ビタミンP

苦心惨憺して書いている作品を少しでも褒めてもらうと、急に元気づく。それをトーマス・マンはビタミンPと呼んだ。

『弾いたメロディは弾かない。

2008年07月26日 09時21分54秒 | Weblog
通った道は通らない』(ピアニスト・上原ひろみ)

日本で初めての本格的なテニススクール校長として、
日本で初めての本格的なテニスショップの店長として、
日本で初めての本格的なテニス専門誌の編集長として、
日本で初めての女子テニス団体戦(フェドカップ)監督として、

 戦後の日本テニス界で道なき道を切り開き、この6月1日に逝った宮城黎子さんを“偲ぶ会”が25日(金)に緒方貞子さんが発起人となって東京帝国ホテルで開かれた。

 縁あって、その下で9年間働いた。
テニスと、編集と取材のいろはを教わった。
緒方さんや正田美智子さま(現皇后陛下)のコーチをされ、シングルスとダブルスを合わせて30個の全日本タイトルを獲得、テニス界の大御所といえる立場にもかかわらず、常に相手の目線までおりてきて物事に向き合う人だった。
ネットを挟んで行き交うのは、単なる黄色いボールではなく、勇気とガッツなのだ、ということを教えていただいた。
弱気になる自分の心に打ち勝って、まずは土俵に上がっていかなければ、何事も始まらない、ということを無言のうちに教えられた。
縁あって口述筆記することになり遺本となった『宮城黎子の昭和テニス史』(日本文化出版 5月1日刊)の完成を見届けて逝かれたことが、せめてもの慰めである。

「テニス、やってるの? やらきゃだめよ!」
 その声が今も聞こえる。





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