることにしました、ハイ
特に延命措置については、残されるご家族の考えかた次第なので『十人十色』でしょうね。