今日7月16日は妻お銀の命日、早いものであれからもう丸7年が過ぎた。
初孫のフミくんが生まれ、
ちーママが結婚したのちも私と同居してくれたし、
3泊4日の沖縄旅行も車イスでしてきたし、念願が次々と叶った1年だった。
悲願の歩けるようになることが残っているけど、これはまだまだ時間がかかりそうだ。
それに、何か1つくらいは残しておかなきゃ、、、ね。
郷里の親父を見習って、
お銀のぶんも長生きするつもり。
どうか見守っていて頂戴。
初孫のフミくんが生まれ、
ちーママが結婚したのちも私と同居してくれたし、
3泊4日の沖縄旅行も車イスでしてきたし、念願が次々と叶った1年だった。
悲願の歩けるようになることが残っているけど、これはまだまだ時間がかかりそうだ。
それに、何か1つくらいは残しておかなきゃ、、、ね。
郷里の親父を見習って、
お銀のぶんも長生きするつもり。
どうか見守っていて頂戴。
月日の経つのは早いですね。
八兵衛さんにとっては早くてながい月日だったかも知れません。
今の幸せはきっとすべてお銀様が見守ってくださっているのでしょう。
これからもお元気でお銀様のぶんまで長生きなさってください。
コメントどうもありがとうございました。
月日の過ぎるのは年々早くなって行くようで、
とくにこの1年は嬉しく楽しいことが続いたので、ホント早かったですぅ
最近の私の身体の回復具合を考えると、
まるでお銀が、『私の身体をあげるから、リハビリを頑張って!!』
と言ってくれてるような気がします。
郷里の親父は2回脳梗塞をやっていても、まだ94歳で健在です。
94歳までは無理としても、私も80台には長生きしたいと思っています。
これからもよろしくお願いします。
でも遺された人は、精いっぱい生きて行かなきゃね、と、改めて思いました。
フミ君は次に何を見せてくれるか、と毎日楽しみですね。
コメント、どうもありがとうございました。
メンタルは強いと自認してますが、1年以内は全然ダメ、メタメタでしたね。
配偶者との死別は人生最大のストレスであることを、身をもって思い知らされました。
ただそのストレスも過ぎ去る年を重ねて行くごとに昇華して行き、
5年過ぎた頃からは楽しかった昔のことを懐かしむ気持ちが大きくなりましたね。
自分では意識していなかったのですが、
『お父さんでも体重が75kg台に戻ったのは最近だもの、
お母さんのことはやっぱり長く影響していたんだね』
と、娘からも言われました。
奥さまが亡くなり、震災に見舞われても逞しく生きてきたご褒美でしょうか、良い事が目白押しですね?
最近は、じぃじとしての顔も追加されて、いろんな意味で余裕を感じます。
コメント、どうもありがとうございました。
当初は先立たれたショックでリハビリも続ける意欲も、何も湧いてこなかったのですが、
次第に単身赴任で一人ぽっちで離れて暮らすよりまだマシと思えるようになり、
年々寂しさ・わびしさなどが薄れて行ったから、時間のチカラは大きいと思いました。
不思議なもので、結婚前の学生の頃をよく思い出すことが多かったです。
今でも思い出すのは圧倒的に結婚前の学生時代のことなので、
年をとってくると、遠い昔の記憶のほうが思い出し易いみたいです。
孫が生まれるとゲンキンなもので、郷里のオヤジみたいに長生きして、
孫が成人して、いや孫の子ができてオッピーィさんになるまでになりました。
孫のチカラは、ホント偉大ですぅ